著者名:有光友學編『戦国期印章・印判状の研究』
評 者:鳥居 和郎
掲載誌:「日本歴史」709(2007.6)


 本書は有光友學氏が代表者となり、平成十二年度から四年間にわたる科研費による共同研究「戦国期における印章・印判状に関する総合的研究」の成果によるものである。「はしがき」によると、この研究の目的は、自治体史の編纂が進み戦国期の文書の収集と校訂がなされるが、個別領国あるいは地域ごとであり、それらを横断的に比較・検討することは行われていない。また、印章についても地域・時期により様々な偏差があるが、総合的に考察した研究が行われていないという状況から、全国的な印章の便用実態を明らかにし、印判状の機能の解明を行うというものである。
 戦国期の印章・印判状を対象とした研究は、相田二郎氏や荻野三七彦氏による一連の成果が知られるが、その後、個別的な論考はあるものの、広範な地域を対象としたものは存在しなかった。また、各地の自治体編纂史の刊行により、容易に文書の内容を知ることができる時代となった。しかし便利さの反面、料紙、印章、折り、封式など、原本が発する多様な情報に注意が払われなくなることに懸念を感じていた。そのような中、全国的規模で原文書にあたり、印章と印判状に視座を据えた十二編の論考は、この方面の研究に大きな前進をもたらすとともに、原本調査の重要性を再認識させてくれる。
 所収される論考の紹介を行いたい。掲載順に著者、論題、内容の摘記を行うこととする。

 @市村高男「関東における非北条氏系領主層の印章」、佐竹、結城、里見など後北条勢力圏外の大名などの印章使用とその意義を述べている。
 A平山優「戦国大名武田氏の印章・印判状」、武田氏、その家臣が使用した印章・印判状について、研究史と対比させ課題の指摘を行いながら述べている。
 B井原今朝男「中世の印章と出納文書−諏訪社造営銭徴収システムと武田氏の有印文書−」、諏訪社造営関係の武田家印判状は鎌倉時代以来の出納関係文書の延長上にあるとし、印判は戦国大名以外にも伝統的に使用したとする。
 C有光友學「今川氏の印章・印判状」、今川氏が使用した印章・印判状を先行研究と対比させながら整理し、その特徴を述べた。
 D片桐昭彦「上杉景勝の分国支配の展開と黒印状」、景勝、その家臣が使用した印の分析から、権力構造を考察した。
 E宮島敬一「浅井長政の印判状と浅井氏発給文書」、浅井氏の印判状とされる文書を後世のものとし、書状形式に限定される同氏の文書発給の特徴からその権力構造を述べている。
 F立花京子「信長天下布武印と光秀菱形印」、「天下布武」印、光秀の菱形印の形状は南蛮文化の影響をうけたもので、楕円・菱形といった形状は旧秩序の根本的改変の意志表示とし、この点で両者の政治思想は同一で、光秀は信長の天下統一事業の推進者とした。 G森田恭二「豊臣秀次・秀頼の政権と印判状」、秀次・秀頼の印判状を黒印と朱印の違い、その用途の分析から両者の権力を考察し、これにより秀頼と徳川家康の「二重公儀体制」説は疑問とした。
 H川岡勉「四国における印章・印判状」、四国の戦国大名が用いた印章と印判状を紹介し、土佐を除き、秀吉政権の影響を受けて印判使用が行われたとした。
 I鈴木敦子「肥前国における戦国期の印章使用」、龍造寺隆信、政家、鍋島直茂など肥前の大名の印章・印判状を紹介し、龍造寺氏は秀吉政権の影響前に印章の使用があったとした。
 J福島金治「戦国期島津氏琉球渡海印判状と船頭・廻船衆」、島津氏発給の印判状は薩摩・琉球間の交渉に関するもので、琉球渡海印判状の原型は延徳四年(一四九二)の島津忠昌印判状として、関連する文書を船頭・船などの面から分析した。
 K千葉真由美「近世の惣百姓印−南関東地域の事例収集を中心として−」、近世初頭に登場した惣百姓印の分析から、同印は十七世紀の関東に特徴的に見られるとした。
 また、本文末には詳細な印章・印判状に関する文献目録を載せる。

 これまで戦国期の印章に関する研究は、印判状制度における機能論が中心ということもあり、印判状の発給が多かった東国の大名を対象としたものが大部分であった。この傾向は本書の文献目録からもうかがえる。私自身、後北条氏の本拠地ともいえる神奈川県に住むこともあり、戦国大名の印判状にみられる印章に対し、権威の象徴とのイメージを持っていた。しかし、本書により数こそ少ないものの変化に富む西国の印章や、多様な印章が使用されたとみられる関東でも、戦国末より印章の使用が始まった地域が少なくないなど、従来あまり知られていない情報に接すると、印章は権威の象徴、印判状は文書の大量発給に応じたもの、といった表層的な理解ではとらえきれない部分があることを感じさせられた。
 井原氏も指摘されるように、この時代、印章は戦国大名の印判状だけではなく普遍的な文化として存在していた。本書でも、各地における元服前の男子や、女性の印章使用例が報告される。また、市村氏は関東における朱印から黒印への移行、実名を印文とする方形印の増加などを豊臣政権の影響とされるが、同様の事例は四国についての川岡氏、上杉氏についての片桐氏なども述べられる。このように各地に共通した変化がみられる様子を、秀吉政権の影響とみるだけではなく、すでに状況の変化に対応できる印章文化の存在があったからこそともいえよう。
 また、印章は絵画や工芸品と同様に個人的な趣向、時代性が反映される面もある。鈴木氏が紹介された龍造寺政家の団扇形印を例にすると、この時代、団扇の流行を各種の資料からうかがうことができるが、この新奇な印の使用には、印を簡略なもの、薄礼なものとする意識とは別の感覚が存在していることを感じさせる。

 以上、雑駁な文となり、編者が目指した本質をとらえた紹介にはならなかったかもしれぬが、本書が戦国期の印章と印判状の研究に新たな地平を切り開いたことはまぎれもなく、基本的文献として長く利用されることと思われる。それだけに若干の注文を述べさせていただきたい。(1)印判の豊富さで知られる後北条氏、また、東北・中国地方など有力な戦国大名が存在した地域についても、「全国を横断的に見るため」に取り上げてほしかった。(2)大部分の論考には印章の形を示す図版がなく、また、寸法、形状、印文、朱・黒印の別などのデータが記されていないことも読者に対し不親切である。(3)二重郭と重廓(郭ヵ)、方形印と四角型(形ヵ)印など、用語の不統一もさることながら、誤用とみられる表現は気になるところである。また、三二一頁の図5に銀杏型印とあるが火炎宝珠形印とすべきかと思われる。
(とりい・かずお 神奈川県立歴史博物館専門学芸員)


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