著者名: 松本一夫著『日本史へのいざない−考えながら学ぼう−』
評 者: 加藤 公明
掲載誌: 「千葉史学」49(2006.11)

 教室で四〇人近い生徒たちを前に、毎日歴史の授業をしている教師たちにとって、一番困ること、嫌なこと、つらいことといえば、それは、一生懸命教師が説 明している歴史になんの関心も示さず、少しも授業に集中しない生徒がいることです。そんな生徒がなん人もいるようなクラスへは、授業に行く足取どりも重く なりがちです。
 「歴史の授業はいつも、先生の説明ばっかりで、ちっとも面白くない」、「昔のことなんて勉強してなんになるの?今の私たちには関係ないじゃ ん」、「板書をノートに写せって先生は言うけど、そんなことしなくても、テストの前に教科書を暗記すればいい」、彼らはそう考えているのです。このような 生徒たちの歴史の授業に対する否定的なイメージ【一方的な講義式授業、教育内容における教養主義、暗記主義的な学力観】を放置しておいては、生徒一人一人 が歴史を主体的に学び、クラス全体が学習集団として生き生きと活動する授業など、実現するわけがありません。どうしたらいいのでしょうか。
 この問いに特別な答えはありません。授業を生徒たちにとって魅力的なものにしていく他ないのです。彼らの若い知的な好奇心を振起して「面白 い」と思わせ、現在の生活を反省したり、今後の自分の生き方の指針になるような歴史の見方・考え方が得られ、一人で暗記するのではなく、みんなで調べ、意 見を出し合いながら、各自の考えを深めたり広めたりすることが本当の歴史の勉強なんだと実感させられる、そんな授業を作り出していくことが求められている のです。そして、そんな授業にとって、生命線となるのが教材です。
 教材とは教育内容(学ばせたいこと)を学習内容(学びたいこと)に転化させる媒介となるもので、何を教材として選択するかで授業の成否が決す ることを、教師は経験上よく知っています。したがって、教材開発のために多くの時間と労力を費やしているのですが、これが一朝一夕にはいきません。良い教 材の要件は「教育内容を十分に内在させていること」と「生徒がそこに内在する教育内容を主体的に獲得するための入り口となる魅力ある問題提起が可能である こと」です。この二つを同時に満足する教材を開発するには、広くて深い学問的な見識はもちろんですが、それだけではなく、生徒たちの歴史意識、つまり歴史 にたいする興味・関心のあり様ですが、これを適確に分析して、どのような歴史をいかなる視角から取り上げれば、彼らは歴史を自分の問題として考えるように なるかについても、正しい理解が必要となります。したがって、どんなに熱意と力量に優れた教師だとしても、独力で、一年間の授業のすべての単元に最適な教 材を開発することは、至難の業といえましょう。そこで、志を同じくする者が互いに学びあう交流の場が必要ということになるのですが、今般、そのための有用 なテキストが出版されました。それが、松本一夫著『日本史へのいざない−考えながら学ぼう−』です。

 著者は、栃木県立文書館にお勤めですが、長年高校で教鞭をとられ、その間日本史を担当されたのは「たった一年だけ」ということですが、県内の大 学で日本史概論や地理歴史科教育法の講座を担当され、精力的に日本史の授業のための教材開発を進めてこられました。本書はその成果をまとめられたもので す。まずは、内容を目次の項目をもって紹介します。

はじめに
《お願い》この本の読み方について
原始・古代
 1 縄文人と弥生人−日本人のルーツをたどる−
 2 天皇家の系譜と大和政権
 3 聖徳太子の実像に迫る
 4 律令官人の悲哀
 5 藤原道長の悩み
《教師のためのページ》(1)教材づくりの方法
中世
 6 鎌倉幕府の成立はいつか−1192年は誤り?−
 7  元寇失敗の背景
 8  山内経之の苦闘戦乱の南北朝時代に生きた−地方武士の実態−
 9  金権体質だった(?)室町幕府    10  長篠の戦信長−勝利の背景をさぐる−
《教師のためのページ》(2)発問を中心とした授業構成
11 「鎖国」とは「開国」だった!?
12  江戸時代は環境破壊の始まり!?
13  大名にとって参勤交代とは!?
14  江戸時代の百姓は本当に貧しかったのか?
15  江戸幕府の法は、農民がつくらせた!?
16 ペリーが日本に来たわけ
17  江戸時代に始まった近代医療
《教師のためのページ》(3)授業の実践方法−グループによる発言競争−
近現代
18  日清戦争−列強の思惑と日本の政略−
19  日露戦争「勝利」の背景
20  ワシントン体制と日本
21  アジア・太平洋戦争への道
22  戦前も象徴天皇制だった!?
《教師のためのページ》(4)よりよい歴史教育をめざして
あとがき

 叙述のスタイルは、いわゆる授業書形式で、一つのテーマに10問程度の設問があり、それを読者は順次答えながら読み進めていくと、最後に解答・解説編があり、テーマについての全体的な認識が獲得できるという構成になっています。
 たとえば、「1 縄文人と弥生人−日本人のルーツをたどる−」の設問は次の通りです。

 【問1】なぜ、このような違い(現代日本人と縄文人の歯の噛合せ)があるのでしょうか。
 【問2】鳥浜貝塚で調べた縄文人の摂取カロリー 
 @(  類)43%、A(  類)23%、B( 類)%
 上の@〜Bには、どんな食べ物が入るでしょう。
 【問3】このように、貝は縄文人にとって主要なカロリー源ではなかった、といえます。しかし、食料としての貝の良い点もあります。それはなんでしょうか?
 【問4】縄文人には「食人」の風習があったと言われています。これは現代から見れば野蛮極まりないことに思えますが、ただ空腹だからたべるということではなく、別の意味があったという説もあります。それはどんなことと思いますか。
【問5】骨からわかる縄文人の男の推定平均寿命は、次のうちどれでしょう。
 @19歳 A31歳 B45歳 C58歳
【問6】ところが実際は、平均寿命は問5の答えより、もっと下がる可能性があります。それはなぜでしょう。
【問7】こうした条件の下で、縄文人たちが人口を維持していくためには、女性1人が平均何人の子供を産む必要があったと思いますか?
【問8】縄文人がつくった右のような形をした土偶は、問7の答えをふまえると、どんな願いが込められていると思いますか。
【問9】鈴木尚という学者は、各時代の骨を数多く調べて、その平均身長を発表しました。身長の高い順にした正しい組み合わせは、次のうちどれでしょう。
 @弥生−鎌倉−現代−縄文−江戸   A現代−鎌倉−江戸−縄文−弥生
 B現代−弥生−鎌倉−縄文−江戸  C鎌倉−現代−弥生−江戸−縄文
【問10】この金関説(朝鮮半島から新しい文化をたずさえた人々が北九州・山口に渡来し、土着の縄文人と混血した)への反論はできないでしょうか。12頁のグラフを見て考えてみましょう。

 どの問いも極めて刺激的で、思わず考えてみたい、正解や解説をはやく読みたい、と思わせるものばかりです。著者の「まずなによりも、授業を行う 教師自身が『これは知らなかった!』『面白い!』と思ったものでなければなりません」という教材選定への意気込みが、このような問いを生みだしているので す。そして、こうした問いが、「生徒が既にもっている歴史に対する常識に揺さぶりをかけ、…『あれ、おかしいぞ?』『なぜなの?』という気持ちをもたせ る」ということになるわけです。生徒の興味・関心が歴史に向く瞬間といえましょう。しかし、著者は教材作りには今一つ大切な観点があるとします。それは、 「そのことを追究させることで、全体がある程度理解できるような、切り口の鋭いものだけにしぼるべきだ」というのです。歴史にはさまざまな側面があり、そ れぞれに興味深い事実が潜んでいるのですが、限られた時間の中で、現代まで扱わなければならない日本史の授業においては、どのような角度からであれ、その 時代の本質に迫る方向で時代の全体像を生徒に獲得させなければなりません。授業で考えたことやわかったことを踏まえて、その時代がどのような時代だったの かについて、生徒なりの認識形成がはかられなければならないわけです。その意味で教材精選の重要な基準を示す貴重な提言だと思います。

 さて、読み終えて、私がぜひとも参考にして追試したいと思ったのが、「8 山内経之の苦闘−戦乱の南北朝時代に生きた一地方武士の実態−」で す。現在の東京都日野市に本拠地があった山内経之という地方武士が南北朝の動乱期に北朝側の高師冬軍の一員として出陣し、常陸国で南朝勢力と激戦を繰り返 します。最終的には師冬軍が勝利して南朝勢力を常陸から駆逐することに成功したのですが、経之自身は途中で戦死したと思われます。通常であれば、授業で取 り上げられることのない、このような無名の一地方武士に著者は焦点をあてて、発問を重ねていきます。幸い、戦闘のさなかに経之が妻子に宛てた手紙の束が日 野市の高幡不動の胎内から発見され、『日野市史史料集』に掲載されています。それを丁寧に読み解いていく授業です。
 まず、そこから浮かび上がってくるのは、戦場にあっても食料や人夫の補給を遠方の自分の領地に求めざるをえず、結果、その負担は残された家族 や領民に転化されるというこの時代の武士の戦いの現実です。当然、事態は経之にとって悪化の一途をたどっていきます。領主の不在を好機として領民たちによ る年貢・公事の収納拒否闘争が繰り返されるようになったのです。そのような領民に高圧的な態度で臨みながらも、対応に苦しんでいる経之の姿は、とても戦い に勝利した側の武将とは思えません。戦線離脱をしたくても領地を巡る訴訟を抱えているがために激戦を戦い抜いていかなければならない、「一所懸命」な中世 武士としての経之の生き様は、哀れですらあります。

 これまでの歴史教育は戦争をいかなる立場から捉えてきたでしょうか。それは大方の場合、国家や軍隊を単位に、その指導者たちの立場ではなかった でしょうか。彼らがどんな原因・理由・目的で戦争を開始し、遂行したのか。その勝敗は彼らやその国家・軍隊にとってどのような意味があったのか、などで す。そのことがわかれば、戦争が理解できたつもりになっていたといっていいかもしれません。しかし、たとえ、勝ち戦であったとしても、経之のような戦死者 はでます。この常陸での南北朝両勢力の戦いは、勝利した北朝や室町幕府、高師冬らにとっての意味と、そのもとで戦ったとはいえ、苦戦しながら最後は戦死し たとされる経之及びその家族にとっての意味は自ずと別ではないでしょうか。この教材はそのことを生徒に考えさせるに十分な教育内容を有しています。また、 具体的で臨場感にあふれた記述からは、経之の立場になってこの戦争の意味を生徒に考えさせるためのさまざまな問題提起が可能と思われます。本書で、著者が 例示してくれている発問を参考に自分が教えている生徒の実態に応じた問題提起を考えたいと思います。
 戦争を捉える視点として、国家や軍隊、指導者にとっての意味だけでなく、その戦争に関わった一人一人がどのような事情のもとでどのように戦争 に関わったのか、そして、その経験や結果はその人々にとってどのような意味があったのかを考えることが重要だと思うのです。というのも、国家や軍隊、指導 者が戦争の意味を声高に叫び、再び人々を戦争に導こうとした時、それが本当に自分たちにとって意味のあることかどうかを生徒が考える下地となると思うから です。現在の日本の政治や社会の情勢を考えると、歴史教育において、そのような視点から戦争を捉えさせることの重要性はますます増大しているような気がし ます。

(千城台高校)
 
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