著者名:武田正著『天保元年やかんの年−早物語の民俗学−』
評 者:花部 英雄
掲載誌:「日本民俗学」247(2006..8)


 本書の著者である武田正は、山形の地に錘を下ろしながら、長く東北の口承文化を見通してきた研究者である。殊に山形県をくまなく歩いて昔話を採集し、その表顕と研究に携わってきたことは衆知の通りである。そうした傍ら早物語への関心を深めつつ、ひそかに暖めてきたテーマを熟成させたのが本書である。本書の内容構成は次の通りである。

 早物語の時代
 てんぽ物語考
 昔話・わらべうたと早物語
 奥浄瑠璃と早物語
 狂言・昔話と早物語
 ことば遊びの早物語
 「はいはい物語」のわらべうた
 『人倫訓蒙図彙』にみえる〈芸〉
 義経伝説への道−東北での義経像の定着−
 昔話・わらべうたと早物語再論−結びに代えて−

 収録された八本の早物語関係の論文を、著者のモチーフを踏まえて大別すると、早物語の東北に至るまでの道筋と、東北における展開とに分けられようか。前者は、安間清の『早物語の研究』およびそれ以後の早物語研究を、芸能史の中に位置づけることに主眼を置きながら説いた啓蒙的な概説である。ここにはこれまでの研究の新たな知見はない。あるとすれば後者の東北における展開である。著者の関心は、中央で完成した早物語が東北の地でどのように展開し定着していったのかという、伝承の実態を追究することであり、副題に「早物語の民俗学」とつけたゆえんもここにある。
 その東北における早物語の展開を、著者は早物語の他ジャンルとの交渉、転移という視点から具体的に事例をあげながら比較検討している。座頭や芸人の口を通して語られた早物語をまず大人や若者たちが吸収し、やがて昔話やわらべうたへと流れ、子どもたちの世界に広がっていったという。舌耕の徒の文芸を享受者の視点からとらえ、東北の早物語の現在を、口承文芸全体の中に位置づけ評価していこうとする方法を示したものといえる。
 
詳細へ 注文へ 戻る