著者名:ヨルン・ボクホベン著『葬儀と仏壇−先祖祭祀の民俗学的研究−』
評 者:岩田 重則
掲載誌:「日本民俗学」247(2006.8)

     l

 本書は、民俗学ではおそらくはじめての仏壇についての本格的研究である。本書の最大の意義は、どこにでもあるがゆえに重要な民俗学的課題であるべきであった、しかし、研究課題としてきちんとした分析がなされてこなかった仏壇を、まさしく研究「壇」上に乗せたことにある。
 これまでの民俗学的仏壇研究は、著者も研究史整理の中で指摘しているように、論証されず仮説にとどまりながら、二つの理解が定説であるかのように存在してきた。ひとつは、竹田聴洲による持仏堂発展説、もうひとつは柳田國男などによる盆棚発展説である。著者の言葉を使えば、両者とも「仏壇の起源」をめぐる仮説であるが、著者はこれらに対して反証を提示し、著者なりの「仏壇の起源」論を提出している。いわば、通時的な仏壇研究である。同時に、仏壇をめぐる現代の霊魂観を、島根県の一地域をフィールドとして解明しようとこころみている。いわば、共時的な仏壇研究としても本書は成立している。

     2

 このように、本書の意義は民俗学的仏壇研究にあると思われ、また、著者における本書刊行の目的もそこにあると推測されるので、ここでの論評もそれを中心として行なっていきたいと考えている。但し、本書はそれのみで構成されているわけではない。奈良県をフィールドとする葬送・墓制をめぐる事例研究なども含まれている。
 まず最初に、本書の全体像を紹介しておきたい。本書の構成は以下の通りである。

  序論
  序章 先祖祭祀の研究と霊魂観念
 第一部 先祖祭祀における葬儀の意味と死霊の扱い方
  はじめに
  第一章 日本における葬墓制と死霊祭祀の歴史
  第二章 奈良市阪原町における葬送儀礼
  第三章 奈良市阪原町における葬送儀礼の意味付け
  第四章 奈良市街における葬送儀礼
  第五章 奈良市街における葬送儀礼の意味付け
結び
 第二部 仏壇の起源及び死霊祭祀における役割
  はじめに
  第六章 民俗学における仏壇に関わる理論と問題点
  第七章 仏壇の起源に関する理論の再検討
  第八章 仏壇の発生に関わる諸要素
  第九章 死霊祭祀における霊魂の扱い方
 結論

 本書は、大きく二部構成をとっており、第一部が主に奈良県をフィールドとする葬送・墓制の事例研究、第二部が民俗学的仏壇研究である。そして、構成に即していえば、本書の意義および著者の目的の中心は第二部にあると思われるが、第一部においても、評価すべき点として、以下三点があるように思う。

 一つは、著者のフィールドワークにおける観察が現在の葬送・墓制を対象としていることである。一般的に民俗学では、明らかに仏教民俗的現象として存在している葬送・墓制を把握するにあたり、そこから仏教民俗的要素を抜き去り、あるいは、考慮に入れずに、調査・研究を行なってきた。また、近年では徐々に研究課題として浮上しつつあるとはいえ、火葬・葬祭業者の一般化にともなう現代的変容についても視野に入れられることは少なかった。しかし、本書はこうした従来からの固定的手法ではなく、現在の葬送・墓制をありのままに観察することから出発している。そのために、たとえば,現在の葬祭業や、火葬骨のとり扱い方にも注意がなされている。これについては、第一部だけではなく、第二部をも含めて、本書全体につらぬかれている著者の調査・研究上の基本的姿勢であろう。

 二つは、一つめの特長である現在の葬送・墓制に対する観察眼によって、葬送・墓制をめぐる死穢の摘出が行なわれていることである。変容しつつある現在の葬送・墓制への観察の中から、個々の民俗事象における死穢観念の有無を検討している。特に、病院・葬祭業者・家・地域社会それぞれが、遺体とどのようにかかわっているのかを検討しつつ、死穢観念を把握しようとしている点は興味深い。病院・葬祭業者のかかわりあいによる死および遺体の隠蔽とでもいうべき状態、地域社会への死穢の波及を避けようとする行為、そして、それらを含めて、死穢が家を中心にしていまだ強固な観念であることを指摘している。ステレオタイプ化した葬送・墓制における死穢解釈ではなく、病院での死、火葬・葬祭業者などの存在をふまえた上で、存続している(あるいは強固になっている)死穢観念の把握を行なっている。

 三つは、葬送・墓制研究において従来指摘されてきた、いわゆる「霊肉分離」観念に疑問を提出していることである。この点については、評者も墓上施設研究の中で疑義を提出しつつ、むしろ、儀礼的には「霊肉」一体化が求められていることを指摘したことがあるが〔岩田 二〇〇三b〕、従来の定説とは正反対の議論であり、ひとつの問題提起であるといえる。この著者の場合は、遺骨・遺物(髪・爪)を祭祀対象としていることを主な例として、こうした主張を導き出しており、考慮すべき問題提起であろう。但し、この著者において、「霊肉分離」観念に対する疑問は、「肉」といいながらも遺体そのものではなく、遺骨・遺物を視野に入れた議論であり、著者が「霊肉分離」観念への疑問を提出する際に利用している資料が適切なものかどうか、再検討の必要性があろう。

    3

 次は、本書の中心といえる第2部の民俗学的仏壇研究についてである。最初にも記したように、本書は、「仏壇の起源」についてのこれまでの二つの仮説、持仏堂発展説(竹田聴洲)、盆棚発展説(柳田國男など)に疑問を提出している。その上で、近世における寺檀制度の浸透、位牌と仏壇の相互関係性、「負い仏」をする漂泊宗教者の影響、「仏壇屋」の成立など、いくつかの要因がからまりあって、仏壇の発生と普及があったものとする。明らかに、著者は、柳田の「固有信仰」としての祖霊信仰学説ではなく、仏教民俗学的視点によって仏壇をとらえようとしている。
 このような内容を持つ本書は、すでに指摘したように、民俗学におけるはじめての本格的な民俗学的仏壇研究であると位置づけることができるが、著者の議論に対して疑問も覚えた。今後の展開を期待しつつ、評者なりの疑問を述べてみたい。
 まず著者による持仏堂発展説の検討についてである。著者は竹田聴洲「仏壇の成立する民俗学的論理」(一九五三)および「持仏堂の発展と収縮」(一九七六)を批判的に検討しつつ、中世末期から近世初頭に在地に存在した持仏堂が縮小し仏壇が形成されたとする竹田説が成立し得ないのではないかとする。竹田における柳田の祖霊信仰学説への傾斜を批判し、また、実際の持仏堂を例としてとりあげ、その論拠としている。
 著者の議論は、おそらく論理的には整理されている。しかし、評者は、以下二点において疑問を持たざるを得なかった。

 一つは、竹田説の理解についてである。竹田の仏教民俗学的研究は、初期にさかのぼればさかのぼるほど、柳田の祖霊信仰学説の影響を受けている。しかし、その初期から彼の独自性としてあった仏教民俗学的研究は、一九六〇年代から七〇年代にいたるほど、仏教的要素を重視している。彼の金字塔『民俗仏教と祖先信仰』(一九七一)にまとめられた諸論考にいたっては、まさしくこの大著のタイトルにもあるように、祖霊信仰の成立を近世社会における仏教の民間への浸透として把握する、仏教民俗学的視点が濃厚である。いわゆる「両墓制」の成立を民間寺院の浸透過程の中にさぐろうとするなど、竹田が終生つらぬいた仏教民俗学的視点は、晩年になればなるほど濃厚になると考えてよいだろう。そして、著者がここで批判する初期の論考「仏壇の成立する民俗学的論理」(一九五三)においてすら、竹田は寺檀制度の浸透による仏壇の成立を主張しているほどである。
 しかし、著者の竹田説批判は次のように激しい。
 「この論文も当時の時代背景が色濃く反映され、短絡的な面も多数見受けられる。一例を挙げると、竹田は祖先信仰を日本民族の固有信仰と見なして論じている。『固有信仰』は彼の論を貫いている言葉であるが、これには柳田國男からの影響が明らかである。この固有信仰の一つの特徴としては、死霊から祖霊への昇華があるが、古代にこのような信仰が実際にあったかどうかは疑問である」〔二七二貢〕。
 評者も柳田の祖霊信仰学説には大きな疑問を持っているが〔岩田 二〇〇三a、二〇〇三b〕、竹田説をそれと同一視するべきではないのではないか。特に、著者は「短絡的」という極端な言葉を吐いているが、竹田説は著者がいうほど「短絡的」なのであろうか。著者に再検討してほしいと思う。著者の竹田説把握と批判は一面的であり、むしろ、著者の「仏壇の起源」説と竹田説における仏教民俗学的視点は相矛盾するものではないように思う。
 なお、著者が竹田説批判の俎上にあげた論考「仏壇の成立する民俗学的論理」を、著者は本文のみならず巻末の「参考文献」のところでも、すべて「仏壇の成立する民俗学的理論」と誤記している。節タイトル(第七章の一)にも利用されている重要な論考であれば、引用に際して細心の注意をはらう必要があるのではないか。
 二つは、竹田の持仏堂発展説への反証方法についてである。著者は、主に島根県の二事例をとりあげ、竹田説をして「持仏堂が縮小化し、家屋内仏壇になるという説は、想像の域を脱していないのではないかと思われる」〔一七八貢〕とする。評者も、竹田説における持仏堂発展説が説得力のある論証がなされているとは思わないが、いっぽうで、本書における著者の反証にも説得力があるとは思われない。一地域の二事例のみをとりあげ、しかも、その二事例がとりあげられた理由が説明されないまま反証とされている。著者は「序論」の二「研究の方法」の中で、GlaserとStraussに拠るとしつつ、「『理論上の実例(試料)〔サンプリング〕』と『統計上の実例(試料)』とを区別する立場を取る。『理論上の実例(試料)』は理論を生成させるためであり、『統計上の実例(試料)』は理論を証明するためである」〔二三頁〕と述べており、それを、評者なりに理解すれば、ここでの著者の反証は『統計上の実例(試料)』に相当するものと思われる。しかし、反証というにはあまりに事例僅少であり、著者の仮説を設定するための事例提示にすぎないのではないか。評者は、GlaserとStraussの理論については未知であるが、著者の説明から読みとれば、ここでの反証は、『理論上の実例(試料)〔サンプリング〕』、仮説の提出にとどまっているように思われてならない。

 次は、著者による盆棚発展説の検討である。盆棚発展説は、柳田國男『先祖の話』(一九四六)によって提出されて以来、論証されないまま定説のようになってきていた。この不確定的な定説を著者が批判しようとすることには評者も同意する。盆棚と仏壇との不連続性を証明することができれば、柳田などによる盆棚発展説は崩壊するわけであり、著者が盆棚と仏壇の異質性を強調しようとすることは、分析視角としては的確であろう。
 しかし、ここでも、著者の反証の提出方法に疑問を覚える。著者は、奈良県・和歌山県・島根県それぞれ一例ずつの盆棚をとりあげ、仏壇との異質性を説こうとしている。ここでとりあげられている事例はいずれも近畿地方、西日本の事例であり、盆棚および盆行事が新盆(近畿地方の言葉ではふつうは「初盆」)において顕著にみられる地域である。ところが、すでに喜多村(小松)理子「盆棚(のいろいろ)」(一九七七)などの盆研究によって、盆棚は西日本と東日本では大きく異なることが指摘されてきている。東日本では盆棚がふつうの盆に際して設営される装置(新盆では並行して高灯籠なども設営される)であるのに対して、西日本では新盆に顕著である。つまり、本書の著者が盆棚発展説への反証としている事例はいずれも西日本の新盆的装置としての盆棚の事例であり、通常の盆の装置としての東日本のそれではない。特に、東日本では、仏壇とは別に盆棚を設営するだけではなく、仏壇の前部に棚を作り盆棚を設営する場合も多い(以前は仏壇とは別であったが簡略化して仏壇の前部に作っていると説明を受けることもある)。つまり、東日本では、盆棚と仏壇とが現象的には連続している事実があるのであり、こうした東日本における盆棚の事実に検討を加えなければ、柳田などによる盆棚発展説への反証を行なったことにはならないのではないだろうか。
 そして、著者がこうしたこれまでの持仏堂発展説および盆棚発展説への反証を行なおうとし、その上で、仏壇普及の要因としたのが、近世の寺檀制度の浸透、位牌収納所としての仏壇の形成、仏壇浸透に果たした「聖」(「負い仏」)の役割、「仏壇屋」の発生などであった。それぞれが、興味深い指摘であるが、全体的に緻密な論証が行なわれているとはいいがたい。一例をあげれば、漂泊宗教者の「負い仏」が仏壇の浸透に影響を与えていると指摘しているが、いみじくも著者が「負い仏の厨子と仏壇の形式上の関連は明らかである。六部が担ぐ厨子を見ることによって、人々には聖なる礼拝の対象物は、厨子のような箱型入れ物(容器)に納めるものなのだ、という意識が広がったのではないか」〔一二九頁〕と、「負い仏」と仏壇の形態上の類似を理由として、疑問形で主張をまとめているように、著者の主張は論証というよりも仮説の提示にとどまっている。仏壇普及をめぐる本書での仮説が興味深いものであるがゆえに、各要因についてより緻密な論証を期待したいと思う。

    4

 評者には、本書全体を通して、著者の主張にわかりにくい点が多かった。特に、用語使用上、その用語が何を意味しているのか、把握できかねることもあった。最後に、そうした点で特に気づいた点を、以下二点指摘しておきたい。

 一つは、著者の使用する「死霊」の意味についてである。「死霊」は頻繁に「死霊・先祖」として「先祖」と並列的に使用されている。いっぽうで、たとえば「新しい死霊は死霊(先祖)の社会に参入するようになる」〔一一五頁〕であるとか、「家族は多次元のものを封じ込める傾向、つまり死霊と他界に対する『恐怖』があったとしても、その一方で他界にいる死者の霊魂に対しての『愛着』を無視することができない」〔二七三頁〕とされる。あえて教科書的な定義づけをする必要はないと思うが、細かくいえば「死霊」と「死者の霊魂」の異同、さらには「死霊」と「先祖」の異同などについても、文章のコンテクストからも読みとることが困難であった。これは評者だけのことであればよいが、読者全体がそのような読後感をいだくのであれば、著者には、いっそう明快な議論を期待したいと思う。

 二つは、「位牌は『死霊の依代』」〔二五五頁〕などとして使用される「依代」の意味である。あえて著者の文意を読みとれば、「死霊」が宿る物体をして、「依代」という用語を使用しているように思われる。しかし、「依代」とはもともと折口信夫「髯籠の話」(一九一五〜一六)により、他界からの来訪神の宿る物体を意味するものとして提出された分析概念である。折口における「依代」は、山車・屋台の上部に付属する髯籠のような放射状の形状を持つ物体を原形とし発想され、外部からまねかれる神が宿ることを示す分析概念として設定された。ところが、本書で著者が使用する「依代」は、生活世界内部において発生した「死霊」の宿る物体として把握されている。本来の分析概念としての「依代」が意味しているものは他界からの来訪神の宿る物体としてであるが、本書での「依代」は生活世界内部の霊魂が宿る物体の意味で使用されている。生活世界の外と内の違い、神と霊魂の違い、分析概念「依代」の意味が著しく歪曲ないしは拡大されて使用されているように思われてならない。

 ここでは、二点のみ指摘してみたが、本書においては、こうした用語使用の不正確さは否めないように思われる。著者の文章の文脈に即して読みとることにつとめたが、用語使用における正確性の欠如が、本書全体を通じてわかりにくさの原因になっているように思われてならない。
 さらに、細かなことであるが、著者の文献引用の基準に疑問を覚えた。巻末の「参考文献」に列記された文献について、たとえば、著者が多くを引用する竹田聴洲の文献を例としてとりあげると、竹田聴洲「仏壇の成立する民俗学的論理」(一九五三)は初出雑誌などが明記されず初出年のみが記され、『竹田聴洲著作集』八〔国書刊行会 一九九三〕への所収が並記されている。しかし、同じ竹田の「持仏堂の発展と収縮」(一九七六)については、初出雑誌・初出年が明記されず、しかも『竹田聴洲著作』九〔国書刊行会 一九九六〕への所収があるにもかかわらず、なぜか竹田編『葬送墓制研究集成』三〔名著出版 一九七九〕を所収書籍とし記している。先行研究の学説把握を正確にするためにも、依拠する文献に対する正確な確認が必要ではないかと思われる。

《参考文献》
・岩田重則 二〇〇三a 『戦死者霊魂のゆくえ』 吉川弘文館
・岩田重則 二〇〇三b 『墓の民俗学』 吉川弘文館
・折口信夫 一九一五〜一六 「髯籠の話」『郷土研究』三−二・三+四−九(『古代研究』民俗学篇一 一九二九 大岡山書店所収)(『折口信夫全集』二 一九九五 中央公論社 所収)
・喜多村(小松)理子 一九七七 「盆棚(のいろいろ)」『民具マンスリー』九−一一〜一二・一〇−一
・竹田聴洲 一九五三 「仏壇の成立する民俗学的論理」『禅学研究』四四〔『竹田聴洲著作集』八 一九九三 国書刊行会 所収〕
・竹田聴洲 一九七一 『民俗仏教と祖先信仰』東京大学出版会(『竹田聴洲著作集』一・二 一九九三 国書刊行会 所収)
・竹田聴洲 一九七六 「持仏堂の発展と収縮」『日本文化史論叢』柴田実先生古稀記念会〔『竹田聴洲著作集』九 一九九六 国書刊行会 所収〕
・柳田國男 一九四六 『先祖の話』筑摩書房〔『柳田國男全集』一五 一九九八 筑摩書房 所収〕
 
詳細へ 注文へ 戻る