著者名: 竹谷靱負著『富士山の祭紳論』
評 者: 中嶋 信彰
掲載誌:「富士山文化研究会会報」22(2006.12)

 周知のことと思われるが、筆者「竹谷靱負」は、本会会長「竹谷誠」氏の富士山関係の論考における筆名である。この古風な筆名を竹谷氏が使われることにつ いては、氏が吉田御師「古竹屋」の御子孫であることに起因している。「古竹屋」はもと小沢姓であり、明治に「竹谷」と改姓した。(「筒屋」のおばあちやん が、家とは親戚だというのも、決して間違いではない。)「靱負」が、歴代の官名として使われるようになったのは、永禄年間の川中島の合戦以来というから竹 谷家はかなりの古い家柄である。この「靱負」は衛門府の衛士であり、古代の職制では、武人を意味する。そのためか、これを名にし負う氏は、温厚な外見とは 裏腹に、研究に対する姿勢としては確かに武人の一面を持っている。

 氏は富士吉田の「すその路研究会」のメンバーとして活躍されていたが、一九九八年、『富士山の精神史〜なぜ富士山を三峰に描くのか〜』によって 富士山研究の領域で重要な位置を占めるに至った。氏の研究の特徴は、既存の理論を鵜呑みにせず、定説として見逃されがちな事象を膨大な資料を基に検証して いくことにある。まさに、エジソンの名言「1lのインスピレーションと99パーセントの努力」を地でいく論考である。『富士山の精神史』でもその特徴は遺 憾なく発揮され、調査の副産物として、広重の富士見徐福(!?)」の登場人物を「朝鮮通信使」の随者であると解明する大発見をされた。

 本書『富士山の祭神論』では、「富士山縁起」を中心文献に据え、大日如来から天照大神、千眼天女、赫夜姫へと変遷する祭神のミッシングリングを 発掘する栄誉を手にすることとなった。実は、近世までの「千手観音」が通称「千眼(せんげん)観音」と呼ばれていたことに注目し、富士浅間の本地は「観 音」であることを、筆者も指摘していたのだが、氏にご提供した架蔵の資料によって自説とは別系統の結論が示されたのには、一抹の嫉妬を感じる。しかし、架 蔵の資料も筆者の手元に死蔵されていたら、かくも詳細な検証の対象とされることはなかったであろう。また、氏は富士吉田と伯家神道の関係、森専鉾の教導活 動について調査されていたが、これらが糸が紡ぎあわされるようにひとつの成果となり、本書の論証の一部として活用されていることには、むしろ驚きを感じ る。富士山祭神の定説に慣れきっていた頭脳に強烈なインパクトを与える好著である。参考文献集としての活用が可能なほど豊富な文献資料も見逃せない。

 故岩科小一郎氏の『富士講の歴史』には、山中で道に迷い、木花咲耶姫と遭遇した先達が、かの姫を「いい女でした。」と語る逸話があるが、氏の富 士山に対する執着、祭神を語る愛情のこもった視線を考えると、氏もまた赫夜姫の魅力に惑わされた一人といえるだろうか。「竹取物語」の富士の地名譚が、 「不死」の山ではなく「武士」の山であることを考えれば、「靱負」がかの姫に恋い焦がれるのは、また必然であるともいえよう。

 氏の人となりを理解できるエピソードを最後にひとつ。『不思議の国のアリス』の作者、ルイス・キャロルがエリザベス女王に「次作も期待していま す。」といわれ、贈呈した本が本業の数学の本だったという落とし話は、(本人は否定しているが)有名であるが、『富士山の精神史』後に、氏よりご恵贈いた だいた本は、
STRUCTURE ANALYSIS METHODS FOR INSTRUCTINOT
(!!!)
氏が工学部情報工学科の教授であることに改めて気づいたのであった。
 
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