著者名:植木行宣・田井竜一編著『都市の祭礼−山・鉾・屋台と囃子−』
         (京都市立芸術大学 日本伝統音楽研究センター研究叢書 1)
評 者:梁島 章子
掲載誌: 「東洋音楽研究」第71号(2006.8)

 本書は、京都市立芸術大学日本伝統音楽研究センターで、外部の研究者とともに行われてきた共同研究(平成一二年度「山車囃子の諸相」と平成一三・一四年度「ダシの祭りと囃子の諸相」)の成果をまとめた論文集ということである。
 研究代表者で編者の一人である田井氏の「あとがき」によれば、この共同研究は、これまで総合的にとらえられることの少なかった山・鉾・屋台の祭 り囃子について、「日本文化史や日本音楽史の上で山・鉾・屋台の祭りの成立と展開を位置づけ、…囃子の系譜と特質を考察しよう」との目的ではじめられ、そ の祭りの複合的な性格を追求するため、共同研究者は、「音楽学・芸能史学・民俗学・歴史学等」の専門家であると、紹介されている。
 共同研究会は、『山・鉾・屋台の祭り−風流の開花』(白水社、二〇〇一)の著者である植木氏を中心に進められ、研究の主要なテーマとして三 つ、すなわち、「山や鉾、屋台などの、はやされるものと、それを、はやすものとしての、芸屋台や囃子屋台、太鼓屋台などの囃子の関係把握」、「山や鉾、屋 台の祭りのルーツといわれてきた練物の囃子から、山や鉾の囃子への移行についての検討」、「はやされる山や鉾から、はやす芸屋台や囃子屋台への主役の変 化」が、議論されてきたとのことである。

 本書の全体構成は、三つの部分から成る。第一部は、『「はやすもの」と「はやされるもの」』として、本書の基になる考え方が論じられており、第 二部は、『「祇園囃子」と「江戸祭り囃子」』として、代表的で、また広い地域の囃子へ影響を与えてきた二つの祭り囃子の系譜や伝播・展開について、第三部 では、『地域的な多様性』として、地域を広げて、祭りと囃子についての多様な姿が論じられている。
 ところで、書評者としての筆者には、個々の論文について、細かに紹介をし評することが役目としてあるが、筆者の民俗芸能研究は、芸能の一部分 である音楽を調査研究する経験を持つだけであり、本書の論文すべてについて、的確な内容紹介と書評を行うことは、あまりにも荷が重すぎる。そこで、可能な 範囲で、三部分の内容について紹介するが、囃子の音楽的な特徴についての例が多くなることをお許しいただきたい。

 第一部の、『「はやすもの」と「はやされるもの」』は、二つの論文で構成されている。その一つは、芸能文化史学の立場からの総論といえるもの で、植木行宣氏の「山・鉾・屋台の祭りとハヤシの展開」であり、もう一つは、音楽学の立場からの総論で、樋口昭氏の「拍子物とその音楽」である。
 植木氏の論文では、先に紹介した著書『山・鉾・屋台の祭り』での「山・鉾・屋台の祭りの成立と展開」の論を発展させ、「はやされる山や鉾、屋 台と、それをはやす芸能の姿」を、バラエティーに富む山鉾祭りが変化・展開していく中でとらえている。こうした研究は、植木氏の長い年月をかけた全国的な フィールドワークによってはじめて可能になるものであり、学ぶべき内容の詰まった論考である。
 また、樋口氏の論文は、京都を中心に、近畿とその周辺地域の資料によって、山・鉾などの祭りの囃子に使われる以前の「はやすもの」として、中 世芸能の面影を残すといわれる「拍子物」の音楽的な姿を分析している。分析の要素として、楽器の編成や奏法、囃子の旋律やリズムなどを比較し、音楽的な特 徴をまとめ、数ある拍子物の中でも、芸態の異なる芸能は、系統を整理して研究を進める必要があることを提言している。

 次に、『「祇園囃子」と「江戸祭り囃子」』と題される第二部では、前半の『「祇園囃子をめぐって』の中に、二つの論文が載せられ、一つは、音楽 学および歴史民俗学の立場からの、田井竜一氏、増田雄氏の共著『「祇園囃子」の系譜序論』、もう一つは、同じく増田氏の「上野天神祭の囃子」である。
 順序が逆になるが、増田氏の「上野天神祭りの囃子」では、祭りの歴史や形態の変化、それに伴う囃子の変遷、そして、上野の「祇園囃子」の特徴 が示されている。この詳しい各論の内容と他地域のデータを比較する形で、はじめに田井・増田両氏によって、「祇園囃子の系譜」が総論的に論じられている。 両氏は、京都の「祇園囃子」が直接伝播したとされている、亀岡祭り、大津祭り、上野天神祭りの囃子の音楽的要素(楽器の囃す位置や奏法、旋律やリズムの構 成など)を比較し、伝播によって変化した要素と変化しなかった要素を、各祭りの位置する地域的な特徴との関係で明らかにしている。データの比較の方法とし て、伝承されている囃子の曲名はもちろんであるが、楽器の種類や奏法、口唱歌などに加えて、笛の指遣いが使われたことは、興味深かった。
 当センターでは、本書出版の後は、本書での研究成果を基に、京都の「祇園祭りと囃子」についての共同研究が進行中とのことで、その報告が楽しみである。

 第二部後半の『「江戸祭り囃し」の展開』の中には、四つの論文、すなわち、音楽学の立場からの、入江宣子氏の「江戸祭り囃子とその周辺」、芸能 伝承者の立場からの、坂本行広氏の「佐原の山車祭りと囃子−伝承者の視点から−」、民俗学の立場からの、米田実氏の「郷祭りとしての曳山祭礼−近江水口曳 山祭りと日野曳山祭りを事例として−」、それに、田井氏の「水口曳山囃子の成立と展開」が載せられている。このうち、入江氏の論文が総論に当たるもので、 他は、江戸祭り囃子と関わりがあるとされる祭りについての各論である。
 ここでも、各論の方から紹介をはじめる。坂本氏の研究は、千葉県佐原の山車祭りとそれをはやす囃子の歴史と現状を、笛の奏法や曲のレパート リーなどの、細かな内容にまで踏み込んで論じているが、囃子の伝承者ならではの分析や考察が行われている。次の、米田氏と田井氏による二本の論文は、各論 ではあるが、いわゆる共同研究の目的でもある、専門の異なる研究者によるペアの研究成果が示されている例であろう。米田氏は滋賀県の二つの祭り、水口曳山 祭りと日野曳山祭りを取り上げ、祭りとそれを担う地域社会との関係を歴史的にとらえ、その実態を比較して、それぞれの祭りが地域の中で示す存在意義を明ら かにしている。また、田井氏は、まず、水口曳山祭りの囃子を中心にして、地元での祭りや囃子で使われる「用語(習慣的な呼び名)」や口唱歌、楽器の編成や 奏法、伝承法、曲目や各曲の構成と囃す場所などにより、祭りと囃子の変遷をとらえ、さらに、水口周辺に伝わる祭り囃子や江戸祭り囃子との比較も試みなが ら、囃子が伝播、変容を繰り返し、地域的に磨き上げられる様を論じている。
 そして、江戸祭り囃子の総論といえる入江氏の論文では、江戸祭り囃子の、成立の歴史や特徴をとらえるとともに、その広い地域への広がりを、楽 器編成や曲目とそのはやし方(「組曲形式」や「速度変化」を用いる)などの要素を比較して、論じている。「祇園祭り」という名を各地に残しながらも、囃子 は京都の周辺地区のみに伝承されたという「祇園囃子」と違い、各地に「江戸」の名は残さずに、地名で呼ばれる「○○囃子」の中に、それとわかる音楽的な要 素をとどめて広がる「江戸の囃子」の威力は誠に興味深い。

 第三部は、『地域的な多様性』と題して、日本各地の山や鉾、屋台と囃子の研究から、祭りの形態や囃子の変遷について考察した六本の論文から成 る。すなわち、民俗学の立場からの、垣東敏博氏の「若狭小浜の祭礼と山車の変遷−練物・人形山・囃子屋台−」、入江氏の「若狭の祭礼獅子の系譜(続)−小 浜放生祭と高浜七年祭−」、民俗学の立場からの、大本敬久氏の四国の祭礼山車−愛媛県を中心に−」、音楽学の立場からの、岩井正浩氏の「徳島県南部の練り 風流−海部郡宍喰町八坂神社の祇園祭りを中心に−」、文化史の立場からの、福原敏男氏の「福山の左義長ととんど音頭」、そして、音楽学の立場からの、永原 恵三氏の「祭礼と観光のダイナミズム−鹿角市の花輪ばやしを例として−」である。
 はじめの二論文は、いわゆるペア研究といえるもので、福井県若狭地方の祭りに関するものである。垣東氏は、小浜の祭りが、江戸や京都の祭りの 影響を受けながらも、地域の独自性を盛り込みながら展開してゆく歴史や変遷について論じ、入江氏は、同じく若狭の小浜祭りと高浜祭りの囃子を、楽器の編成 や奏法、笛の旋律、曲目のレパートリー、速度を変化させる囃し方などの要素を比較分析して、共通点や相違点を考察し、さらに、若狭全域に広がる祭りの囃子 との関係にも言及している。
 大本氏と岩井氏の二論文は、四国の祭りに関するものである。大本氏は、愛媛県の山車祭りの形態を分類し、それぞれの伝播の様子を明らかにして いる。また岩井氏は、徳島県南部に伝わる三つの祭りを取り上げ、京都祇園祭りの源流的な要素を考察している。囃子に関しては、楽器の編成、祭りの歌や踊り のための歌の歌詞を紹介しているが、次の課題として、音楽面のアプローチの必要性を提言している。大本氏の愛媛の祭りと併せて、音楽的な研究成果が待たれ る。
 次の福原氏の論文は、祭礼を囃す音の多様性を示す一つの例として、左義長(どんど)のかけ声や音頭の「はやしことば」を取り上げ、祭りの造り 物との間に相関関係が見られることを論じており、今後の課題として、はやしことばの歌詞を発掘する必要性を掲げているが、ほとんど記録に残らない民俗行事 の歌詞の収集には、一時もはやい、古老からの聞き取り調査が必要ではなかろうか。その成果に期待したいと思う。
 また、永原氏の論文では、祭りを観光との関係でとらえており、現代に「生き残る祭りの姿」を見ることができる。祭りには、本来、観光客との関 わり以前に、各地域の祭りの担い手のメンバーとして、祭りの当事者以外の、家族や親戚、町衆、聴衆などの参加があり、それぞれ、祭りを支える重要な役目を 果たしてきたと理解している。こうしたメンバーの果たしてきた役目の質が、観光客やカメラマン、調査者などの外部者が加わることによって変わり、また、祭 りが近年流行のイベントヘ参加すること、お囃子のコンクールが開かれることなどによっても変わり、祭りが、本来の「自然な変化」以上に変わりつつあると思 われるが、今後、どのような変化をたどるのであろうか。このことは、「…芸能の楽しみを優先し追求し」(植木氏 四六頁)て市民の祭りへと発展させてきた 次の段階へのステップなのかもしれない。

 筆者の調査活動への参加の仕方は、本来の祭りを無意味に変化させていなければよいがと、反省する機会になった。
 総合的な性格をもつ祭りに関して、これまでの研究のように単発的ではなく、こうして各方面からの研究を一覧で示されると、祭りのもつ力強い姿が 見えてくる。それは、祭りの持つ地域の問題との関わりであり、伝播を受け入れながらも地域性を取り込み、自分たちの祭りを構成していく活力である。
 ここ数年、愛知県や三重県、滋賀県などの山車祭りを見学する機会を得たが、どの祭りでも、祭りを盛り上げようとする人々の異常なまでの熱気を 感じたものである。私的な内容で申し訳ないが、民族音楽学者の小泉文夫に最後に受けた教えの、日本民族の音楽的な好みを一言で言うと「迫力」である、とい う言葉を思い出していた。なにか、通じるところがあるように思われる。
 さて、本書の中の総論的な内容の研究や、この共同研究で明確になった課題解明のための研究は、広い地域に伝承されている多くの芸能を比較する ことによってはじめて可能になると思われるが、個人的に、全調査を行うことは至難の業である。こうした総合的研究を行うためには、共同研究に加えて、わら べうたや民謡の調査研究で用いられたような、研究の方法論をある程度同じくした調査と情報交換が必要と思われるが、不可能であろうか。芸能の変化や廃絶の 著しい今日、近頃の録音録画や情報交換の技術を駆使して、さらに有意義な共同研究が行われ、課題として残された問題の解明が進められることを願ってやまな い。

 最後に、筆者の読む力が足りないためと思われるが、資料の一部、特に楽譜とその解説にわかりにくいところがあった。報告書作成の経験で感じてき たことであるが、文化財研究書の習慣として、右から読む縦書きの中に、左から読む横書きの楽譜や表、図などを挿入することは、読みにくく、またわかりにく いことであり、工夫のいることである。研究上、欠くことのできないこうした資料類であれば、何か読みやすい、そしてわかりやすい提示の仕方についても、是 非、共同研究の中で併せて議論をお願いしたい。
                               (日本福祉大学)
 
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