著者名: 平野榮次著『江戸前漁撈と海苔』
評 者: 山本 たか子
掲載誌: 「品川歴史紀要」21(2006.3)

 本書は、平野榮次氏の主要な論文や調査報告を全二巻にまとめた著作集の二集目に当たるものである。主要な研究であった富士信仰と富士講などについての論をまとめた第一集に対し、第二集は江戸前漁撈と海苔に関する十の調査報告・論文が収録されている。
 本書の構成は、東京都の漁業 /魚の捕採に関する習俗 /旧大井御林浦漁業聞書−舟をめぐる習俗− /羽田沖の漁撈習俗 /大田区糀谷地区の漁 撈習俗 /港区金杉地区の漁撈習俗 /品川区浜川地区の漁撈習俗/魚の取引に関する習俗 /海苔の取引に関する習俗 /大森海苔習俗聞書 /初出一覧 / 平野榮次氏の研究生活−東京の郷土研究の一側面−/平野榮次年譜 /平野榮次主要業績一覧、となっている。

 まず巻頭の「東京都の漁業」では、東京都の漁業について、一 東京(江戸)内湾漁業、二 海苔養殖業、三 伊豆諸島の漁業、四 江戸川・中川・荒川や多摩川の内水面の漁業と四大別して、その歴史・漁法・習俗に関する記述がなされている。平易な文章でありながら、平野氏の調査・研究 に裏打ちされた著述は、東京都の漁業を理解する際の入門書である。
 これを参照に、以下に、東京内湾漁業の略史を記す。徳川家康は、江戸幕府開設にあたって、江戸内湾に沿った各地に先進地帯の漁民を移住させて 特権を与え、漁法を江戸内湾の漁村に導入させた。江戸後期、数多くの漁業専業集落つまり浦が成立すると、浦同士または農漁兼業集落との紛争が頻発し、文化 一三年(一八一六)、武蔵・相模・上総・下総・安房五ケ国にわたる湾岸の四四カ浦の代表が神奈川浦に集まって協定を締結する。このうち現東京都に所属する 浦は、金杉浦・本芝浦・品川浦・大井御林浦・羽田浦の五カ浦で、これに神奈川県の生麦浦と新宿浦、神奈川浦の三カ浦を加えた八カ浦が「御菜八ケ浦」と呼ば れ、幕府御用の鮮魚納入の義務と江戸湾における漁撈の優先的特権を保持するようになる。明治維新後は、明治一四年六月、東京・神奈川・千葉の一府二県の代 表によって、東京内湾組合漁業契約が調印され、文化一三年の議定以来の漁業協約が締結、同年一二月、旧来申し合わせていた三八職の漁法を再確認された。同 三五年に漁業法が公布され、同時に東京府漁業取締規則が制定された。第二次大戦後、新漁業法が制定され、昭和二六年には東京都漁業調整規則が定められ、内 湾、島嶼、内水面全般の漁業秩序の保持が図られた。
 昭和三〇年以降、東京湾の汚染、埋立事業の促進などによって漁場は漸次縮小され、操業が難しくなったため、昭和三七年一二月、東京湾に面した漁業協同組合は漁業補償協定書に調印し、漁業権を放棄した。
 この漁業権放棄を契機に、平野氏は、東京内湾の漁村や大森海苔等の調査を積極的に進め、以下に収録された報告などを発表された。

 「魚の捕採に関する習俗」は、品川区内の漁村(利田新地・洲崎・鮫洲・浜川)の実態調査が『東京府管内水産沿革図説』(一九四八年)に記された 漁法と比較し記録されている。「旧大井御林浦漁業聞書」は、舟をめぐる習俗と副題が付されるように旧大井御林浦(鮫洲)における舟大工の習俗、操船の方 法、漁の仕方、漁獲物の販売方法、信仰や祭礼等についての聞書きである。「魚の取引に関する習俗」・「海苔の取引に関する習俗」は、旧大井御林浦(鮫洲) における漁獲物の集積、売買に関する慣習等について、在方問屋に伝来した近世末から近代にかけての資料や古老からの聞書きをもとに記述されている。
 これらは、いずれも『品川湾漁業集落調査報告書』(品川区教育委員会、一九六七年)に収録されたものである。漁業権放棄により海苔網の撤去、 大井埠頭としての埋立ての進行などの状況のもと、漁業・漁業集落、漁民、漁具の来歴・変容、漁獲物の集積、売買に関する慣習等について調査したもので、東 京内湾漁業最後の状況を記録した貴重な資料となっている。
 「羽田沖の漁撈習俗」「大田区糀谷地区の漁撈習俗」「港区金杉地区の漁撈習俗」「品川区浜川地区の漁撈習俗」は、大田区羽田など、表題に示さ れる地区における、漁場、漁法などの聞書きである。羽田の報告は、『羽田史誌』(羽田神社、一九七五年)、糀谷地区の報告は『文化財の保護』第一〇号(東 京都教育庁社会教育部文化課、一九七八年)、金杉地区・浜川地区の報告は『文化財の保護』第一八号(一九八六年)に発表された。これらは、「平野榮次氏の 研究生活」で岸本氏が述べておられるように、国の東京湾漁村習俗調査の実施に伴い、刊行が保留となってしまった品川区をはじめ、港区、大田区の漁撈習俗に 関する調査成果をまとめたものと考えられる。
 「大森海苔習俗聞書」は、海苔の栽培・製造・取引のほか、衣服、食事、住居、年中行事、潮の干満、気象と予兆のことにも記述は及んでいる。大田区教育委員会が一九七四年に刊行した『大森海苔資料』(大田区の文化財第一〇集)に収録されている。

 本書に収録された報告は、平易な文章と図が挿入されることで理解を容易にしている。また習俗等の聞書きは、今ではもう聞くことのできない貴重な 記録である。ただ、民俗調査全般にいわれることであるが、話者の体験なのか、伝聞なのかが明示されないため、時期がわかりにくくなっている箇所があること が残念である。また漁具や漁法等に関する漁業の調査研究が比較的よく行われているのに対し、漁獲物の商取引の報告は報告例が少なく、興味深かった。
 平野氏は、また都市民俗学の草分け的な存在で、江戸・東京の近郊地帯の民俗調査に早くから取り組まれた。庚申や富士などの民間信仰をはじめ、 民俗芸能や伝統技術等、さまざまな業績を残された。その姿勢は、『古老聞書』(大田区の文化財第一三集)のはじめに記されたように、「有形の歴史資料は保 存が可能であるため、保存の措置さえ講じておけば、これを長期間世に伝えてゆくことが可能となる。ところが古老の記憶の方は、古老が死去することによっ て、直ちに煙滅するので、できるうる限り…聴取しこれを記録し、整理し…できるだけその話を忠実に記述することに努めた。」というものであった。
 海が次第に遠くなり、東京内湾において漁業が生業であったことを想像することすら困難になってしまった現在、本書は、後進の者にとって、かけがえのない財産となった。先生の蓄積してきた資料や知識を参照し、今後の研究成果につなげていくことを期待したい。
           (やまもと・たかこ 大田区教育委員会・文化財担当学芸員)
 
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