著者名:久住真也『長州戦争と徳川将軍−幕末期畿内の政治空間−』
評 者:星野 尚文
掲載誌:「地方史研究」322(2006.8)

 幕末政治史は、明治維新史のなかでも特に研究の盛んな分野である。とりわけ、ここ二〇年ほどの間、原口清・宮地正人・青山忠正・家近良樹・三谷博などの諸氏が精力的に論文を発表し、研究の水準は飛躍的に高まった。その到達点として、現在「一会桑」に代表される幕府側勢力に研究の焦点が当てられているが、久住氏の著作も、こうした研究動向のなかで生まれた成果だといってよい。まず、目次を紹介しよう(紙幅の都合上、節・項は省略する)。

 序 章 本書の分析視角
 第一章 徳川幕府の復古と改革
 第二章 第一次長州出兵と元治元年の政治情勢
 第三章 慶応元年将軍進発態勢の創出
 第四章 長州再征遂行主体の形成と環境整備
 第五章 板倉・小笠原の政治路線
 第六章 長州処分執行態勢の確立
 終 章 将軍畿内滞在態勢への道

 本書でとりあげている時期は、元治元年(一八六四)末から慶応二年(一八六六)後半の約三年間で、長州戦争期の分析を通じて、将軍が畿内に長期間滞在する態勢がいかにして形成されたかを論じている。本書のなかで、先行研究を批判しながら積極的に自説を展開している箇所は数多いが、そのひとつとして、久住氏が「幕府復古派」と命名した政治勢力の分析(第一章)があげられる。氏によれば、彼らは文久改革路線を否定するとともに、幕府安定期への復古を目指し、政権掌握後に反動的な政策を行っていったとされる。そして、復古派に対立する勢力(一会桑など)が復古派政治を転換する唯一の方策として構想したのが、復古派と将軍とのつながりを断ち切ること、すなわち将軍の畿内滞在態勢の創出であったというのである。その過程は、第二章以降で論じられているが、詳細は本書の記述に譲りたい。
 ところで、本書の分析視角で特徴的なのは、原口氏のそれを受け継ぎ、最高国家意志の決定がいかなる政治的枠組みのなかで行われるか、という点を強く意識していることである。こうした分析視角から、「長州戦争は、朝廷に対する『反逆者』をいかに処置するかという、当時の全領主階級を覆う国家意志の問題であり、政治体制の問題として第一に考えなければならない性格のもの」と規定され、同時に「国家意志の問題を欠いたところの長州戦争論は、幕府有司などの主観的願望から、直ちに戦争の目的や性格を論ずる短絡的議論に陥るであろう」と、幕府内の「親仏派」を重視した一部の先行研究はきびしく批判される(本書一一頁)。
 また、久住氏は、厳密な定義を伴わずに用いられている概念の見直しをも積極的に提起している。そのひとつの例が「一会桑」である。従来「一会桑政権」と呼称されることも多いが、久住氏は、やはり原口氏の研究を参考にしながら、「政権」とは最高政治権力=国家権力であり、かつ最高国家意志を掌握しているものであると定義し、当時の国家意志の決定権を掌握しているのは将軍と天皇・朝廷であることから考えると、「一会桑」を政権と呼ぶのは妥当ではないと主張している(本書一七頁)。こうした研究手法や研究姿勢に関しても、本書からも学ぶことは多いと思われる。
 さらに、研究に関わる部分だけでなく、「あとがき」のなかに記されている「今、とにかく思うのは、私自身はまだまだ半人前の研究者だが、一人前の研究者になる以上に、ひとりの社会人として当たり前のことを、当たり前のようにできることが大事だ、ということである」という一文にも好感を持った。本書が多くの方々に読まれることを願っている。
 
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