著者名:斎藤康彦著『産業近代化と民衆の生活基盤』(近代史研究叢書一〇
評 者:小岩 信竹
掲載誌:「日本歴史」705(2007.2)

 一定の府県域に着目しつつ、近代日本の諸問題を論じた著作は少なくない。近代日本の府県域は地域住民の生活の重要な単位であり、また府県や市町村単位の 豊富な文献資料や統計書があるので、府県域を詳細に研究することによって近代史上の諸問題が解明できるからである。山梨県を研究の対象としている本書は、 この流れの中の業績である。
 まず、本書のねらいについて見よう。本書は、著者のこれまでの著作である『地方産業の展開と地域編成』(多賀出版、一九九八年)、『転換期の 在来産業と地方財閥』(岩田書院、二〇〇二年)とあわせて、近代の山梨県の民衆像の提示を目指しており、特に生産活動、就業構造、所得のあり方を含めた生 活の総体を解明している。著者によれば、近代の山梨県域は、明治前期に生糸生産が奨励されたのを契機に工業生産が器械製糸業に特化し、蚕糸モノカルチャー とも性格付けられる産業構成を構築したが、昭和初年の恐慌により県の生産価額の一挙半減という壊滅的な打撃を招いたとされる。
 本書の第一の課題は、明治期から昭和戦前期にかけての時期の日本にあって圧倒的多数を占めた農村労働力が、いかなる変質を遂げ、そのことが地 域産業の発展をいかに規定していったかを明らかにすることであるとされ、またそこでの問題関心は、労働力市場の形成や就業構造の変化が生じた実態を解明 し、それが地域社会の何に帰結したかを究明することにあるとされる。さらに著者は、地域社会が資本主義的生産によって包摂されていく過程を、民衆の生産と 生活の場面で捉えようとするとき、その具体的な表象が所得であるとしている。
 次に著者の方法的な立場について見よう。本書はタイトルに「民衆の生活基盤」の文字が付され、民衆生活の究明をめざしているが、表層的な民衆 像を描くつもりはないと宣言されている。山田盛太郎、永原慶二、牛山敬二氏らの研究を批判的に継承しつつ、就業構造の変化を分析し、労働者を生み出した農 村社会の産業革命期の具体的な実情を解明して、民衆の生活を明らかにしようというのである。著者の視点は、資本主義的生産の支配が全産業部門に広範化する 過程を民衆の側から捉えることであり、本書中にも指摘されているように、産業革命研究について、民衆の生活と消費の具体相とその変化の把握に機軸が置かれ なければならないとする、石井寛治氏の指摘に通ずるものである。

 ここで、本書の構成を見よう。まず、冒頭に「課題と方法」が置かれ、末尾に「総括」と「あとがき」があるほか、第一部「産業化の進展」、第二部「就業構造と労働力移動」、第三部「在地資本と所得構造」に分けられ、さらに各部が二、三の章に分かれている。
 第一部では明治期において山梨県の農業生産は基本的に繭を基軸にして米麦生産に取り組む米と繭の経済構造が構築されたこと、全国有数の養蚕・製 糸県であった山梨県では養蚕業は副業と考えられていなかったこと、また大正期においては山梨県では農産価額が工産価額を上回るようになり、農工の逆転がお こり、全国動向とは反対になること、大正期以降の山梨県は物資の流入出ではプラスであったが、繭と生糸に支えられていたことなどが指摘されている。
 第二部では、明治前期の就業構造と明治期から昭和期にかけての、職業構成と労働力移動が解明されている。特に農村雑業層や家族労働の実態を解 明することに課題が置かれており、明治期においては、平場農村では農村雑業層として存在した家族労働力は零細小作経営を補完する機能をもっていたこと、山 間部農村では、一家総掛かりによる労働が行われていたことなどが明らかにされている。また明治・大正期において、連年にわたり大量の製糸女工の流出があ り、長野県に差を付けられる原因になったことなどが指摘されている。
 第三部では、明治二〇年代の在地資本の集積状況が解明され、一定規模以上の有力資産家の存立には、背景にある程度の蓄積基盤が必要であること、零細農民の農業経営には小作せざるを得ず、また養蚕が必要であったことなどが指摘されている。

 以下に、本書の特徴と評者が感じた問題点を指摘したい。第一に、本書の分析手法の特徴は、詳細な統計処理による論点の展開にある。本書で使用さ れている資料の大半は統計資料であり、その中には山梨県統計書のような、容易に接近可能な資料もあるが、利用が困難な貴重な統計書も多い。これらは著者や 他の多くの研究者による収集の成果である。また、接近が容易な統計書であっても大部なものが多く、処理には多大の労力を要する。その困難を克服して、多く の図表を作成された著者の熱意に、敬意を表したい。こうした作業により、著者は重要な論点を多く導き出した。特に第一部では、これまで未使用であった資料 も駆使し、町村レベルでの物産構成が明らかにされており、地域の分業の構造が解明された。町村レベルでの議論は第二部や第三部でも行われている。蚕糸モノ カルチャーの形成と崩壊という、山梨県全体の動向は明瞭である一方で、個々の村落やそれらをつなぐ県内の地帯区分が地図上に示され、それぞれが個性的であ る。また、第一部第三章第三節の末尾には、「米と繭の経済構造」を構築した山梨県にも、昭和初年に多様な副業生産があったと記されている。こうした県内各 地域の個性を、全体像とどのように関係づけるのかの問題が残されているように思われた。
 第二に、本書には特に労働力の流出に関して、山梨県と長野県の関係が深いことが示されている。特に第二部第二章で明らかにされているように、 山梨県から長野県諏訪地方への製糸女工の流出が多い。そしてこのことが、山梨県の器械製糸業がさらに発展することを制約し、長野県に決定的な差を付けられ る結果を惹き起こしたとされる(二六八頁)。それでは、山梨県と長野県の展開の差をもたらした要因は何なのであろうか。山梨県と長野県の発展過程の異同と その理由が述べられていたなら、本書の理解が一層増したのではないかと思われた。最後に、本書が、山梨県域の近代史理解に不可欠の労作であることは疑いな いことを記しておきたい。

(こいわ・のぶたけ 東京海洋大学海洋科学部教授)
 
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