著者名: 有薗正一郎著『近世東海地域の農耕技術』(愛知大学綜合郷土研究所研究叢書19)
評 者:西海 賢二
掲載誌:「地方史研究」323(2006.10)

 地理学者の有薗先生にはじめてお会いしたのは、もう三十年近く前のことであろうか。確か歴史地理学会の大会であったかと記憶している。その後の先生の活 躍は『近世農書の地理学的研究』(古今書院)・『在来農耕の地域研究』(古今書院)・『ヒガンバナが日本に来た道』(海青社)・『ヒガンバナの履歴書』 (あるむ)などの研究に集約されるようにまさに八面六臂の活躍をされている。さらに個人的に先生の研究者として姿勢にいつも敬服していることがある。それ はほぼ毎年のように学会報告をされること。さらに愛知大学を拠点に研究を推し進めるにあたって、地域と大学の連繋を自分の研究の展開と関わらせての研究態 度を貫き通していることである。
 さらに付け加えるべきは愛知大学綜合郷土研究所の所員として、名前だけでなく数十本の論考を寄せ続けていることは、大学に籍を置くものが雑用に追われ思うようにならない状況下であることを知っている者として頭の下がる思いである。
 さて、有薗先生が一貫しておこなってきたのは、近世農書が記述する農排技術から、地域固有の性格を明らかにする作業にある。本書は『綜合郷土研究所紀要』に掲載した一一本の論文を基礎にして再構成されたものである。
 本書の特徴は、はしがきでも触れているが、近世から近代に生きたごく普通の人々(庶民)が、日常生活をどのように営んでいたかを農耕生活や食生活あるいは景観などからまとめあげていることである。
 以下に目次を掲げる。

 第1章 近世農書にみる三河国平坦部の耕作技術
 第2章 耕作技術の地域性−『農業時の栞』
 第3草 木綿耕作法の地域性−『農業日用集』
 第4草 木曽三川河口部の水田耕作法−『農稼録』
 第5章 飛騨古川盆地の耕作法−『農具揃』
 第6章 岐阜県東部で使われていた人力犂
 第7章 耕起具の発達過程にみる人力犂
 第8章 東アジアの人力犂
 第9章 三河国村松家の夏期畑地輪作
 第10章 渥美半島の「稲干場」
 第11章 近代初頭奥三河の里山の景観
 第12章 豊川下流域の不連続堤と遊水地
 第13章 近代初期伊賀国庶民の日常食
 第14章 ヒガンバナの自生地と集落の成立期

 第1章では三河国平坦部で著作された農書の耕作技術の地域性を記述したものである。
 第2章では、三河国宝飯郡赤坂村の細井宜麻が一七八五年(天明五)に著作した農書『農業時の栞』を使って、近世後半の三河国における木綿の耕作技術の地域性を記述したものである。
 第3章では、三河国吉田の鈴木梁満が一八〇五年(文化二)に著作した農書『農業日用集』の耕作技術を記述したものである。
 第4章では、尾張国海西村郡大宝新田の長尾重喬が一八五九年(安政六)に著作した『農稼録』を使って、木曽三川河口部の低湿地農法を復元したことをまとめたものである。
 第5章では、飛騨国吉城郡蓑輪村の大坪二市が一八六五年(慶応元)に著作した農書『農具揃』の耕作技術を詳述したものである。
 第6章から8章はアジアという視点にたっての人力犂の分布・形態用途・使用法についての民俗的な手法によりまとめたものである。
 第9章では、三河国北設楽郡下津具村の村松家『作物覚帳』を使って、奥三河における一九世紀前半の畑輪作の性格を詳述したものである。
 第10章では、一八八四〜八五(明治一七〜一八)年に愛知県下各町村が作成した『地籍字分全図』『地籍帳』に記載される地目「稲干場」について、渥美半島の事例をとりあげ、分布と立地を示し、「稲干場」とは稲束を地干しする場であったことを報告したものである。
 第11章では、縮尺五万分の一の初版地形図が「荒地」と記載する場所の実際の景観を、一八八四〜八五(明治一七〜一八)年に愛知県下各町村が作成した『地籍字分全図』『地籍帳』を使って復元を試みたものである。
 第12章は、豊川下流域にある不連続堤の分布、筑堤の歴史、現在の土地利用について記述し、さらに不連続堤の呼称について、土地の人々が呼び習わした呼び方に統一することを提案したものである。
 第13章では、近代初期の伊賀国のごく普通の人々が、日常食の食材をどのようにしていたかを詳述したものである。これまでの家政学や民俗学の分析とは異なり、一八八〇年(明治一三)頃に調査された資料『人民常食種類比例』によって分析したものである。
 第14章では、有薗氏のこの二十年来のライフワークでもあるヒガンバナが日本にきてどのように地域社会に適用されていったかを渥美半島を例に詳述したものである。

 本書はまさに東海地域を中心にして、木綿作に関する耕作技術や、人力犂の分布・形態・繰作法など、近世農書が記述する農耕技術から、地域固有の 性格を明らかにした労作である。かつその卓越した方法論は地理学だけに留まらず、環境と人間の関わりを意識することから、植生や遊水地などの問題にも取組 んだ仕事は、学際研究としての地域研究の在り方を示す一書でもあろう。
 
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