著者名:渡辺和敏著『東海道交通施設と幕藩制社会』
評 者:深井 甚三
掲載誌:「日本歴史」708(2007.5)


 本書は著者が勤務する愛知大学の綜合郷土研究所研究叢書の第一八冊として刊行されたものである。著者は勤務地からそう遠くない静岡県新居町に出生し、現在も居住して、同町周辺地域を主フィールドに近世陸上交通に関する研究を続けてこられた方である。
 本書は東海道について、特に遠江・三河を主対象地にしてその交通施設を近世を通じて検討することを課題としている。その構成は、序章「江戸時代における東海道交通施設の再検討」と一部「街道と宿場」(一章〜八章)、二部「関所と川越」(九章〜一三章)からなる。序章は諸章の概略をまとめており、本書の理解に役立つ。

 第一部は一章から五章までが宿駅自体と宿駅の中の交通施設である本陣・旅籠屋・茶屋を扱う。一章は幕府の初期の交通行政を扱い、小坂井村の宿指定と廃止などにみられる初期交通行政の試行錯誤が幕府の二元政治などに由来すること、その後大坂の陣と駿府領主の忠長改易により東海道の幕府による一元支配が貫徹し、寛永元年には東海道五三宿が揃い機能を始めたことを指摘する。二章は二川宿本陣馬場家の経営を検討する。同家は穀屋・質屋を営み、文化四年に本陣を始めたが、本陣経営はたちまち赤字となったために、質屋業を再開してようやく嘉永元年に黒字経営としたことを明らかにしている。三章は新居宿の旅籠屋紀伊国屋を取りあげ、同家が大名などの御用宿を務め、また幕末に多くの講の定宿に指定されたこと、旅費を多くの武家に貸与したが額は少ないことを紹介する。四章は天保期には大岩村の茶屋にほとんどの大名が小休して本陣経営に大きな影響を与えたが、二川宿も下宿を大岩村の茶屋にゆだねたことや、茶屋から刎銭を取る計画を立てたことなどを紹介する。五章は舞阪宿の幕末における逼迫した宿財政の実態を示す。
 六・七章は街道と並木を取り上げ、六章は御油・赤坂間の松並木の保全・管理を考えるために、近世のこのあり方について検討し、並木敷きの確保と密植にならない適切な間隔での補植を提言している。文化財保存面で貴重な論考である。七章は秋葉道の概説的な論考であるが、その付論は、宝永地震以降に東海道をさけて女性が本坂通を往来するようになったこと、本坂通が明和に東海道付属の街道となったことから地元民の間で「女道」や「御姫様海道」と呼ばれたことを指摘する。なお、八章は伊勢への参宮船につき、吉田船町の元禄八年の渡海権独占訴訟と寛政一一年の再訴訟による独占公認を紹介する。

 次の第二部は関所と川越を対象とする。川越は一二章のみで、他はみな関所関係である。まず九章は家康の駿府在城時代には駿府政権も女手形を発行したこと、場合によっては女性も女手形を申請できたこと、さらに初期には人身売買取り締まりの機能を関所が持ったことを指摘する。十章は関所・口留番所を概説的に取りあげ、そこでは関所が一般女性の移動を制限する役割を持つので人口確保策を担ったこと、関所を通らない抜け荷や脇道を通る者がみられ、また関所抜けが盛んに行われたが、これは幕藩制を崩壊させるものではないので関所抜けなどを放置したとする。十一章は小田原藩管理の箱根裏関所につき小田原藩領の女性は通関させていたこと、関所周辺村は脇道・抜け道利用を黙認していたことなどを指摘している。十三章は、幕末の江戸周辺の関門に関する論文である。なお、渡船を取りあげた十二章は天竜川渡船の運営その他様々なことを取りあげている。

 以上のように、本書には概説論考もあるが、その主内容は三河・遠江の交通施設に関しての論文・報告であり、時期も初期から幕末、さらに現状とその保存に関するものも含まれる。特に三河・遠江の交通施設については本陣・旅籠屋・茶屋の経営、宿財政・川越運営の問題などについてその実態が明らかにされ、さらに関所については三河・遠江以外についても成果があげられている。本書は東海道の陸上交通の研究、とりわけ制度面で実証的な成果を付け加えた点で評価されるべき研究と捉えられる。
 著者は本書の後書きで著者の研究を三段階に区分し、今後取り組む最終の第三段階はソフトの研究で具体的には旅の研究とし、これ以前の段階の研究はハードの研究とする。すでに著者が実施した第一段階の研究は交通制度史研究であったが、本書はこれに次ぐ第二段階の研究であり、交通関係諸施設とその利用者との関係の研究を行うものと述べている。この利用者との関係から交通施設に並列して幕藩制社会が書名に登場しているのであろう。しかし、本書は内容的にはその書名が「幕藩制社会の交通施設の研究」がふさわしいものとなっている。すなわち、宿場や立場の本陣経営・旅籠経営・茶屋経営、宿財政の実態を検討するといっても、その社会構造やその変容と交通施設の関係を問題にするような考察はみられず、また宿場・立場についてその社会構造などを検討する論文もない。ソフト研究に先立つハードの研究ということで、しかも書名に幕藩制社会の語を登場させるならば、やはり交通施設に関して宿場や立場を取りあげる場合、これらの社会構造の問題との関連での検討や、直接のそうした論文も入れる必要があったのではなかろうか。
 本書の中で大きな位置を占めているのは著者が長年取り組んできた関所の問題である。著者が本書の内容を整理した序章の中で唯一、従来の「定説」を改めたと記している章も関所を取りあげた十章である。この十章の結びの著者の記載からすると、特に抜け荷や関所破り取り締まりを厳重に幕府が行わなかった理由に幕藩体制を直接に崩壊させるものではなかったことを主張した点が通説を改めたという点であろうか。しかし、関所破りについては、評者も注目して、著者が引用している「西遊草」その他によりその展開を明らかにするとともに、これが放置された理由について、関所が問題とすべき武家女性の関所抜けではないことなどをかつて執筆している(『国史談話会雑誌』三〇号〈一九八九年〉所収拙稿ほか)。また、関所の機能に幕領の女性の通行規制による人口確保策があったとの主張もあるが、これはいずれにしても関所機能の基本になるものではない。
 著者は序章にて、「真の交通体系」を解明するには時期的・地域的特色を示す研究成果の蓄積が重要であるとし、本書はそのための基礎作業と述べている。それだけに特に本書で重点のおかれた遠江・三河地域のその特色について本書の中で簡単にでもまとめ、また第二部の関所関係の三河・遠江に関係しない論文などは別著に回した方がよかったのではなかろうか。しかしながら、本書は近世初期から幕末、さらには現状までの交通施設に関しての多岐にわたる研究成果が収録され、東海道をはじめとする近世陸上交通の研究に資する書であることは間違いないことを改めて記載しておきたい。
(ふかい・じんぞう 富山大学人間発達科学部教授)


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