著者名:有薗正一郎著『近世東海地域の農耕技術』
紹介者:有薗 正一郎
掲載誌:「民具マンスリー」39-10(2007.1)

 本書『近世東海地域の農耕技術』は、近世に東海地域で著作された農書の営農技術の中から、東海地域の性格を拾って記述した本です。章立てを並べてから、農具に関わる五つの章を紹介します。

第1章 近世農書にみる三河国平坦部の耕作技術
第2章 耕作技術の地域性−『農業時の栞』
第3章 木綿耕作法の地域性−『農業日用集』
第4章 木曽三川河口部の水田耕作法−『農稼録』
第5章 飛騨古川盆地の耕作法−『農具揃』
第6章 岐阜県東部で使われていた人力犂
第7章 耕起具の発達過程にみる人力犂
第8章 東アジアの人力犂
第9章 三河国村松家の夏季畑地輪作
第10章 渥美半島の「稲干場」
第11章 近代初頭 奥三河の里山の景観
第12章 豊川下流域の不連続堤と遊水地
第13章 近代初期 伊賀国庶民の日常食
第14章 ヒガンバナの自生地と集落の成立期

 第4章では、尾張国の長尾重喬が安政六年に著作した農書『農稼録(のうかろく)』を使って、木曽三川河口部の低湿地農法を復原しました。海抜 0m前後の低湿地の中でも細かな起伏があって、水は思いどおりには制御できませんでした。そこで、深水の場所は土を掻き上げて田にし、小高い場所は掘り下 げて田にし、その間の田は冬に高畦を作って土を乾かして地力を向上させる技術を、『農稼録』は記述しています。冬の高畦作りと初夏の高畦崩しに使われたの が、図1(省略)の四つの農具です。
 第5章では、飛騨国の大坪二市が慶応元年に著作した農書『農具揃(のうぐせん)』の耕作技術について述べる中で、人間二人で主に田の耕起に使う、飛騨国で「ひっか」と呼ぶ人力犂について記述しました。
 第6章では、近世〜二〇世紀前半に、岐阜県東部の水はけのよい棚田で、春の耕起に使っていた、人力犂の分布・形態・用途・使用法(図2・省略)について、使用経験者から聞き取ったことを記述しました。
 第7章では、岐阜県東部で使われていた人力犂が、耕起具の発達過程の中でどのような位置を占めるかを論じました。人力犂は形態は畜力犂に近いの ですが、操作法は踏み鋤や打ち鍬と同じ反復操作を繰り返しますので、人力犂は踏み鋤や打ち鍬と畜力犂の間に位置付けられるというのが私の考えです。
 第8章では、東アジアで使われていた人力犂の分布・形態・操作法について記述しました。主な資料は文献ですが、私が日本の内外で見てきたことも入っています。岐阜県東部の人力犂は人間二人が反復操作を繰り返す耕起具ですが、中国には人が引く犂もありました。
 
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