著者名:岸上興一郎著『海港場横浜の民俗文化』
評 者: 鈴木 正崇
掲載誌: 「日本民俗学」248(2006.11)

 横浜は幕末の開港によって外来の政治・経済・文化などを受容する窓口となり、多くの外国人が迎え入れられた。人口千人足らずの漁村であった横浜村は大き く変貌し、港を取り巻く農漁村の人々の生活は、多様な文化の流入と社会変動で一挙に流動化した。しかし、横浜にも前史があり、明治以後も既に百年を経過し て近代の民俗を形成してきた。本書は、現代の先端都市となった横浜に居住して三〇年余り、民俗の変貌を見つめてきた著者による報告と考察である。都市民俗 学を大上段に振りかざす論考ではないが、地道な調査から民俗の実態を明らかにした。

 第一部「海の向こうから来た民族文化」は、「第一章 横浜の南京墓地」「第二章 地蔵王廟と木主」「第三章 土蔵と西洋瓦」からなり、横浜中華 街を形成した華僑たちの墓である中華義荘と地蔵王廟の木主(位牌)の調査記録である。華僑には、「骨を故山に埋める」という原籍の地に故人を回葬する落葉 帰根の思想が貫かれ、故郷に帰るまでの数年間は棺に納められて、仮埋葬されたり仮小屋(安霊堂)に積み置かれた。しかし、時代の移り行きと共に墓は永眠の 地となっていく。華僑の知られざる移民史を掘り起こしている。また、関東大震災で失われた西洋建築の運命を瓦から辿った調査報告も併載する。

 第二部「横浜の海の文化史」は、横浜とその周辺の民俗文化を海の視点を取り込んで考察する。「第一章 横浜の海−新編武蔵風土記稿の世界」で は、近世の地誌の記述から、横浜の海の位置付けを明らかにした。川・浦・浜、台町・二番坂・能見堂、山頂の松、「言」文字の極印船、浦高札・浦役・浜名 主、漁師・漁村、網漁法、海鼠・鯛、塩・薪、船主・浦島・蛭子、海中出現の本尊、地震・津波・高波、などの項目からなる。「第二章 留吉老人の唄」は、称 名寺の東方の岬にあった漁村集落の柴の歴史を、故老の聞書、武山不動尊信仰、漁師の生活、船の実態、船神様、網漁、風、横須賀港、料理屋、塩業から描き出 す。「第三章 開港によって生まれ変わったムラ」は、南区堀ノ内の開港以来の変化を辿って、ムラからマチヘの変遷を考察する。石高、村名・町名・村界・町 界・字名、長屋の実態、掘割川、女坂とダイナマイト、共進会(展示会)を取り上げる。

 最後の「附論 横浜の民俗誌」では、年中行事を「海の祭り」と「丘の祭り」に分けて考察する。また、開港時の相撲界の対応、人力車や天然氷など 近代の民俗について述べる。往時の面影を急速に失いつつある横浜にあって、さりげなく描かれる日常生活の断片や地域社会の実態が、近代の大きな変化を逆照 射する。
 
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