著者名: 園田学園女史大学歴史民俗学会編『丹波ののぼり祭り−三岳山をめぐる歴史と民俗−』
評 者: 俵谷 和子
掲載誌: 「御影史学論集」31(2006.10)

 本書は、園田学園女子大学が一九九八年から三年間にわたって実施したフィールドワークが契機となって実現した、福知山市域の民俗調査の成果をまとめた 『福知山市北部地域民俗文化財調査報告書−三岳山をめぐる芸能と信仰−』(二〇〇二年刊)を溶解し、一般の読者にむけて編集されたものである。
 この調査の中心に位置づけられているのが、二十五年に一度しか開催されない御勝八幡宮の大祭である。この大祭は、下山保の各村の神輿・芸能が 寄り合うもので、とくに紫宸殿田楽は中世の様式を伝えたものとして知られている。二〇〇一年に復活し記録保存されたこの大祭を私も観覧したが、山間の村落 にひときわ目立つのぼりがたち、かつて「丹波ののぼり祭り」と言われたことの意味を実感したものであった。
 本会々員四名を含めた本書の構成は次のとおりである。

はじめに                            五島邦治
T 三岳祭りと山麓の村々
  三岳祭りと蔵王権現         大江 篤
  三岳祭りと御勝八幡神宮の大祭  久下隆史
  三岳山麓の大江山伝説      西尾正仁
U 三岳山と山麓の寺院
  威光寺の過去帳から見た三岳山  久下正史
  上佐々木村と蓮秀寺       赤井孝史
おわりに              大江 篤

「T三岳祭りと山麓の村々」では、近世の三岳祭りの復元とともにその周辺の村々の伝承を考えている。
 大江篤「三岳祭りと蔵王権現」は、三岳祭りの歴史と背景を考察したもので、祭礼の変遷を近・現代から遡るなかで、上山保・下山保の隔年輪番制で 神輿渡御が執り行われてきたことの理由を、聞き取り・文献資料を駆使しながら明快に提示している。佐々木荘内の勢力を二分する上山保と下山保は中世以来対 立関係にあった。その後の権現蔵王堂の焼失や三岳権現の管理者である別当の不安定から、この対立を引きずったまま祭礼は挙行されたが、元禄十年(一六九 七)に発生した相論の結果、享保六年(一七二一)の隔年輪番制導入に至り、以後祭礼の形態が近代以降も継続されていくことになったことが結論づけられてい る。
 久下隆史「三岳祭りと御勝八幡神宮の大祭」は、大祭だけでなく御勝八幡神宮の祭礼全体について紹介している。近世・近代・現代と年代順に大祭 の様子について、こちらも文献を駆使しながら、祭礼の再現と現行の祭礼について詳細に記述している。「大祭次第」によりながらも、きめ細やかな表現で臨場 感ある祭礼の再現が試みられている。
 西尾正仁「三岳山麓の大江山伝説」は、筆者がかつてフィールドとしたこの地域の酒呑童子伝承の変化に着目し、なぜ当地に大枝山(京都市西京 区)とは違う伝承が定着し発展したのかについて論究している。私たちにも馴染みの深いこの伝承が、三岳山周辺でオリジナリティーをもって展開している点は 興味深い。また、本書の論考はこれまで筆者が扱ってきた「家」伝承研究の成果のうえに成り立っているといえる。
「U三岳山と山麓の寺院」では、三岳山の山麓に点在する寺院と三岳山の信仰の関わりを明らかにしている。
 久下正史「威光寺過去帳から見た三岳山」は、下佐々木にある威光寺に現存する過去帳から、三岳山山岳修験を支えた在地の変質について考えたもの である。三岳山修験における資料は皆無に等しいが、筆者はこれを間接資料となる過去帳から威光寺の別当定着までの動向について浮き彫りにしている。
 赤井孝史「上佐々木村と蓮秀寺」は、三岳山の祭礼の遂行にあたって、何度か行われた祭礼の再編と再定義について、享保十二年(一七二七)の上 佐々木村における日蓮宗徒と真言宗宗徒の相論を通して、中世から近世にかけての三岳祭りの意味と村の変質を論じている。上佐々木村は、近世村としての体制 を整える必要があり、そのために新しい「村」の中核として蓮秀寺(日蓮宗)を創建した。しかし、村の運営に対する庄屋をはじめとする村の有力層への村内の 不満が、村内の真言宗徒らの訴えを契機に吹き出した。上佐々木村の惣村への変革期を祭礼への村民の意識を軸に丹念に描きだしている。
 いずれの論考も一般読者向ということもあって読みやすく、また装丁も手に取りやすいものとなっている。口頭伝承を扱う民俗学者が、文献資料を使って三岳周辺の歴史をどのように浮き彫りにしているのか是非一読してもらいたい。
 
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