著者名:小栗栖健治著『宮座祭祀の史的研究』
評 者:橋本 章
掲載誌:「宗教研究」350(2006.12)

 一 本書の構成

 かつて宮座に関する研究は、歴史学や民俗学、そして社会学など数々の分野がその研究対象として注目してきた課題であった。例えば住谷一彦は「日 本民族=文化の基礎構造を解明するうえに「宮座」とよばれている「村の祭祀」組織が占める比重は決定的である」(1)と述べており、福田アジオも「宮座は 中世後期以降の惣村の成立とその伝統を明らかにする重要な材料であると同時に、日本社会の構造的特質を把握するためにも大きな手がかりを与えてくれる」 (2)とするなど、宮座研究については、村落構造論等の展開と共に各方面からその重要性が叫ばれてきた。それは、ひとつには宮座を課題とした研究が学際的 な雰囲気のなかで醸成されてきたこととも深くかかわっているように見受けられる。しかしながら、研究課題の細分化専門化が進んだ昨今では、逆にその学際性 が仇となったのか、宮座を主題化した研究がさほどの伸展を見せないまま停滞するに至っている。
 こうした他分野間協業の姿勢が薄らぐなかで、本評で取り上げる小栗栖健治氏の著作『宮座祭祀の史的研究』は、民俗学の手法に依拠したフィールドワークから得られた成果と、歴史学の王道である史料分析との融合を試みた労作である。
 ではまず、書評をすすめるにあたり本書の目次を紹介しておこう。なお、節や細節については紙幅の都合上割愛させていただく。

  序にかえて−本書の視点
 第一部 村の祭祀
  第一章 「あけずの箱」と「村人」
  第二章 惣村の組織と宮座
  第三章 鎮守社の再建と宮座の動向
  第四章 荘宮座から村宮座へ
  第五章 近代における宮座の変容
  第六章 村の宮座と祭礼
 第二部 荘園と郷の祭祀
   第一章 在地支配の構造と宮座
   第二章 荘園の開発神と宮座
   第三章 郷村の祭礼
   第四章 「村生人」と宮座
   第五章 山岳信仰と荘郷の祭祀
 第三部 宮座論
  第一章 惣村宮座の歴史的変遷
   第二章 荘園鎮守社における祭祀の歴史的変容
 補論 祭りの歴史・意義・役割−播磨地方を中心に
 むすび−これからの宮座研究
  掲載論文初出一覧
  あとがき

 このように、本書は三部構成からなっている。「掲載論文初出一覧」の項でも述べられているが、本書は小栗栖氏が大谷大学に提出した修士論文を基 礎として構成されたもので、一九八一年に発表された「荘宮座から村宮座へ」(原題「近江国曽束村の宮座と史料」『尋源』三二号)と「郷村の祭礼」(原題 『大津市文化財調査報告書・仰木の泥田まつり』大津市教育委員会)、「山岳信仰と荘郷の祭祀」(原題「近江比良山の祭祀と信仰」『近江地方史研究』一二 号)を最古に、本書刊行時に書き下ろされた三編を加えた十六の論考から成り立っている。
 小栗栖氏は、本書を構成するにあたり、発表当時掲載できなかった資料を追加するほか、論考についても加筆・補訂をおこなっており、また、寄せ られた論稿も時系列ではなく内容ごとに三部に整理し、それぞれの項に論点と小結を付与するなど、精力的に論稿の精査に努めておられる。
 本書に示された三部の構成は、「第一部 村の祭祀」と「第二部 荘園と郷の祭祀」には、宮座の事例に対する史料と現況からの分析が、それぞれ の事例について細部にわたるまで検討され、つづく「第三部 宮座論」では、それら事例の分析から導き出された論考を基礎として、小栗栖氏による独自の宮座 論が展開されている。
 本書において小栗栖氏は、自身の宮座研究の動機として、宮座を祭祀組織としての宗教的機能と共にその特権性に起因する社会的機能が存在するも のと位置付け、この「二つの側面をもつ宮座は、村落の宗教生活とその階層構成を分析するための有効な一手段であると同時に、中世社会における村落文化の展 開の解明に重要な意味を持つと考えられる」(三二三頁)と述べ、その研究手順として「社会情勢によって宮座の組織や構造が変容し、また質的変化を迫られる のは、その社会的機能を考えれば歴史的必然といえる。とすれば、宮座における座衆の拡大や座数の増加などの形態変化は、村落構造の変化に密接に結びついて 起きたものであり、その関係を追究することによって宮座の変遷過程を具体的に跡づけ、歴史的意義を明らかにすることが可能となろう」(四頁)との見通しを 立てている。こうした姿勢は、元来宮座研究が包含していた課題をより明確な言語で表現したものであり、先に紹介した住谷や福田の懐述にも沿うものであろ う。このように、拡散していた宮座研究の立地を、先行研究の分析も踏まえた上で定置して見せた本書の意義は大きいと思われる。

 二 歴史史料と民俗事例の融合

 さて、本書に関しては、これまでにも幾つかの書評が提示されている。実は評者も別誌上にて新刊紹介の形で既に一度本書の内容に触れているのだが (3)、これら書評の全てに共通する評価軸は、小栗栖氏による詳細なフィールドワークの膨大な成果と史料分析の融合であり、「宮座を、神社祭祀を紐帯とし て共同体運営をおこなう特権的集団と位置付け、最も積極的に機能したのは中世であるとした上で、中近世の史料や現行の宮座祭祀の現状までを対象として、宮 座の時代的特性を、とくに村落との関わりで詳述」(4)していると見る点で一致している。
 例えば近江の堅田大宮の事例や、同じく近江の大宝神社の事例などについてなされた、現況の祭祀形態等を十分におさえた上での史料分析には力強 さがあり、特にかつての仰木庄域で展開される祭祀に関しては、事例と史料双方の詳細な検討によって、「宮座の重層性」という重要な課題を明確化させてい る。
 ところで、本書に対する評において各評者が最も注視したのは、文献史料とフィールドデータの取り扱いについてであった。例えば薗部寿樹は、 「小栗栖氏は、現代民俗慣行の調査記録と思われる記述と文書から導き出される事実とを、往々に、混在させた論述のスタイルをとっている」(5)と述べ、小 栗栖氏が文中で用いる用語に歴史的意義の相違のある可能性を指摘する。また関沢まゆみは、同一の宮座に関して記された中世史料と近世史料の連続性につい て、これを引用する際には慎重な態度が求められることに言及しつつ「近世社会はまさに由緒が強調された社会であり中世に仮託された記事も近畿地方の近世文 書の中には数多い。本書が中世の史実を再構成するために用いている近世文書とその伝える情報には必ずしも中世の史実とは確認できないものもあるのではない かと考えられる」(6)として、論考における史料の援用方法に対して一言を提示している。
 民俗学的研究手法をとる論証に関しては、本書に限らず、同分野の内外から文献史料を援用するに際しての厳重な指摘がこれまでにもなされてき た。殊に史料批判の厳密性については、歴史学等に一日の長があることは否めず、この点について民俗学徒は常に後塵を拝していたと言っても過言ではあるま い。その点、本書における史料分析の精度は高く、先述の薗部氏の書評をして「古文書の分析も周到」と言わしめるに至る的確さを保持する。
 そこで、あえて言及させていただこうと思うのは、小栗栖氏によって提示された歴史史料の民俗学的な読み方についてである。これについて、本書 第二部第二章の「荘園の開発神と宮座」において示された論考を例にみてみよう。氏は事例とする仰木庄(現・滋賀県大津市仰木町)開創について、近世後期に 書き写された「江州仰木高日山由来」という史料を用いて、仰木庄の開鑿とそれに付与された神祇の関係性を示し、さらに仰木庄の鎮守社である小椋神社を中世 期より維持管理してきた「親村」と呼ばれる宮座組織に伝わる史料から、その組織の展開についての検討を行なっているのだが、ここで氏は、仰木庄の開発縁起 を宮座分析の重要な典拠としている点が興味深い。
 「江州仰木高日山由来」によれば、仰木庄で最初に開発されたとされる下北坂本(下仰木)には、仰木を開創したとされる「翁」が日吉客人(大 宮)権現として祀られ、二番目に開発されたと伝えられる上北坂本(上仰木)には、件の「翁」が山中に分け入った際に出会った地主神伽太夫仙人が田所権現と して祀られており、以下開発の歴史が古い順に若宮権現・新宮権現・今宮権現としてそれぞれ勧請されたという。この「翁」と伽太夫仙人との邂逅が仰木庄を統 べる神々の物語の根本となるのだか、この物語を基台として、仰木庄の管理運営に歴史的に深く関与してきた「親村」と呼ばれる宮座組織が展開される。
 「親村」に伝わる文明七年の年記をもつ四点の史料からは、「親村」が荘園鎮守社の祭祀集団であると同時に惣庄を運営する組織であったことがう かがわれる。現行の民俗事例において、「親村」に所属する家筋は旧仰木庄域の上仰木と辻ヶ下という二集落に限定されるのだが、この事例に対して、小栗栖氏 は次のような見解を述べている。

 中世において「親村」は仰木庄という荘園を単位とする荘宮座であり、その由緒から「親村」の座衆は、仰木庄を開発した有力農民の系譜をひく人々 であったと推測される。座衆の分布、あるいは「惣修行」・「先修行」が預かる御神体の移動範囲が上仰木・辻ヶ下に限定されているのは、この地域から仰木庄 の開発が始まり、その後も「親村」の座衆の居住する中心的地域であったことを意味していると考えられる(二二四頁)。

つまり、仰木庄域における祭祀権やその宮座による周辺秩序の維持に対する正当性が、仰木庄開発の由来譚によって仮託されていると氏は読むのであ る。実際、同事例の現行の祭祀の状況は「親村」伝来の史料にある程度沿ったものであり、「翁」と伽太夫仙人邂逅神話を背景としてこれらの事例が成立して いったと考えるならばなるほど合点がゆく。
 また氏は、文明七年に宮座の由緒来歴等に関する史料が作成された要因について、これを「親村」の座衆が旧来の宮座秩序を再確認するために行 なった作業であることを指摘し、その背景に宮座秩序の弛緩と「親村」の座衆による荘園支配体制の動揺があったことを推察する。氏は、「十三世紀から十四世 紀にかけて畿内では、上層農民を中心に惣村が広汎に成立していた。惣村の成立は、荘園鎮守社の祭祀に荘園という枠組みと荘園内に成立した村という、二重構 造の関係を生み出していた」(二二六頁)との認識のもと、中下層農民の経済的成長による新興層の台頭が荘園秩序の動揺を促し、結果として惣村宮座の成立へ とつながる過程を示してみせる。そして氏は、この「荘宮座と惣村宮座という重層的関係は、中世宮座の特質を明らかにする上で基本的な視点」(二二八−二二 九頁)と位置付けている。
 この論考の主旨となるのは、小栗栖氏の宮座研究に対する視角となった「宮座の重層性」にあると思われるのだが、やや角度を変えて見つめてみる と、興味深い論点が浮かび上がってくるように思われる。ポイントとなるのは、仰木庄において文明七年の年記を持つ四点の史料上で整理された仰木庄開発の物 語であろうか。
 厳密に言えば、「翁」と伽太夫仙人という神々が邂逅する史料内容が歴史的事実とは思われ難く、これを論拠の根幹に据えることは歴史学の立場か らならば当然回避されるべきなのであろう。しかし、この物語が仰木庄域において了解され、秩序の維持に一定の効果があったことは、現状展開される同地の民 俗事象にその片鱗が反映されている事からも明らかである。この事実は、宮座という課題と向き合う上において極めて重要なのではあるまいか。
 薗部寿樹は、この仰木庄「親村」の史料をもとに「村落神話の政治的機能」ついて言及し、「村落神話には、領主の意図的操作の跡のみではなく、 在地民衆の側の領主支配承認または不承認の論理が読みとれる」(7)と述べる。こうした議論については、桜井好朗が「(中世には)古来在地に定着して民間 信仰圏に生きつづけてきた神も、あらたな意味をもってあらわれた。とくに寺領荘園においては、寺家のもち出す観念的・宗教的権威はそのまま支配の権威に転 じたのだから、在地側はこれに対抗するためには旧来の在地神祇を観念的拠点とする必要がおこってきた」と述べて、「在地神祇をとりこんだ社寺縁起は、根源 的なものと世界に生起する出来事とを関係づける歴史叙述ともなりえた」(8)という見解を示している。
 歴史資料に内在する伝承性と、その伝承成立の背景に対する考察は、これを積極的におこなうことでフィールドワークによる成果の深化と史料の多 面的理解の促進を図りうる手法であり、こうした議論は、こと宮座研究に留まらず、歴史学や民俗学全体に、そして周辺諸学に対しても重要な示唆を与えてくれ るものと思う。

 三 宮座研究の行方

 最後に、本書の書評を進めながら今後の宮座研究の行方についてみてゆきたい。本書の中で小栗栖氏は、民俗として各地に伝承されている宮座祭祀 が、村落史や村落共同体のあり方を解明する指標として有意義な事例であると述べる一方で、「しかし、宮座そのものの研究は、一つの到達点を迎えた観があ り、伝承や習俗が急速に失われていることも併せて、その研究は低迷しているのが現状である」(三九五頁)との危惧を吐露している。こうした認識は、本評冒 頭でも述べたとおり、宮座を取り扱ってきた研究者間でほぼ共通するものとなっているのだが、一方で氏は、「当初宮座の組織やその特権の分析に終始した研究 が多かった歴史学の分野では、近年になって家の成立と家格制の問題などとの関わりが論じられており、これまで積み重ねられてきた宮座研究の成果が結実しつ つあると見られる」(三九六頁)との見識も示しており、結論の提示されぬまま収束に向かいつつあった宮座研究の行方について、特に歴史学の分野からの積極 的な接近への期待感が述べられている。
 宮座という研究課題には、宮座史料というかたちで後世に伝来した文献史学からの分析と、現状伝承されている祭祀としての宮座に対する民俗学的 な分析など、多方面からの切り口があり、しかしながら、それぞれの手法に依拠して導き出された成果には少なからず差異が見られ、それが埋められぬまま今日 に至った観がある。その点、文献史料とフィールドデータの両方の扱いに長けた小栗栖氏の宮座に対する発言には、宮座研究を包括的に整理し理解してゆくため の様々な示唆が含まれている。氏は、本書の最後に次のような一文を提示している。

 宮座は、荘・郷・村の鎮守社の全ての祭祀を独占的に掌握したのではなく、年中行事の内容により掌握の程度に差異があったのではないかと考えられ る。したがって、宮座が一元的に村落祭祀、年中行事を管理したという考え方には検討の余地があるだろう。また、神仏習合の時代において、鎮守社の祭祀と宮 寺・神宮寺の祭祀は村落内における宗教的意義を異にしていた可能性があるのであり、この点でも宮座祭祀の位置づけを再検討しなければならない。宮座祭祀は 村落あるいは地域社会に成立した宗教、いわば村落宗教のひとつとして位置づける必要があると考えられる。宮座が積極的に展開した時代、中世には村落あるい は地域社会に宮座祭祀だけではなく、既成の仏教各派やそれらに属さない雑多な宗教が錯綜して存在していた。宮座祭祀がこうしたさまざまな宗教と混在してい たことを忘れてはならない(三九七頁)

やや雑駁な文章のようにも見受けられるが、そこに込められた小栗栖氏の宮座に対する視点と、今後の宮座研究への鋭い見通しには奥深いものがある。宮座研究の今後に対して参照すべき示唆が、そこには含まれているものと見受けられる。
 小栗栖氏は、宮座研究以外にも地獄図絵を題材とした研究や、熊野歓心十界曼荼羅に関する研究など、多彩な論考を精力的に発表されている。その取 り扱う課題は違っていながら、史料としての絵画の分析と、それらの伝承性に対する言及という点において、小栗栖氏の研究手法は一貫している。そして、氏の 資料に対する真摯な態度が、歴史学や民俗学など各方面からの論戦参入を可能にし、それぞれの課題に対する深みのある議論展開の場を提供する結果となってい ることは、大いに注目すべき成果であろう。
 小栗栖健治氏の玉稿『宮座祭祀の史的研究』に対しては、別誌で掲載きせていただいた新刊紹介を含め、二度もこれを評させていただく機会に恵ま れた。評者の拙い文章では氏の論考の魅力を充分に伝えられたとは思えず、また小栗栖氏に対しても無礼を重ねる結果となってしまったであろう事を恥じ入る次 第である。しかし、本書の発表によって宮座研究に対する新たな地平が開かれたことを慶び、氏に渡されたであろうバトンに対して身を引き締めつつ、拙評を締 め括ることとしたい。

 注
(1) 住谷一彦「「宮座」論ノート−村落構造の関連において」(『社会と伝承』第一四巻第三号、一九七五年)参照。
(2) 福田アジオ「宮座」(『日本民俗大辞典下』吉川弘文館、二〇〇〇年)参照。
(3) 『地方史研究』第五六巻第一号、二〇〇六年、「新刊案内」を参照のこと。
(4) 窪田涼子「書誌紹介・小栗栖健治著『宮座祭祀の史的研究』」(『日本民俗学』第二四四号、二〇〇五年)参照。
(5) 薗部寿樹「書評・小栗栖健治著『宮座祭祀の史的研究』」(『宗教民俗研究』第一四・一五合併号、二〇〇六年)参照。
(6) 関沢まゆみ「書評・小栗栖健治著『宮座祭祀の史的研究』」(『日本歴史』第六九八号、二〇〇六年)参照。
(7) 薗部寿樹『村落内身分と村落神話』校倉書房、二〇〇五年、二九五頁参照。
(8) 桜井好朗『神々の変貌−社寺縁起の世界から』筑摩書房、二〇〇〇年、二六〇頁参照。
 
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