辻本弘明著『中世武家法の史的構造』
評者・上杉和彦 歴史評論No.603(2000.7)


 この書は、著者辻本氏が一九六八年以降に発表された八本の論文をまとめた論文集である。序によれば、本書成立の前提として、歴史的には封建制そのものが近代市民社会の成立の前提としての功績を有するとする著者の基本認識があり、本書の目的は、日本社会の発展過程(法と正義の結実)において果たした封建制の役割の究明であるとされている。また同じく序では、主張の眼目が、一○世紀から一六世紀初頭に至る約七世紀の間の「比較的見逃され易い社会事象」が、「社会制度の大きな特徴の一現象であり、法の成立と正義の維持に役立ってきたこと」であるとされている。以上の点は、「法と正義の発展史論」という本書の副題に端的に反映されているといえよう。
 以下、内容の紹介を行なう。
 第一草「太政官符と国司の権限」は、伊賀国玉滝杣が東大寺に寄進される際に作成された太攻官符と太政官牒の文言の字の異同に注目しながら、東大寺のような有力寺院への国家による財政援助の達成とともに、朝廷官衙修理職の保護とその自立性を保証する政策決定の任を担った国司の権限とその行使形態を考察したもので、国司による東大寺東南院宛ての太改官符案文作成行為(著者はこれを文書の裏を封ずる行為とする)に対し、中世イングランドにおける特権領主の「令状返還権」との比較類推から、「日本法史における領主特権領の封建関係の存在形態の成熟に伴って生ずる過程の実態に類似性を示すものと考えられる」との評価を下す。
 第二章「在地裁判権の成立」は、日本における在地裁判権成立の問題を考察したもので、一○・一一世紀の史料に見える「在地」の語の生成を検討しながら、「私領主」が相互に共同保障機構としての「在地」を構築し、「在地証判」制度を成立させた過程をあとづけ、ここに武家時代の証拠主義裁判の全盛の原点と在地裁判権成熟の基盤を見出す。
 第三章「土地所有権の源流」は、土地の知行に関して存在する「証文」と「当知行」という二つの由緒の関連を探ったもので、鎌倉幕府の弘安七年立法→建武政権の「一同の法」→室町幕府の当知行安堵法という流れを押さえながら、「当知行」の法制化過程を明らかにし、「当知行」を長期占有の場合のみ由緒(権原)に昇華し了承する鎌倉幕府と、本権による由緒に基づかず「当知行」という事実上の領主支配それ自体を保護する室町幕府との相違を説く。
 第四章「武家社会の規範」は、日本人の生活感情・生活意識と法の関係を、御成敗式目における「道理」思想にまでさかのぼって考察したもので、人間的自覚に基づく「道理」の思想を社会規範(法)の発見と位置づけ、中世武家社会に定着した「道理」という政治理念に個人意識の芽生えを見出し、鎌倉期を神秘的な宗教世界から脱出しはじめた時期と評価する。
 第五章「惣管領権と在地耕営権」は、幕府権力の「惣管領」と在地領主における惣領との関係の究明を試みたもので、平安時代の国司の検注の問題から考察を行ない、領家との検注をめぐる争いの中で現地支配の力を強める地頭に支えられながら、その伸長の抑制をも行なう幕府の「惣管領権」なるものの存在を説く。幕府の「惣管領権」とはいささか特異な概念だが、日本国総守護・総地頭としての源頼朝の支配を位置づけたものであることが行論より判明する。
 第六章「両成敗法の起源」は、喧嘩両成敗法の先駆法を観応三年の室町幕府追加法とし、その発生の由来を鎌倉幕府による外題安堵法の制定といった訴訟手続きの変遷の分析から考察し、訴訟とともに相論・紛争の解決手段として存在した喧嘩・私合戦を禁圧せんとする、鎌倉幕府・建武政権・室町幕府を一貫する動きをまとめ、戦国期武家家法における「天下の大法」としての喧嘩両成敗法の成長の歴史を叙述する。
 第七章「戦国法の形成過程」は、戦国期の大名の領国支配になぜ「法による支配」が必要とされたか、という問題設定の下に、戦国家法の形成過程を、鎌倉期の「道理」から戦国期の双方の約束による「法」の支配へという転換としてとらえる。具体的考察対象の中心は「六角氏式目」であり、同法成立の背景と特徴を、戦国期近江国の在地構造の分析とともに考察し、領主間協約としての「六角氏式目」の本質を明らかにする。なお、「六角氏式目」は中世ヨーロッパ特にイギリスのコモン・ローに似ているとの指摘がなされている。
 余録「法文言の虚像と実像」は、本書の中ではかなり異色な論考で、中世法制史料用語として著名な「不論理非」の持つ意味について、日本国憲法や教育基本法にも言及しながら省察を加えたものである。
 極めて雑駁な紹介だが、日本中世という時代を通じて法規範における理念がある種の進化発展を遂げ、現在という時点もその延長上にあるのだとする著者の法史観の一端は理解していただけると思う。そもそも評者などが生意気にも言えることではないが、現代への批評の姿勢と一国史を超えた比較の視点が希薄になりがちな現在の学問状況の中で、時に直接すぎるとも思えるほどに現代日本の問題に言及しながら日本中世法の本質に検討を加える本書の内容は、新鮮かつ刺激的であり、学ぶべき点は多い。
 ただし、基本史料の読解に関しては多くの疑問点を示さざるを得ない。北条泰時消息の中の「武家のならい、民間の法」という文言に対する解釈(一四七頁)は誤解であり、随所に見られる御成敗式目を単純に「道理」の集大成と見る理解も、現在の式目研究の水準からは斥けられるべきものである。第一章論文の中での文書の「裏封」の理解も、説得性に乏しい。これらの事柄は、決して揚げ足とりの類ではないと思う。さらにいえば、参照された先行研究が時期的にかなり限定されていることへの不満も禁じえない。著者の構想が壮大であるだけに、率直なところ、近年の日本中世法研究に対する論評が、本書刊行に際して多少なりとも加筆されていれば、と感じた。
 (うえすぎかずひこ)

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