著者名:渡辺和敏著『東海道交通施設と幕藩制社会』
評 者:玉井 建也
掲載誌:「関東近世史研究」61(2007.3)



  はじめに

 現代は高度な移動性が必要とされる社会だと指摘されている(1)。もちろん何をもって何と比較して「高度」であるとするのか、という点においては非常に曖昧であり、全時代的に「移動」は常に「高度」であり続けるものかもしれない。しかし、グローバル化という言葉が既に自明の如く語られ、使用されていく現代社会には、確かに様々なコミュニティが存在し、重複し、人々はそれらを渡り歩いて生きていかなければならない。我々が所属するコミュニティは単一である必要性はどこにもない。特に昨今は個人性が重要視されている。それは決して現実世界の話だけではなく、MMORPGやSNSといったネット世界においても同様の傾向が見られる。そうであるが故に、非常に複雑化してしまった社会のように思われる瞬間があるのだ。
 したがって、移動性が強く認識されるようになればなるほど、同時に様々な事象を調整、もしくは遮断する境界、「ゲート」が設置され、稼動していく。しかし、逆説的に現代社会の既述のような状況を受け、「場所」の固定的な概念は消失し、様々なネットワークの結節点としてコミュニティが形成されていく。そして、人・物・情報というものだけではなく、疫病やテロ、そして恐怖等の感情までもが「全世界」的に「ゲート」を潜り抜けて、蠢いていく。やはり複雑化し、高度な移動性が必要とされる社会であろうか。
 詳細部分にまで突き詰めていけば、それは数多くの差異が存在してしまうであろうが、根底に流れる「移動」という事象への視線は、我々の認識する概念は、現代であろうと過去であろうと同様であると考える。その点において、本書はある意味で現代的な視点から読むことが可能であり、また、極めて現代的な問題を背負った作品だといえる。

  一 本書の内容

 本書は次のような構成で成り立っている。

序章 江戸時代における東海道交通施設の再検討
第一部 街道と宿場
 第一章 東海道の宿立と初期交通行政
 第二章 二川宿の本陣役を継承した馬場家の経営
  附論1 本陣
 第三章 新居宿旅籠の紀伊国屋
 第四章 二川宿の本陣・旅籠屋と立場茶屋の係争
 第五章 幕末における舞坂宿の宿財政
 第六章 御油の松並木
 第七章 秋葉信仰と秋葉道
  附論2 本坂通(姫街道)
 第八章 吉田湊から出港する参宮船
第二部 関所と川越
 第九章 江戸時代初期の女手形にみる関所機能
 第十章 関所と口留番所
  附論3 旅の障害
 第十一章 箱根関所の北方に配置された裏関所
 第十二章 東海道天竜川渡船に関する諸問題
 第十三章 幕末における江戸周辺の関門
あとがき

 本書の特徴及び位置付けは、「あとがき」の次の一文に表されている。

「第一段階として全般的な交通制度史をできる限り明らかにし、第二段階では陸上交通・街道の諸施設とその利用者との関係を探り、最終的にはあらゆる階層の旅人の実相を検討する、つまり交通をハード面から解明して、逐次、ソフト面を広範に紹介することが重要であろうと思っているのである。」(2)

 渡辺氏の前著である『近世交通制度の研究』では、その「全般的な交通制度史」に紙幅が割かれた。本書は、それに続く「陸上交通・街道の諸施設とその利用者との関係」について目を向けられたものと考えられる。
 東海道の交通施設を、旅人を支援する存在(第一部)と旅人の障害となった存在(第二部)という二つに分類をしている。第一章では東海道の施設としてまずは挙げられる宿場に焦点を当てている。御油・赤坂宿を検討し、関ヶ原の戦後慶長五(一六〇〇)年以降、矛盾を内包しながらも成立し、その後の機能低下により廃止される宿場の状況、また幕府の一元化による五三宿の成立について指摘している。第二章では休憩・宿泊施設として二川宿の本陣を取り上げている。享保一三年に本陣をつとめていた後藤家が没落後、名跡を継いだ紅林家の分家もまた本陣経営に行き詰まり、文化三年には本陣役を返上している。その後、継いだ馬場家は、やはり赤字経営になるが、家族の内職や建物の賃貸などの事業へと手を伸ばすことで、嘉永元年以降には黒字経営になったとしている。
 そして三章では同様の休憩・宿泊施設としての旅籠に焦点を当てている。新居宿の旅籠屋紀伊国屋を検討し、掛茶屋から出発し、和歌山藩の御用達、御用宿・船割宿を経て、他藩の船割宿をつとめるなどの変遷を明らかにしている。そして講宿としての独占的な経営に至ることで、同宿内の中小旅籠屋との対立等も浮上している。第四章では、二川宿にて、宿泊客としての幕府役人・諸大名をめぐり、本陣・旅籠屋と大岩町の茶屋との対立について述べている。これについて諸大名の財政問題や、通行数が多い場合は加宿であった大岩町の茶屋も引き受けていたという状況が指摘されている。第五章では文久・慶応年間の舞坂宿の財政について述べている。同宿は、往還稼ぎ以外は漁業を営んでいるのみであり、財政的に困窮にならざるを得ない状況であった。それに加え、天保改革での金融政策が宿財政を圧迫し、慶応二年には物価高騰がみられた。これらの赤字への対応は、幕府からの拝借金などの借金のみであり悪循環であった。
 第六章からは宿や本陣などの諸施設から離れ、社会史的な諸相について述べている。第六章では、慶長一二(一六〇七)年の朝鮮通信使の記録にある並木の記載と関連して、幕府の並木政策について述べている。また御油近辺の並木数などを一覧表として詳細部分まで明らかにしている。第七章では、秋葉信仰の普及により、道中記などに記載されるようになったことで、旅人が秋葉道を選択し、通行するようになったことを指摘している。しかし、この道は今切及び気賀関所の抜け道であるために、天竜川の渡船場に関所機能を付与することで建て前を成立させたとしている。附論2は姫街道に関する研究者の論争に触れ、街道が道中奉行の管轄になる様相について述べている。
 第八章では、吉田宿から伊勢まで参宮者を運んだ参宮船について触れている。吉田船町以外の村落や熱田宿、佐屋宿との確執について述べ、幕府によって吉田船町の運航独占権が公認され、そして幕末期に崩壊していく様子についても指摘している。

 続いて第二部へと移る。第九章では新発見の史料、新居町飯田家の元和元(一六一五)年の女手形などを使用し、近世初期段階の関所政策について考察している。江戸・駿府という二元政治の影響が手形発行にみられ、また女性自身も手形の発行が可能であり、その文言には人身売買抑制がみられるとしている。第十章は、幕府・藩の関所・番所に関する定説への若干の訂正論を述べるとしている。関所機能の基本として考えられている「入り鉄砲に出女」は寛永年間以降に中心的な方向性として定められていったとする。しかし、それ以降も機能が固定化されるのではなく、様々な商品流通へと対応している。諸藩では口留番所を設置し、中には流通商品から運上を徴収するものもあった。多くの関所では関所抜けが散見されたが、それは決して社会体制を崩壊させるものではないとしている。附論3では、旅の障害として、関所・川越だけではなく、山道・雪道などにも言及している。
 第十一章では、箱根関所の裏関所である矢倉沢・仙石原・川村・谷ケ村について述べている。それぞれの関所の機能・警備・運上などを詳細に検討し、その存在の影響力は周辺地域にまで及んでいるが日常生活まで深く踏み込んでいるわけではないとしている。
 第十二章では天竜川・馬入川の船頭保護に関して述べている。渡船場の移動や運営権の変容について指摘し、また大通行時や外国使節通行時、また天竜川決壊時などの様相についても触れている。
 第十三章は、遠江・三河国内に限定して述べられてきた他の章とはやや毛色を異にするが、幕末期に江戸・横浜周辺に設けられた関門・見張番所について述べられている。さらに東海道筋の渡船場にも設けられたが、これらは対外関係的要因のほかに打ちこわしなどへの対応だとしている。また、徳川家茂の上洛の際、江戸端四宿に番所を設置し、それらが他地域にも影響力を広げていく様相が指摘され、箱根関所などよりも新設関門のほうが厳重な検閲を行っていたことを述べている。

  二 表象としての「旅」

 本書は交通に関するハード面から次第にソフト面へと研究対象が移行しつつあるのが一番の特徴である。つまりソフト面の旅を考察すること、これが最終目的の一つであろう。以下、本書に関して、特にソフト面に着目しながら私見を述べていく。
 旅というのはハレの存在であることは既に多く語られてきている(3)。ハレであるが故に、人々は旅に憧れ、そしてその憧れは様々な記述に反映され、そしてフィクション等にまで立ち表れてきた。

「宇宙に憧れるように、外国に憧れる時代がたぶん昔あったと思います。旅行して実際にその土地を踏んでみたあとでも、まだまだ憧れています。漫画は憧れを描くもの、と決めたのもこの頃だったと思います。(中略)旅行は大好きですがなかなか行けないので、かわりに漫画に描いたのだと思います。旅行ガイドをめくってどこに行こうかなーというのと同じ気持ちで、毎回、どんな風景を描こうかな! と思ったりしました。」(4)

 先述のように様々な特性を抱えた現代社会においても、その憧れは同様であり、右引用からもそれは指摘できる。そして、人々の意識は、憧れの対象を時に異国、時に異域と境界線を常に認識しながら、逆説的にそれらを跳ね除けるように広がっていった。「唐人」認識が決して江戸時代特有のものではなく、現代コンテンツ文化にも顕著に現れるというのは、その一つの示唆となりうる(5)。ある意味で、我々の憧れが記号化され、「妄想」や「理想」の中で成立しているが故に、そしてそのようなフィクション性がイノセントに追求されていく中で、描かれている「旅」や「異国」「異域」といったイメージは、その正確さとは無縁に当然視されていく。
 もちろん、それは江戸時代においても同様である。様々な旅日記、道中記が残されているという点(6)、また、旅がフィクションとして描かれていくという点(7)、そして描かれていく対象が移動する「異国」や「異域」の存在であるという点(8)などを鑑みても旅や移動、そしてそれらの事象の結果としての「異国」や「異域」に対してのある種の志向性が指摘できる。様々な思いや憧れが混じり合った「旅」への視線が、そこには確かに存在する。当然ながら、思いや憧れといったものは、主体の変容によっていくらでも変化していく。そして、それはまた時代性や社会性・地域性など様々なものが内在し、様々な変容を受けていくものでもある。

「おかえり」
「学校行ってきた」
「学校?フーン、お前……学校行きたい?」
「もう行ったからいいよ。それより次はどこ行くの?」(9)

 しかし、それでもなお、憧れといったものによって突き動かされたフィクションの主人公は右引用を見るまでもなく、「旅」を終わらせることはできないのだ(10)。

  三 「旅人の目」の有用性と危険性

「私たちは旅をする。そして私たちは好奇心の強い観察者となる。観察者は、ある社会なり文化を前にして、あらゆることに関心を持とうとする。好奇心の振り向けようは、そこに属す構成員の価値観とは関係がない。そして観察者は、しばしば構成員にとってはあまりにも当たり前のことに注目する。」(11)

 前述のように人々は「旅」を志向する。しかしながら、その志向性に寄り添ってしまうと大きな危険にさらされることもある。右の高橋氏の引用文のように、確かに旅人はしばしば観察者として、非常に新鮮な視線を向けることがある。そして、その新鮮さというものは、我々研究者にとっても、時に斬新に、時に心地良く受け止めてしまう場合が多い。
 ただし、それに安易に流されてはいけない。グローバル化する現代社会においても、高度な移動が「全世界」を支えていく反面、そこから取りこぼされていく事象もまた同様に存在する(12)。それと同じように様々な差異が内包されている諸地域に対し、その外側に帰属する旅人が視線を向けるということは、その差異を全て捨象し、視線の主体によって平らに均されてしまうのである。
 したがって、本書はハード面とソフト面という交通の二面性を強く意識している点がバランスの取れている点といえよう。特に旅人を時に支援し、時にその障害となる諸施設へ焦点を当てたことだけではなく、施設とその周辺地域にまで視線を向けたことが高く評価できる。

  四 陸域と海域

 本書の特徴的な点として、もう一つ挙げるとすれば、それは海域をも視座に入れているということであろう。特に第八章に顕著にみられるが、陸域を考察するのには海域世界は最早、捨象すること不可能である。陸域と海域を複合的に捉え、地域と地域を結ぶ地域として、陸域と海域が有機的に結合してしかるべきである。さらにはその諸地域の接点として港町(もしくは港市)が指摘される。

「海域世界の人たちにとって、「商売」はわれわれが考えるような一時的・短期的に終わるモノとモノの交換取引だけでなく、長期的なさまざまな「付き合い」、「関わりあい」を目的としたものであること、彼らはそうした広義の商売を通じて、人、モノや情報との出会い・交流を求め、まるで自分の庭を歩き回るように、勝手知ったいくつもの港市の間をめぐり、広く海域全体を舞台に生きていること、などの点が理解されるのである。」(13)

 家島氏が指摘するように人々の動きは地域性・時代性の差異はあるとはいえ、海域世界に大きく広がり、様々な事象が人の移動と連動している。最早、総体的な問題関心をクリアするためには陸域だけでは追いつかない(もちろん海域だけでも同様ではあるが)。
 この点において、本書は参詣・参宮といった旅人に主に焦点を当てているのみであって、海運等の動きに目を向けていないかのように思える。しかし、渡辺氏は第三一回交通史研究会大会「交通の十字路−東海の交通史−」においてコーディネーターをつとめている。その趣旨文では、「特に海運・河川舟運・内陸交通の連携を探ることが重要であるということは多くの人々の共通した認識」(14)としている。著者の今後の研究の進展に期待するばかりである。

  おわリに

 駆け足のように、様々なことを雑然と書いてきてしまった。それは的外れな部分が多いであろうが、全ては評者の力量不足である。ご寛恕願いたい。本書は東海道全域ではなく、遠江・三河両国を中心として検討しているが、その地域の限定性に関わらず、交通という問題を考える上では必携であるといえる。特に交通は政治・経済・文化・流通・情報など数多くの側面と連携していく学問分野である。本書の存在は、今後の学界への大きな業績であるといえよう。

【註】
(1)ジエラード・デランティ(山之内靖、伊藤茂訳)『コミュニティ グローバル化と社会理論の変容』NTT出版、二〇〇六年。
(2)本書四七一頁。
(3)神崎宣武『江戸の旅文化』岩波書店(岩波新書)、二〇〇四年。
(4)入江亜季『コダマの谷』エンターブレイン、二〇〇六年、二三六・二三七頁。
(5)吉田正高「大衆文化に表現された『唐人』にみる東アジア認識−仕種・音曲・装束−」『アジア遊学』第三七号、二〇〇二年。
(6)大田区立郷土博物館編『特別展旅人100人に聞く江戸時代の旅 弥次さん喜多さん旅をする』一九九七年、など多数。
(7)綿抜豊昭『「膝栗毛」はなぜ愛されたか 糞味噌な江戸人たち』講談社(講談社選書メチエ)、二〇〇四年、など多数。
(8)前掲註5の吉田氏論考、横山学『琉球国使節渡来の研究』吉川弘文館、一九八七年、 池内敏『「唐人殺し」の世界−近世民衆の朝鮮認識』臨川書店、一九九九年、同『大 君外交と「武威」』名古屋大学出版会、二〇〇六年、ロナルド・トビ『近世日本の国 家形成と外交』創文社、一九九〇年、鈴木文「延享−寛延期の『朝鮮ブーム』に見る自他意識−木村理右衛門著『朝鮮物語』を中心に」『歴史評論』六五一号、二〇〇四年、など多数。
(9) 前掲註4、二二二頁。
(10) 前掲註7の綿抜氏著作も参照。
(11) 高橋公明「外国人の見た中世日本」(村井章介・佐藤信・吉田伸之編『境界の日本 史』山川出版、一九九七年所収)。
(12)カレン・カプラン(村山淳彦訳)『移動の時代 旅からディアスポラヘ』未来社、 二〇〇三年。
(13)家島彦一『海域から見た歴史 インド洋と地中海を結ぶ交流史』名古屋大学出版会、二〇〇六年、七五頁。
(14)渡辺和敏「第三一回交通史研究会大会『交通の十字路−東海の交通史−』趣旨説明」『交通史研究』第五九号、二〇〇六年。


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