著者名:水野柳太郎編『日本古代の史料と制度』
評 者:森 公章
掲載誌:「史学雑誌」114−6(2005.6)

 本書は奈良大学で長らく教授にあたられた水野柳太郎氏が二〇〇三年三月に古稀・ご退
職を迎えられたのを機に、教え子たちが企画したいわば古稀記念論集であり、斯界の嘉事
として、その刊行を慶びたい。本書の内容は次の通りである(論文には後述の都合上丸番
号を付けた)。
  
  はしがき(水野柳太郎)
  @水野柳太郎「新羅進攻計画と藤原清河」
  A北條朝彦「「市原王」考」
  B南友博「品封小考」
  C牧伸行「『続日本紀』玄ム伝考」
  D平山圭「藤原貞幹著『逸書』抄録の『藤原家伝』上巻−家伝異本の紹介と考察」
  E山本和幸「加賀国の交通路」
  F脊古真哉「郡上安養寺の成立と展開−初期真宗門流から本願寺教団への一例」
  水野柳太郎年譜業績目録
  後記(脊古真哉)

 @は奈良時代後半の遣唐使派遣が藤原清河召還を一つの目的としたことを論じようとしたもので、各次の遣唐使の様子だけでなく、藤原仲麻呂の新羅征討計画や渤海との通交など、当該時期の国際情勢全般にも理解を及ぼしたものになっている。@は一三○頁強の分量で、従来藤原仲麻呂・道鏡政権について政治・制度史的分析を示されている水野氏の外交面での見識を窺わせるものとして興味深い。
 Aは市原王の経歴に見える造東大寺司の「知事」の解明を柱に、市原王の経歴を丁寧に調査し、造東大寺司をめぐる政治状況と市原王の立場に言及したもので、B禄令食封条の品封支給の実態を明らかにするとともに、大同元年前後に出現する無品封について、その成立の事情に論究した内容になっている。いずれも基本史料の収集と制度史的考察を通じて、正確な理解に努めた論考である。
 Cは玄ムについての史料を悉皆集成し、諸史料の記述の差違などを丁寧に照合し、伝記の復原に努めたもの、Dは表題の史料翻刻と校異を呈示したものである。『家伝』については沖森卓也・佐藤信・矢嶋泉『藤氏家伝 注釈と研究』(吉川弘文館、一九九九年)の刊行により校本が整備されているが、諸本によると、死去直前の任官は「内大臣」ではなく、「太政大臣」とするものが多いことがわかっており、今回紹介の翻刻もそのようになっている。七世紀後半の微妙な考察に関わる基礎的事項であるだけに、こうした基礎的な検討も重要であろう。
 Eは中世の交通路・近世北国街道との比較、旧版地図・地名からの地理的条件、古代建物遺構の出土状況、国衙・郡家の位置などから駅路を復原するというオーソドックスな手法を示している。河北潟周辺に関しては出土文字資料を検出した遺跡に注目すると、水上交通にも目配りする必要があり、総合的な交通体系の復原にも留意したい。Fは古代史の論考ではないが、初期真宗寺院が如何なる過程で本願寺教団に属することになるかという大きなテーマの一分析事例となる。不明の部分も残るが、各種史料を集成しての考究は、歴史学の手法として参考になるところが多い。

 「はしがき」によると、編者が演習の授業で要望したのは「史料については遺漏なく収集し完全に理解すること、制度については解説に終始することなく運営の実態を解明すること」であったといい、本書所収の各論考はあたかも水野ゼミの報告を彷彿とさせるもので、先生冥利に尽きるのではないかと思われる。水野氏の益々のご健勝と論考を寄せられた各人のご活躍を祈念し、拙い紹介を終えたい。
 
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