著者名:多仁安代著『日本語教育と近代日本』
評 者:佐藤 義雄
掲載誌:「地方史研究」324(2006.12)

 「日本語教育」の歴史は上田万年によってその理念が確立され、その門弟保科孝一によって作り出されてきた路線に従ってひたすらに進められてきたと、通念 通りに私は考えてきた。しかし本書においては、上田万年も保科孝一もどこにも出てこない。そこに端的に表れているように、多仁さんの視点は常に〈現場〉の 側に置かれている。このことは、日本語教育に具体的に携わった先人たちの労苦こそが、例えわずかながらであっても、アジア各国との「相互理解」の礎石と なっていることに、多仁さんが確信を抱いていることと無関係ではないだろう。
 多仁さんに紹介されている多くの日本語教育の実際は、忘れ去られた(というより当時にあってさえ広く理解されていなかった)日本語教師達の、 アジア各国の国民達との「相互理解」の軌跡を示している。「日本語教育の歴史に関する研究というと、旧植民地などで行われてきた教育が、いわゆる『皇民化 政策』の一環を担ったという面だけを強調する…」という指摘は、私も耳が痛い。日本語教育が「『皇民化政策』の一翼を担ったという面」はむろん否定できな いが、政治に泥まみれにさせられながらも、東アジアを中心に世界と関わりあった、日本語教師と日本語教育の軌跡を客観的・大系的に記述した本書を前にし て、あらためてことばの問題は、政治経済や文化の歴史を全体的に包括する究極の問題だと思わされる。質実な歴史研究者として、イデオロギー的な教条主義と も新保守主義者の群れの観念的で声高な議論とも全く別な〈資料実証主義〉に基づいて問題を展開してくれていることに敬意を表したい。
 多仁さんの指摘する通り、日本語教育の歴史は単なる言葉の歴史ではなく、「双方が各自の国益をいかに実現するかをめぐる、せめぎあいの歴史」 であった。特に第四章「『大東亜共栄圏』と日本語の拡大」、第五章「対日戦と米英の日本研究」などにその「せめぎあいの歴史」の実情が全体的に、また具体 的に描き出されている。日本語は決して文化的要求からなどではなく、時々の「政治的・軍事的・経済的関係」において学ばれていった。本書はその力学を具体 的状況に即しながら記述してくれている。例えば、「日本軍が『解放軍』であるかぎり、日本語熱が高かったが、敗色濃厚になるにつれその意欲が一挙に冷めて しまった」ビルマにおける日本語教育の状況は、その力学をむき出しにしてしまっている。あらわにされたのは、日本軍の「解放軍」としての欺瞞性だろう。観 念的な〈理想〉においてではなく、切実な必要があって日本語は学ばれ教えられてきたという〈事実〉に、私達が冷静に目を向けることの必要性を、本書は語り かけている。
 しかし、にもかかわらず、教える側も教えられる側も、熱心に取り組めば取り組むほど、個々の動機と乖離して、常に現実的な要請を越える「文化 的」な結果を生み出してきたという過去の経緯もある。ことばが単なるコミュニケーションの道具ではなく、それ自体が一つの文化なのだから当然の帰結であ り、そこに言語教育の機微もある。あくまでも軍事的要請の主導下で行われた日本語教育が、結果として「日本人による日本語教育のどれよりも成功し」、優れ たジャパノロジストを生んでいったアメリカの状況がその典型例としてある。早くから用意され展開された、アメリカの世界戦略としての地域研究の実際に、改 めて慄然とする〈事実〉でもあるが、アメリカ軍の日本語教育が「日本人による日本語教育のどれよりも成功し」という評価は動かせないだろう。大日本帝国は 帝国主義的な言語政策においても遥かにアメリカに及ばなかった。
 いや、昔のことではない。現在の日本語教育に課せられた「国際交流」とか「異文化コミュニケーション」などという口当たりのいい、しかし内実 は何やら分からない観念的な目的が、かつて日本語教育に課せられた「大東亜共栄」とか「五族協和」などという目的と、その観念的な空疎さにおいて、どこか 重なってきはしないか。そのような感想を抱きつつ本書を読んだ。占領地をはじめ、諸外国における日本語教育の実態に関する資料や研究は決して少ないわけで はないが、それらを統合的かつ具体的に記述した著述は、本書が初めての試みと言っていいであろう。日本語教育の歴史という領域に止まらず、日本の近代を広 く考察するために欠かすことのできない基本文献となるはずである。
 目次は以下の通りだが、これだけでも日本語教育の歴史と問題点が鮮明に浮上してくる。

第一章 日本語教育の幕開け
第二章 日本語が自主的に学ばれた時代
 第一節 明治日本の近代化に学ぶ近隣諸国
  一 朝鮮・清国からの留学生 
  二 中国・朝鮮へ渡った日本人教師
 第二節 海外に移住した日本人二世の教育
  一 ハワイ諸島とアメリカ本土    二 ラテンアメリカでは
第三章 日本語教育が国策とされた時代
  一 沖縄
  二 北海道の「アイヌ」たち
 第一節 いわゆる「内国植民地」の言語政策
  一 台湾
   二 朝鮮半島
  三 南洋諸島(ミクロネシア)
 第二節 新領土における「国語教育」
第四章 「大東亜共栄圏」と日本語の拡大
  一 ゆれる日本語教育
  二 南方特別留学生
   三 満州〈中国東北〉
   四 中国占領地
   五 華僑の多いマライ・シンガポール
   六 オランダ領インドネシア〈蘭印〉
   七 仏教国のビルマ
   八 アメリカ植民地のフィリピン
第五章 対日戦と米英の日本研究
  一 アメリカ軍の日本語学校
  二 イギリス軍の日本語学校
第六章 再開された日本語教育
  一 戦後復興と日本語教育の再開
  二 高度経済成長と共に
  三 相互理解を目指して
 
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