著者名:布施賢治著『下級武士と幕末明治』
評 者:神谷大介
掲載誌:「地方史研究」327(2007.6)


 本書は、川越藩における海防問題・軍制改革を中心に精力的な研究を積み重ねてきた布施賢治氏の課程博士論文の成果である。以下、各章ごとに内容を紹介していこう。
 序章「下級武士研究史」では戦前・戦中・戦後の下級武士研究の変遷が詳細にまとめられ、西南雄藩以外の諸藩・諸地域における下級武士の動向を「政治的」・「社会的」という両側面から分析する必要性が提示されている。
 第一章「下級武士と武術流派」では、「身分制度」と「軍事制度」との対応関係に焦点が当てられ、本書全体の論を貫く前提条件が確認されている。川越藩では複雑な体系をもつ「身分区分」が存在し、下級武士・足軽に対する「差別体系」として機能したとする。また、こうした身分秩序は武術流派の「仕来」においても適応されたという。
 第二章「下級武士と大筒職」では、天保期以降海防問題が本格化していく中で海防政策・軍制改革の遂行に不可欠な大筒職が新たに採用された影響について考察されている。本来諸士が勤めていた大筒職に新たに下級武士・足軽が登用されたことによって相州警衛の現場では身分秩序をめぐる問題が生じ、それが御貸鑓要求へと展開していく過程が分析されている。
 第三章「下級武士と高島流砲術」は、洋式兵制に対応した砲術流派である高島流の藩内への導入過程に着目し、それが番方組織の総銃隊化を促す要因となり、「武士身分制度」に影響を及ぼしたと指摘されている。安政期・文久期・慶応期における高島流の存在形態が段階的に分析され、川越藩における高島流採用は結果として身分を固定化する方向に作用したとしている。
 第四章「下級武士と剣術」では、下級武士・下級士族と剣術との関係について考察されている。文久期になると他流試合を行う剣術流派である神道無念流が台頭し、師範・高弟が個人の剣術技術により身分上昇を遂げたことが明らかにされている。さらに廃藩後の動向も視野に入れ、彼らが剣術道場を運営して地域社会に武術を広げたこと、それが日清戦争前後における尚武の気風形成に繋がったことが指摘されている。
 第五章「下層士族と士族授産」では、秩禄処分・西南戦争・士族授産結社に焦点が当てられ、明治二〇年代までの前橋下層士族の動向についてまとめられている。旧藩時代の「身分制度」は明治以降の生糸取引をはじめとする授産結社にも残存したという。その一方で前橋士族の意識は多様化し、彼らは地域社会において個別の経営方針をもって行動したが、結社の統合・解散によって士族の多様性・階層性は次第に失われていったと述べられている。
 「おわりに」では、明治維新における主体勢力となり得なかった藩を対象として下級武士の動向・役割を再検討することの必要性が改めて指摘されている。
 以上のように、川越藩・前橋藩を素材として幕末〜明治期における下級武士の動向を分析した本書は、従来の「下級武士論=主体勢力論的側面」への再検討を迫るものとして大変興味深い。今後の下級武士研究の進展に寄与する一書となろう。多くの方々の手に取られることを期待するものである。


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