著者名:東 敏雄著『地域が語る日本の近代』上・下
評 者: 梅田 定宏
掲載誌: 「日本歴史」702(2006.11)

 本書は、地域に生きた人々の心性にもとづいて、近代日本の歴史を描こうとした著作である。対象となっている地域は、都心からほぼ五十キロ圏にある茨城県牛久市。首都圏の近郊農村、田園都市として発達してきた、ごく平凡な地域である。
 著者の東氏は一九七〇年代から、茨城県をフィールドとした実証的研究を続けている。初期の問題意識は「大正デモクラシーの地域的展開」を解明し ようというものであったが、その後、「大正デモクラシー」の成立、挫折といった枠組みでは地域社会の動きは理解できないとして、地域の主体である農民の心 性、その心性にもとづいた農民像の解明に取り組んできた。そして代表的著作『勤労農民的経営と国家主義運動』(御茶の水書房、一九八七年)において、合理 的な思考を持つ家族一体の勤労を尊ぶ農民像=「勤労農民的経営者」を見出し、その形成、変化の過程として大正から昭和の時期を描き出した。本書は著者がた ずさわった『牛久市史 近現代T、U』(牛久市、二〇〇一年・二〇〇三年)の簡略版(とは言っても二巻で、七七六頁の大著である)でもあるが、この『勤労 農民的経営と国家主義運動』の姉妹編にも当たるもので、「勤労農民的経営者」成立の前史を明治初期にまで遡り、さらに戦後期の変化にまで触れたものとなっ ている。
 本書は十九章で構成されている。一章ずつ紹介していては、とても与えられた紙面に納めきれないので、著者が「時の魂」と呼ぶ、人々の心性から導き出した歴史的な時期区分にしたがって、興味深い部分のみを紹介しておきたい。

 第一の時期は明治二十年代までで、第一章から第三章にあたる。この時期は領主制とその変革を実際に体験した世代が村の自治を担っていた時代で、 彼らは村の委任事務に対し批判的精神を持ち、行政村への帰属意識を持たなかったという。この時期で興味深いのは、津田出の大農場を目指した大規模開拓、そ の挫折を受けての女化開拓、旧牛久藩士による岡見原開拓の話である。著者は、平地林が広がる関東農村では、その開発・利用が、地域の性格、農民の心性に大 きな影響を与えてきたと述べ、本書でも開拓、開発の問題を大きく取り上げている。この明治初期の開拓も、牛久に新しい息吹を吹き込み、次世代に大きな影響 を与えたのである。また、次世代を育て、「時の魂」をつなぐものとして、著者は教育の役割を重視し、教育機関、その内容の紹介にも多くの紙面を割いてい る。第三章では明治二十年代に生まれた茨城講農会を紹介しているが、ここで産業としての農業を学んだ若者が、次の「時の魂」を作ったとし、第四章以降につ なげるのである。

 第四章から第九章は「勤労農民的経営者」が活躍するための土壌を耕した人々の時代(明治後半〜大正前半=第二の時期)、「勤労農民的経営者」が 活躍した時代(大正後半〜昭和初期=第三の時期)をあつかっている。著者自身が述べているように、第三の時期の記述が「本書は十分でない」ため、二つの時 期の記述が入り組んでしまい、若干わかりづらいところもあるが、第二の時期の「時の魂」の解明は大変興味深いもので、本書の中心をなす部分であるように思 われる。
 第二の時期の農民を理解するキーワードは「産業人」である。この時期は寄生地主制の成立期としてあつかわれることが多いが、村を実際に担った 人々は、村の産業化に取り組もうとした人たちであったとし、醤油醸造業を営んだ池田金次郎、耕地整理事業に取り組んだ下村勇治郎、牛久シャトーを造った神 谷伝兵衛、馬産を拡げた橋本収司を取り上げる。村外の人物である神谷以外は、茨城講農会に学んだ、あるいはその周辺にいた人物であった。また、村自体が農 学校などを通じて産業教育に力を入れていたことも明らかにしている。第七章では、「産業人」である農民が、日露戦争に際し、農民兵士を「武士」に擬して 「国民」意識を強めていたと述べているが、このことは、この時期の農民の心性、その後の展開を考える上で重要な指摘であろう。
 第三の時期で大きく取り上げられているのは、牛久小学校でおこなわれた「新教育」である。「新教育」は「大正デモクラシ−」の流れの中で取り 上げられることが多いが、著者は国家を前提とした「能動的活動的人間形成」を目標にした教育であると捉え返し、「勤労農民的経営者」形成と同じ流れの中に 置いて評価している。

 第十章から第十四章は、昭和恐慌期から敗戦までの時期にあたる。著者自身は「はじめに」において、この第四の時期とその前の第三の時期を同じ 「第三の時期」としてあつかい、その「内部でのきめ細かい分析の必要性」を主張するにとどめているが、実際の記述は二つの時期に分けられている。この二つ の時期を結ぶものとして分析の対象となっているのは産業組合である。産業組合は「勤労農民的経営者」が市場経済との対抗の中で個別経営の共同化を目指した 段階から、農村の組織再編の中心となった段階へと変化したという。第十四章で紹介されている産業組合書記吉田新一の日記は、戦時下の産業組合の実際、農民 の心の変化を語るもので興味深かった。

 第十五章からは戦後である。ここでは、供出現場の実際や農地改革と並行して進んだ戦後開拓の話などが語られている。中でも農林省の実験農場=農 林省開拓機械化農場の経営と挫折、満蒙開拓団に起源を持つ奥野開拓は、興味深い事実であった。社会の大きな変化の時期に「開拓」という事業がともなうとい う、この地域の特質を表しているのであろう。
 第十八章は高度経済成長期で、「首都圏工業都市」を目指した段階から「田園都市」を目指す段階への変化が語られており、「首都圏」に大きく影 響されるようになったことが記されている。また、ここでは牛久町が財政難の中でも熱心に取り組んだ有線放送、広報活動が紹介されている。これまで触れてこ なかったが、本書では地域の主体である農民が生きてきた制度的環境として、町村の財政問題が一貫して取り上げられている。そして、委任事務に苦しみながら も個性ある村の行政に取り組んできた段階から、補助政策の展開にともなって補助金の獲得が行政手腕と考えられるようになり、町村に人材育成能力がなくなっ ていく段階への変化を語っている。有線放送、広報活動は、そのような流れの中にあっても、何とか自主的な活動を続けようとした動きとして取り上げられてい るのである。

 著者は本書を、一人だけで取り組む「文化運動」であると、「はじめに」で述べている。『牛久市史』を多くの市民が読むことが、市の自治力の向上につながると考えているからである。本書は、市、そして市民による自治の実現に寄せる著者の熱い思いが感じられる著作であった。
                (うめだ・さだひろ 東海大学菅生高等学校教諭)
 
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