渡辺喜勝著『文字マンダラの世界―日蓮の宗教』
評者・間宮啓壬 掲載誌・宗教研究74-1
(通巻324)2000.6

 日蓮研究を担ってきた、また現に担っている主要な立場として、次の二つを挙げることに異論はあるまい。一つは、信仰を同じくする宗門人達によって蓄積されてきた「宗学」の立場である。もう一つは、宗門とは一定の距離をとる「思想史・歴史学」の立場である。
 こうした研究状況にあって、本書の立場は一風変わっている。著者の渡辺喜勝氏は、東北大学で「宗教学」を専攻した研究者であるが、本書では、西洋に成立基盤をもつ宗教学の諸理論を前面に立てて、日本の仏教者である日蓮を分析するという方法はとられていない。もちろん、必要に応じて、エリアーデやM・ウェーバー等の理論が用いられはする。しかし、それはあくまでも「援用」に過ぎない。本書の基本的立場は、日蓮自身に即して、日蓮を内在的に理解しようとする点にあるといってよく、その際、後述するように、「宗学」とも「思想史・歴史学」とも異なった独自の立場から、日蓮の宗教が語られるのである。そうした独自性に、「宗教学」から摂取し得たことを達人的宗教者の研究方法に昇華しようとする、著者の工夫の跡を看取し得るのではないかと思う。
本書を貫く基本的立場は、著者の言葉を借りるならば、「日蓮の宗教をできるだけ総体として把握」(九頁)することにある。この立場は、本書の全編を通して堅持されている。
一般的にいって、「宗学」の場合、特に教義に関わる日蓮の言説に即して、日蓮の宗教的特質を抽出し、それを一個の「理念型」として体系づけることに関心が傾かざるを得ない。それが「宗学」の担うべき使命だからである。しかし、「理念型」を求めるものである以上、ややもするとスタティック(静的)な日蓮像を描き出しかねない。その点、本書の著者は、日蓮という人物が、教義を語る明晰な論理性と共に、豊かな情感の持ち主であり、その両側面を分かち難い仕方でダイナミックに表現しつつ、実際に弟子・信者と接し、教導していった宗教者であることを、常に念頭においている。
 さて、日蓮研究のもう一方の柱である「思想史・歴史学」の立場、殊に、近年多大な影響力を発揮している顕密体制論に基づく立場が、鎌倉新仏教を頂点におく発展史観の危うさを指摘し、日蓮の位置づけに関しても新たな知見を提供してきたことは、今更いうまでもない。しかし、そうした立場も、日蓮という宗教者がもつ活き活きとしたダイナミズムにまで目を配ることは、まずなかったといってよい。これは、日蓮をあくまでも「歴史」の文脈でみようとする方法自体の限界であるといえよう。
 このように本書は、「宗学」にも「思想史・歴史学」にも還元されない独自の方法で、日蓮の宗教という「有機的な統合体」(九頁)を描き出すことに成功しているのである。
 以上、総括的な概評を述べてきたが、次に、本書を構成する各章の概要をみておきたい。
 まず、「序論」においては、本書の目的と方法が提示される。従来の膨大な日蓮研究を、著者はおおむね二つの方向に分ける。一つは、日蓮における思想形成の過程に着目する方向、もう一つは、日蓮独自の宗教的特質の解明に意を注ぐ方向である。著者は、後者により日蓮の宗教の多面的特質が明らかにされてきた点を評価しながらも、個々の特質の強調は、日蓮の宗教の総体性を時として見失わせる危険性を伴うことも指摘する。その危険性を回避する意味からも、前者、即ち日蓮の思想形成史に目を配る必要があるとされる。その上で、著者は本書の目的を次のように提示する。「日蓮の信仰において、『法華経』と人間がどのように位置づけられ、かつそれらがどのように関連づけられたかを探ることで、救済の構造とその特色を考察したい。そしてそれを核にして、日蓮の宗教をできるだけ総体として把握してみたい」(八−九頁)。
 かかる目的を果たすための方法として、著者は日蓮の「文字マンダラ」を手がかりとする。著者によれば、それは、日蓮の信仰が凝縮された場であると同時に、救いの世界たる「仏国土」の象徴であり、また日蓮自ら信者に授与することで、「信仰交流の証書」(九頁)としての役割を果たしたものでもある。その意味で、著者は文字マンダラを「日蓮の信仰と宗教の総体」(九頁)と位置づけるのである。本書のタイトルである「文字マンダラの世界」に、「日蓮の信仰と宗教の総体」をみようとする理由が、こうして示される。
 第一章は「文字マンダラの成立と形態」である。現存する文字マンダラは、日蓮五○歳のものから、没年にあたる六一歳のものに至るまでの計一二七幅に及ぶ。これらはいずれも「本尊」として描かれたものであるが、中央の首題(南無妙法蓮華経)、日蓮の自署といった共通項を除いて、神仏・諸菩薩・人師等の多寡や配座については、時間の経過と共に変化がみられる。従来、これら全ての本尊が「マンダラ」と称されてきたわけではない。日蓮自身、五二歳に至ってはじめて、自らが描いた本尊に「大曼陀羅」の呼称をあてており、従ってそれに先行する「一遍首題」「一塔両尊」等の本尊形式は、必ずしも「マンダラ」とみなされていたとはいえないからである。しかし著者は、これら全ての本尊をあえて「文字マンダラ」と総称する。著者は「日蓮において本尊とは、配座神仏・人師の多寡に依るのではなく、本来的に『首題』が開示する固有な空間を示したものに他ならない」(三三頁)とする。その固有な空間を、自らの信仰の軌跡と、弟子・信者の機根とに応じて表現しようとする模索の跡が、本尊の様式上の変化であり、最終的に選びとられたのが「大曼陀羅」形式であったと、著者はみなす。とするならば、「大曼陀羅」形式に至る以前の本尊もまた、「マンダラ」としての形式を志向していたことになる。かかる意味で、著者は全ての本尊を「文字マンダラ」と称するのである。
 第二章は「文字マンダラの成立根拠(その一)=日蓮の菩薩意識」である。「一遍首題」からはじまって「大曼陀羅」へと様式の変化を遂げていく文字マンダラにあって、著者は「一遍首題」を文字マンダラの〈原型〉とみなす。現存する最初の形式だからではなく、「本尊」として必要不可欠であり、それさえあれば「本尊」として成り立ち得る「首題」を既に含んでいるからである。これ以降、「大曼陀羅」に至る様式の展開は、著者によれば、それが『法華経』「本門」の世界であることを明示するためにとられた教導上の工夫の跡であり、いわば対機的な意味での成熟を示すものだとされる。この指摘には、特に注目しておきたい。「首題」の意義を考えれば、むしろ当然といってもよいこのことを、従来の研究は、ややもすれば見過ごしてきたように思われるからである。恐らく、「大曼陀羅」様式が完成態であるという、それ自体としては誤っていない常識が幅をきかせすぎて、対機的な意味での成熟度と、本尊としての本質性とが混同されてきたのだと思う。
 本章ではさらに、文字マンダラがあえて「文字」で表現されたことの意味が問われ、「日蓮は、『仏の御意』が『法華経の文字』であるとする観点から、『法華経の御意』を文字化して『文字マンダラ』を創作した」(八五頁)とされる。従って、マンダラの「文字」は単なる表現手段でもなければ、仏像制作に代わる便法でもない。それ自体、勝れて信仰的な意味を持つが故に、あえて「文字」という表現手段がとられたのだとされる。
 第三章「文字マンダラの成立根拠(その二)=日蓮の文字観」では、文字マンダラの「根底にあって、かつそれらをそのように日蓮のなかで醸成させた要因となったもの」(八九頁)として、主に空海が取り上げられ、日蓮が空海及び密教を深く学んでいたこと、文字観における日蓮と空海との著しい類似性、マンダラの構想における日蓮と空海・密教との重なり、などが指摘される。日蓮に対する空海・密教の影響については、従来も指摘されてきたが、それらはいずれも、日蓮が空海・密教を厳しく批判したことに鑑み、日蓮の思想成立の否定的媒介因として空海・密教を位置づけようとするものであった。しかし著者は、その影響をむしろ積極的にみようとするのである。とはいうものの、著者はそこに日蓮の模倣をみるのではない。両者の類似性に、著者はむしろ両者の普遍性・伝統性を見出そうとしている。ただ、いかに類似性があるとはいえ、両者は表現の手段や形式において異なっているのである。そうした違いをもたらした信仰の本質に関わる要素を、著者は前章でみた「法華経の文字」に対する日蓮の信仰に見出している。
 第四章は「仏国土・文字マンダラの世界=日蓮の自然観」である。日蓮の自然把握には、表現上は相容れないかにみえる二つの相があるという。一つは、「事理相即」の立場に立って、自然も、そして人間も仏と一体化すると説かれる、教義レベルでの自然把握である。著者はこれを、日蓮の〈自然観〉と名づける。もう一つは、特に身延に入って以降、頻繁に語られるようになるものである。即ち、自然の直中にあって自然と対峙しつつ、時には自然を美しく描写し、時には自然の厳しさ故に信仰生活を推持することの困難すら訴える、いわば生活者レベルでの自然把握である。著者はこれを、日蓮の〈自然感〉と呼ぶ。著者によれば、「両者は、日蓮という個性の折々の経験的・経典(法華経)的在り方における投影にすぎず、それ自体いずれも本質ではないことになろう。本質はこの両相の支点と重なり合いの部分」(一五三頁)にある。そうした重なり合いの部分に生み出されるのが、「仏国土」としての「霊山浄土」を身延に見出す「霊山=浄土=身延」(一五六頁)という構図であり、そうした構図を、自己の内面的な信仰に止めず、弟子・信者と共有すべき現実の信仰場面へと象徴化したのが、文字マンダラであったとされる。
 第五章「文字マンダラのイコノロジー」では、文字マンダラの図像学(イコノロジー)的分析が行われる。それを踏まえて、第六章「文字マンダラのシンボリズム」では、日蓮が文字マンダラにおいて可能な限り象徴しようとした動態性が指摘される。著者はまず、中央の首題と、その左右の諸尊の配座、及び日蓮の自署と花押の形態に着目し、そこに「実見に基づく現実の日本の多宝塔の形体」(一七三頁)をみようとする。従来、首題そのものを多宝塔に見立てる見解はあったが、首題を含んだ構図に日本独自の多宝塔のイメージをみようとするこの見解は、示唆に富むものとして注目される。
 著者はさらに、@上下、A左右、B中心・周縁という観点から、文字マンダラの象徴性を探っていく。まず@について。上段の釈迦・多宝の二仏から、最下段の自署「日蓮」に至るまでの配座は、正・像・末の歴史の流れを示すと共に、釈迦・天台・伝教・日蓮といういわゆる「四師相承」の位格を示すものである。しかしその一方で、「日蓮」の自署が、首題の直下にあえて大書されているのである。著者はここに、『法華経』「本門」の立場から、時間を超えて直接、法華の会座に立ち会ったとする自覚、「旗印」としての首題を地上で担うことにより、末法の今に永遠を介在させようとする自覚をみる。即ち著者は、文字マンダラに、歴史の描写と、歴史を超えようとする自覚との動態性を読み込むのである。次にAについて。文字マンダラは、『法華経』「見宝塔品」「従地涌出品」の動態性・立体性に富んだ場面を表現の基本においている。その場面を、平面上に文字で写す際、釈迦・多宝二仏と対面しているが故に本来ならばこちらに背を向けていることになる諸尊を、日蓮はあえて「見開き」の状態でマンダラの左右に配座した。そうすることで、マンダラ上の諸尊は全てこちらを向くことになる。文字マンダラを、信仰対象である「本尊」として機能させるための工夫である。最後にBについて。文字マンダラはそれ自体一つのシンボルであるが、第二章でみたように、その多様な構成も結局は「首題」に収束される。いわば、首題は「シンボルのシンボル」(二○七頁)なのである。その首題は、真ん中の「法」の字を除く他の六字の筆端が諸尊に向かって大きく延びた独特の筆法で描かれている。著者はここに、「首題を挟んで左右に配座された尊名が、『法』から放射される六字の光によってその存在を明かし、法華経との活き活きした交流を図っている」(二二三頁)様をみようとする。絵画や彫像とは異なり、文字では表現し難い動態性を、日蓮は筆法によって表現しようとしたのではないか、というのである。
 第七章「マンダラ界の住人たち(その一)=女人成仏論」では、女性の教導に際してみられる日蓮の「強烈な現実主義」(二三一・二四九頁)が指摘される。女性への書簡において、日蓮はいきなり自己の理念的・教義的信念を説いたりはしない。むしろ女性の心情に巧みに触れる豊かな修辞から始めるのが常である。そうした修辞は、冷静な現実観察から得られた「世間通途」(二三八頁)の女性の位置づけ―末法の劣機・社会的弱者としての女性―をあえて出発点とすればこそ可能になった、と著者はみる。しかし、それはあくまでも出発点に過ぎない。そうした修辞を用いつつ、日蓮は最終的には『法華経』との「真の契り」(二四三・二五二頁)ヘと女性を導いていくとされる。
 ところで、日蓮は女人成仏の原理を『法華経』「提婆達多品」の「龍女成仏」に求めながらも、「変成男子」の問題には一切触れていない。その理由を、著者は次のように説明する。女性の教導に当たって日蓮が目的としたのは、『法華経』との「真の契り」により、末法の女性という敗種を「蘇生」させることである。女性における「即身成仏」の意義は、こうした「蘇生」にある。日蓮にあっては、この「蘇生」の瞬間に「変成男子の部分も必然的に包括されて成仏が達成される」(二四八頁)のであり、従って日蓮は、現実的には不可能な「変成男子」を表立って取り上げる必要性を認めなかったとされる。
 第八章は「マンダラ界の住人たち(その二)=予言者・日蓮」である。『立正安国論』で「予言」した「他国侵逼難」「自界叛逆難」が現実のものとなった。このような観点から、従来、日蓮は「予言者」と位置づけられてきた。
 しかし、著者が注目するのは、そうした「予言」ではなく、むしろ身延期以降になされた「予言」である。それは、顕示されたものではない故に、これまで「予言」とみなされることさえなかったものである。身延にあって日蓮は、「霊山浄土」を身延の地に重ねつつ、その実現を弟子・信者らに語るようになる。日蓮個人の信仰に即してみれば、それはもはや「予言」ですらなく、既に身延の地に「現成」されているという。「現成」されたその世界において、日蓮は現実の時間を超えつつ、「久遠の日蓮」(二八二頁)として、久遠仏や諸尊と共に永遠に生き続けるとの自覚を抱いていたとされる。著者によれば、かかる信仰と自覚の端的な表現が文字マンダラであり、そこに大書される自署と花押は、その世界の「主人」としての積極的な自己表現である。ただし、その一方で、文字マンダラは「本門」の「戒壇」として将来、具体的に実現されるべき世界をも意味している。従って、文字マンダラに表現された世界は、特に対機的な意味合いにおいては、未来に成就される、また成就されるべき「予言」としての意義をも同時に含むことになるという。
 本書の結び「後記=結語にかえて」では、一遍との簡潔な比較の上で、日蓮の「自己主張」の特徴が総括される。日蓮の自己主張は、一方では、いわゆる鎌倉新仏教の共通要素とされる「専修主義」に基づくものである。しかし、共通の基盤に立ちつつ、日蓮はその独創性を遺憾なく発揮した。そうした独創性に基づく自己主張の典型を、著者は文字マンダラの創作にみる。著者によれば、日蓮は『法華経』の教示する多様な救済世界から自ら発見し体得した固有な世界」(二九九頁)として文字マンダラを顕わすことにより、自らの信仰を確立した。即ち、『法華経』の救済世界は、日蓮の独創性において「未曾有の大曼陀羅」になったとみなされるのである。さらに日蓮は、それが「本尊」であるにもかかわらず、自らの信仰の軌跡と、授与する相手の機根とに応じた多様性を付与すると共に、あえて自己の署名と花押を加えた。この点にも、著者は「本尊の創作者」であると同時に「信仰の対象者」として、自己を惜しみなく表出する日蓮独自の自己主張をみている。
 以上、本書を構成する各章の概要を紹介してきた。いずれの章においても、著者は文字マンダラや日蓮遺文の表面をなぞるだけの考察では決して満足せず、むしろそれを意識的に拒否しているようにみえる。著者の志向は常に、文字マンダラや遺文に込められた日蓮の内面的な「信仰」と、それを弟子・信者に積極的に表出することによって自らの「宗教」を確立しようとした日蓮の軌跡とに向けられているように窺われる。その意味では、著者が日蓮遺文よりも、文字マンダラを直接の研究対象に選んだ意図もよく理解できるのである。しかし、だからこそ指摘しておきたい点がある。それは、いささか形式的なことではあるが、本書における日蓮遺文の扱い方についてである。
 本書で使用されたテキストは、立正大学日蓮教学研究所編『昭和定本日蓮聖人遺文』である。著者自身、一八頁で断っているように、同テキストの中でも、真蹟現存(断片・断簡現存のものを含む)及び真蹟曾存の遺文が主として引かれており、その限りでは問題はない。しかし、重要な論拠として、後世の写本のみが現存する遺文がかなり引かれていることも確かである。もちろん、後世の写本しか存在しないことが、遺文としての信憑性の疑義に即座に結びつくものではない。ただし、日蓮遺文の写本と称されるものの中に、少なからず「偽書」が紛れ込んでいることは、主として宗門系統の研究者らが蓄積してきた文献学的研究により、以前から指摘されてきた。だからといって、私はそうした研究成果に全面的に依拠せよ、などというつもりはない。宗門外から新たな視座を提供しようとする著者の立場からすれば、遺文の扱いにおいても独自性があってよいのである。しかし、本書が日蓮自身を対象とする以上、従来の文献学上の成果に照らして、疑わしきはあえて引かず、という慎重さがあってもよかったのではなかろうか。
 とはいうものの、日蓮の表現に即して、その内奥に深く切り込んでいこうとする本書の方法と思索は、刺激と示唆に富むものである。その意味で、本書が従来の日蓮研究に画期をもたらす書であることは疑い得ない。
 なお、本書は、一遍と日蓮について論じた著者の学位請求論文から、日蓮の宗教論の部分をまとめたものである。一遍については、『一遍智真の宗教論』(岩田書院、一九九六年)として既に刊行されていることを付言しておきたい。この書を併せ読むことによって、達人的宗教者の「総体」をその独自性から解明しようとする著者の方法と思索が、より一層明らかになるであろう。

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