関東近世史研究会編 『近世の地域編成と国家―関東と畿内の比較から―』
評者・岩城卓二 掲載紙・歴史学研究(727 99.9 )


本書は,関東近世史研究会が1996 年6 月に開催したシンポジウムの成果をまとめたものである。このシンポジウムの目的は,主に80 年代以降蓄積されてきた江戸周辺地域の政治的編成の特徴・展開に関する関東地域史研究の成果を総合化するために,畿内地域史研究の成果と比較検討し,相互の成果を検証することであった。本書は,このシンポジウム当日の基調報告・個別報告3 本・討論に加えて,関東に関わる論文6 本と畿内に関わる論文3 本から構成されている。中堅・若手の関連論文を9 本も収めたことで,現在のこの方面の両地域史研究の関心事や課題が知られるとともに,シンポジウムの目的にそった論点も数多く見出すことができる好著といってよい。かかる企画を立案し,シンポジウム開催までの間,準備報告会を重ねられた会員諸氏の意気込みに敬意を表したい。
論文12 本の内容を簡単に紹介していこう。大石学「近世後期〜幕末維新期における江戸周辺の地域編成―鷹場・『領』制度を中心に―」は,関東の地域編成を考える際に注目されてきた「領-触次」体制について,寛政4 (1792 )年の関東郡代伊奈氏失脚以降の動向を論じたものである。勘定所支配の鷹野役所,郡代屋敷内兵糧方役所,官軍,新政府それぞれによる江戸周辺地域支配を分析し,「領-触次」体制が近世後期〜幕末維新期を通じて江戸周辺地域編成に大きな役割を果たしていたことを指摘した。氏は,江戸周辺農村が所領をこえて将軍御成の夫役を負担し,また江戸城御用物を上納することから,江戸城城付地論を展開しているが,本論文の分析をぶまえ,それが近代における首都圏形成の重要な前提になったと論じる。
薮田貫「支配国・領主制と地域社会」は,近年の畿内地域史研究の動向に触れながら,地域編成と国家を論じる場合,領主制の問題を考えるべきであること,その場合,領主制一般ではなく,特権付与,幕府領と私領,領主制の規模等の点で領主制を選別すべきことを指摘し,領主制と地域社会の問題については,「百姓成立」という観点から支配国(畿内),藩領国,非領国(出羽・遠州・甲州等)という範疇が設定できると論じている。
斉藤司「近世前期における五畿内近国の鷹場編成」は,関東地域において広範囲に展開している公儀鷹場が,畿内・近国においても豊臣政権以降,徳川幕府になっても存在したことを明らかにしたもの。畿内五カ国には幕府鷹場,近江国・山城国には彦根藩井伊家拝領鷹場,伊勢国には紀伊家拝領鷹場が存在していたという事実は,後述する岡崎論文の事実とともに,評者は初耳であり,畿内地域史研究に大きな事実を突き付けたと考えている。次作が待たれるが,そこでは鷹場の存在を将軍上洛と関連づける氏の主張をさらに展開させてほしいし,なぜ畿内では享保期に幕府鷹場が再興されないのかを,関東と畿内の比較地域論として位置づけてほしい。
以上3 本のシンポ個別報告に続き,関連論文9 本が掲載される。白井哲哉「『領』」編成と地域-近世前期を中心に- 」は,17 世紀末には所領構成をひとつの原則に村々を編成していた「領」と,山野・用水に基づく村連合の実態である「地域」が乖離していたのが,元禄・享保期,とくに鷹場制度の復興によりその一致が図られたと指摘する。未解明な近世前期の「領」の内実に迫ったことだけでなく,「領」を動態的に捉えたことが,本稿の意義である。
平澤毅「享保期における江戸の園地政策-鷹狩・新田開発との関わりとして-」は,隅田堤・御殿山・小金井の桜等江戸周辺の園地は,幕府の地域政策のひとつとして整備されたと位置づけたものであり,将軍吉宗が鷹狩りの最中に地域・民情を巡察し,園地には地域活性化のために整備された園地,新田開発政策の進行・流通経済の発展に対応して整備された園地があることを指摘している。地域の視察・巡察という観点から鷹場を捉え,その具体的成果を園地整備に求めた点がおもしろい。
太田尚宏「御鷹野御用組合の形成・展開と地域」は,享保〜寛政期において鷹場に関する諸政策が,地域の実情に規定されつつ整備されていくことを御鷹野御用組合の形成過程,その後の触次役の展開から論じている。地域社会の動向と関連づけることで,鷹場政策を動態的・構造的に捉えようとしたところに意義があろう。
柔原功一「寛政期における江戸周辺大筒稽古場運営制度の展開-徳丸原大筒稽古場を中心として-」は,徳丸原大筒稽古場を素材に,寛政期に将軍「御秘事」の大筒稽古から幕臣稽古中心へと稽古,の質が変わること,これと追随して同稽古場の管轄が鷹野役所から勘定奉行-代官へと変容することを明らかにする。そして大石学氏が言う個別領主支配を越え,鷹野役所による一元的支配が行なわれるという江戸城城付地のなかに,寛政期を境にこれとは異なる支配原理が登場したと論じている。多様な論点が盛り込まれた好論であるが,評者は,地域編成における幕府領固有の役割を見出だそうとしたところに意義があると考える。
外山徹「江戸周辺地域における霊山信仰の護摩札配札圏の形成-武蔵国多摩郡高尾山信仰を事例として-」は,御師の存在しない高尾山薬王院では,配札を受ける護摩檀家のうち在郷町における比較的裕福な商人が,他の護摩檀家へ御札を取次ぎ,また信仰の講を組織する等,配札活動を助けることで配札圏が拡張していったことを明らかにした。地域形成の問題を在郷町,さらには江戸という都市を射程に入れながら考えようとしていることを,政治編成から地域論にアプローチした他稿にはみられない視点として評価したい。
牛米努「農兵取立てと組合村-武州日野宿組合村を素材に-」は,武州日野宿を素材に,村
の農兵,江川農兵,旗本領の農兵等さまざまな枠組みで成立する農兵に対して,幕府はなんとか一元的に統轄しようとするものの叶わなかったことを明らかにしている。農兵という畿内ではみえにくい素材が扱われているが,それは,幕末維新期において両地域が直面した課題の違いということでもあり,比較地域論として重要なテーマとなろう。
岡崎寛徳「近世中期における彦根藩『御鷹場』の認識」は,近江・山城両国内に存在した彦根藩井伊家の御鷹場について,元和元(1615 )年に井伊直孝が徳川家康から拝領し,その後御鷹場の認識は希薄化するが,宝暦・明和期にその存在が再認識されるようになり,寛政期に入ると井伊家によって御鷹場巡見が開始されるようになったことを明らかにしている。京都所司代,京都町奉行所支配国との関係が気になるが,彦根藩御鷹場の拝領を同藩に課された京都守護,対西国という視点から位置づけたこと,御鷹場は同藩が非常時に際して行動するときの根拠となりえたという指摘は,畿内地域史研究にとって大きな問題提起だといえる。
土屋信亮「近世中後期における大坂町奉行所と西日本地域」は,大坂町奉行所の新田開発許認可権,支配違い訴訟,享保飢饉の対応,盗賊悪党等の広域捜査を取り上げ,大坂を結節点に西日本地域(中国・西国筋)という支配の枠組みが存在したことを指摘した。大坂町奉行所が中国西国筋にかかる金銀出入りも管轄していたことはすでに知られていたが,支配国論の影響が強いせいか,大坂町奉行所の権限といえば,摂津・河内等の支配国内で考えていたことは否めない。本稿はこれを克服しようとした意欲作として高く評価したいが,それだけに大坂城代の位置付けを明確にし,また論のなかで取り上げている個々の権限について,もう少し掘り下げて論を展開してほしかった。たとえば新田開発は「諸国御料所,又は私領と入組候場所」の許認可であって,決して西日本全所領ではないし,また享保飢饉についても,『虫付損毛留書』から知られる幕府の対応全体を明らかにしたうえで,大坂町奉行所与力派遣の意味を位置づけることが必要だと考える。
山崎善弘「近世後期における領主支配の転換と『取締役』制」は,寛政期頃から幕府領をはじめ広く藩領でも設置され,治安維持や備荒貯蓄等に関わった取締役について,畿内・近国御三卿清水領・幕府領を素材に分析したもの。取締役から近代の地方行政の成立を展望しようという姿勢は,地域論にとって重要な問題提起だと考えるが,同じ畿内であっても,取締役が設置されない幕府領もあることをどう位置づけるのか。また郡中惣代についても独自の分析が必要であろう。
以上の簡単な内容紹介に続いて,次に本書の成果から,今後のこの方面の研究のための論点を,大きく二点提示したい。
一つめは,地域編成の画期について。本書所収の各論文は,歩調をあわせるがのように,享保期と寛政期が近世中後期における地域編成の画期であることを論じている。シンポ討論において,竹内誠氏が享保改革の一施策として勘定所の機構が上方部門・関東方部門という地域割から,公事方・勝手方に変更されるという発言をしているが,斉藤・岡崎論文においても,関東と畿内ではともに近世前期に鷹場が設けられながら,享保期の鷹場再興のあり方は異なることが明らかにされており,期を同じくしながらも地域編成の方向性は同一ではないことが知られる。今後,本書各論文で明らかにされた事実を幕政改革と関連づけることが必要となろうが,本書の成果である関東と畿内ではその方向性は違うということを意識していけば,それぞれの地域編成の特質がより深く理解できるものと思われる。また関東に即して述べるならば,寛政期は関東農村が江戸市場を支える江戸地廻り経済圏として編成されていく時期でもあり,これら豊富な研究蓄積をもつ経済的な動向と関連づけることも,必要となろう。
さらに享保・寛政期だけでなく,大石・牛米論文が,関東の地域編成を論じる場合,幕末維新期の位置付けが大切なことを明らかにした。シンポ討論でも,松尾正人氏が藪田氏が提起した支配国,藩領国,非領国という地域編成のあり方が,明治の府県とどう連関していくのかを問うているように,本書は,地域編成を論じるにおいて幕末維新期の評価の重要性を再認識させたといってよい。ところが畿内の側には,幕末維新期を扱った論文が用意されていない。支配国解体論はほとんど手付かずであり,その作業を急ぐ必要があろうが,それだけにとどまらず,本書は畿内地域論に重大な弱点があることを明らかにしたといってよい。すなわち享保と寛政期が地域編成上の画期という論点も,主には関東の成果によるものであり,これまでの畿内地域論においても,たとえば支配国という枠組みが,この両期にどういう変容を遂げたのか,享保の国分けについては言及されているものの,寛政期は乏しく,関東と比較できるほどの蓄積を持たない。また白井論文が近世前期の領の展開について,また大石論文が寛政期と幕末維新期に地域編成の画期があることを論じているように,関東では地域編成を動態的に 捉えようとしているのに対して,畿内では近年,支配の実現の仕組み,権限の内容等支配国の内実を明らかにした研究は盛んであるが,反面,近世中後期以降については,支配国を前提に,これを静態的に捉えてしまっている感は否めない。シンポ討論によると,支配国論があるために,畿内では関東よりも統合的な地域編成論が展開しているかのように思われている印象を受けたが,むしろ評者は,とくに近世中後期の畿内研究の課題が多く提示されたと考える。畿内でも個々の事実レベルでは,支配国の展開・変容は明らかにされているので,今後はそれらをふまえて,支配国論に安住せず,近世前期の国奉行論・八人衆体制論から幕末維新期までを視野に入れた,動態的な地域編成論をいかに立論できるのか,本書は畿内研究に重い課題を突き付けたといってよい。二つめは,薮田論文が提起した支配国,藩領国,非領国という地域類型の受けとめ方について。これはシンポの課題にそったもので,議論の素材を提供したという段階かもしれないが,その意味するところは小さくない。評者もその是非を考えていきたいが,畿内・近国では京都町奉行所の支配国も存在したものの,こちらの研究は大坂に比し て大きく立ち後れており,地域類型のひとつの範疇とするには,大坂と京都の支配国の比較検討が必要である。そして薮田論文の提起は,世直し騒動の位置付けを射程に入れたもので,その意味においても幕末維新期の評価が不可欠である。
また支配国にとどまらない,畿内の地域編成の枠組みを見出だすことも必要である。本書の成果からその手がかりを見出すならば,大坂は,対西国の幕府軍事拠点であるが,これまでの畿内地域史研究では経済拠点,あるいは行政という面に主要な関心が向けられ,軍事の位置付けは乏しかった。その意味で斉籐・岡崎論文の意義は大きい。評者は,大名・旗本で構成される幕府の軍隊が常駐していたところが,大坂を考えるうえで重要であり,大坂を起点に地域編成を論じる場合,軍事面の位置付けが必要だと考えている。そして軍事に目を向けたとき,支配国内の譜代大名の位置付けが重要なテーマとして浮上し,大坂町奉行所を起点にした支配国という枠組みだけで畿内・近国の地域編成を論じてよいのか,問えるのではなかろうか。土屋論文が提起したのは,大坂町奉行所よりも大坂城代を起点にしたときみえてくる西日本地域という枠組みだと考えるが,この土屋論文は支配国論を乗り越える可能性を秘めているように患われる。
藪田論文の提起を関東に即して述べるならば,江戸周辺の地域編成論として展開する江戸城城付地は、歴史用語である「支配国」と比較すると,どのように位置づけられるのか。支配国のもつ権限と何が同じで,違うのか。そしてこの提起をどのように受けとめたのか。シンポ討論では,大きな議論とならなかったようであるが,薮田論文に対する関東の側からの発言が,待たれる。
こうした地域編成の問題を論じるにおいて,近年,畿内では用達・用聞等広域支配と地域社会を媒介する存在に関心が向けられている。すでに関東においても保谷奈緒美氏や塚田孝氏がこのことを論じているし,シンポ討論において平川新氏が,その位置付けは比較地域論として重要なテーマになるという発言をしている。そして媒介者への注目は,それが都市に存在することから,地域編成を論じるにあたって,都市にも目を向ける必要性を提起したのであり,この視点をもって本書の課題に取り組んだことが窺えるのが,外山論文だけというのは,残念である。今後の課題であろう。
以上のように,本書は多様な論点を提起し,豊かな内容をもつと考えるが,真の評価は,このシンポジウムをふまえ,関東と畿内の地域史研究が,相互の成果にも関心を持ちながら,いかに近世史の全体像に迫っていくかにかかっているといってよい。本書はその第一歩である。
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