著者名:悪党研究会編『悪党と内乱』
評 者:蔵持 重裕
掲載誌:「日本歴史」699(2006.8)

 悪党研究会より『悪党と内乱』が出版された。これは七年ほど前に刊行された『悪党の中世』(岩田書院、一九九八年)に次ぐ悪党研究会の第二論文集である。会の提唱者である佐藤和彦氏は去る五月一三日急逝されました。本書によってその健在ぶりを喜んだ矢先のことであった。心からご冥福をお祈りいたします。
 本論文集はV部に成っている。以下順に紹介する。

 Tでは各地各事例の悪党が検討される。佐藤和彦論文では、大部荘の正応五年以降の悪党の乱入事件が検討され、この中には海賊の張本人といわれる人物や悪党として知られる人物が含まれていたことが明らかにされる。本論文は次の楠木論文の前提をなしている。
 楠木武論文は定説化した悪党検断システムと在地の実態の関係について、文保三年の播磨国大部荘の悪党退治を論じる。この悪党安志氏は海賊でもあり、加古川・林田川を媒介にして瀬戸内海水運による年貢輸送を担う存在であった。本所が彼ら悪党・海賊を訴えるのもこうした年貢輸送をめぐるトラブルが背景にあるとする。
 太田順三論文は研究の欠けている得宗被官の本質論を課題とする。律宗久米田寺を再興した蓮聖は、丹波吉富荘の運河を開削し、播磨の福泊を築いた。氏は、彼は事業家であるとし、その事業は、内陸から海岸への「港市」の構築に相当し、国際的な交通を担うものと評価する。以上三論文は商業・事業・交通にかかわる人物が、悪党と呼ばれ、活動的で社会にポジティブな悪党の性格の一面を明らかにしていて興味深く、悪党論の一角をなす。
 藤井崇論文は、近年の「立荘論」を念頭に置きつつ、在地からの視点で「荘域の領域化」を検討する。尾張国近衛家領の長岡荘と堀尾荘は建永元年以降、境相論を起こし、鎌倉前期に係争地の暫定的耕作権を認められた堀尾荘側が、中期に永続的な耕作権と主張することによって勝訴=荘域の拡大、領域化を進めるという。面白い事例で、酒井紀美氏が述べた道を限ることと合わせ、領域観念を考えさせられる。
 櫻井彦論文は、開発由緒によって覚照は摂津国生島荘の返還を九条家に要求し、その代替に播磨国田原荘西光寺院主職を与えられたことに伴う悪党事件を取り挙げる。田原荘定使・公文らが悪党行動を働き、新代官を拒否したのである。つまり悪党事件は在地勢力による荘園経営保全のための行動であったという。悪党事件を通じて荘園経営の実行主体の検出をしたところに説得力と面白みがあり、悪党が荘園領主を支持する形になるとして、「悪党」の言表のベクトルを相対化している。

 Uは悪党に限らず内乱期の社会事象を論じる。小野澤眞論文は「悪党」観念の成立を、宗教、特に私度僧の集団形成の視点から検討した意欲的なものである。鎌倉期私度僧らは教団を形成するが、その過程で俗の論理を肯定し体制化をすすめ、一方で顕密権門宗派も庶民信仰を含みこむ。その過程で宗教的筋を通した浄土真宗は異端となり、「悪」とラベリングされる、という。悪の観念の研究は仏教に限らず今後の研究に有効な視点として共鳴できる。
 徳永健太郎論文は大宰府安楽寺を事例とする。一四世紀に成立した惣官家は、南北朝期には大鳥居家と小鳥居家に分裂し、筑前守護職今川了俊が大鳥居家に肩入れし、「神社興行」し、また、地域社会へ混乱と対立を生み出した、という。なぜ寺社興行なのか、康暦の堺相論など「地域」「連帯性」「住人」等の語を散りばめた説明が整合的か、評者には検討の余地があるように思えた。
 徳永裕之論文は備中国庄氏と洞松寺、伊勢氏と法泉寺の事例から、氏寺へ土地を売寄進するのは、所領保全行為であるとし、逆に荘域外者の買得寄進は氏寺檀那一族との関係強化のためである、とする。土地寄進を、氏寺を核に売買当事者間との三者で関連づけ、金融ネットワークの存在を想定して捉えたところに面白味がある。
 田中大喜論文は南北朝期の武家では「兄弟惣領」の構造にあったとする。これは鎌倉初期からの親子や兄弟分業の所領経営形態を背景に持つもので、この克服の上で惣領制が成立する、とする。評者には、戦時と危険回避を企図する社会集団の生き方として理解しやすい立論であった。
 小林一岳論文は平和令と徳政のリンクという視点から、貞和二年二月と十二月の二つの室町幕府令を平和令として位置づけ、逐条に解説し、発令の背景と適用例から、この二令は直義の徳政として位置づける。発令の背景を明らかにした意味は大きい。中世の為政者にとって政道の第一は寺社の興行にあり、視点は理解できるものの、やや分析単位が大きすぎるのではないか、との感想を持つ。

 Vは史料の検討である。原美鈴論文は、「二条河原落書」につき表記の異動から諸本の検討を行い、内閣文庫「建武記」・「建武二年記」から東京大学本居文庫「建武記」等への系統を明らかにされ、前論文集の中島啓子・山本宮子両氏の注釈・口語訳を補訂された。説得力のある有益な研究である。
 大竹雅美論文も「「悪党」史料一覧」とともに悪党研究の基礎的作業で、本研究会の活動の成果を示すもので作業者に敬意を表したい。
 渡邊浩史論文は本論文集の巻末を飾るにふさわしい、研究会の自負と気炎を吐いたものである。近年、順次刊行された啓蒙書中における悪党関連記述を検討したものである。その結果、いずれも「史料的実態から目を背けている」こと、そして、氏が提起した「十二世紀半ばから考える視点を提起できない」でいるとする。そして、今後の悪党研究の課題を「十三世紀中頃の在地社会の変化」を明らかにすること、そのために「支配システムと在地社会との関係」が鍵であるとする。

 以上、全体として好感の持てる意欲的な論文集である。
 悪党は確かに中世の鍵言語であることは間違いない。それは四方八方に開いている。そして、悪党とはすでに実態論や行動論でもなく、「悪党召し取り構造」が最大公約数的な位置を占めている観がある。これは、古文書学的文献史学の極みとして理解しやすいが、やはりそこにか、の感がなくもない。
 課題は、渡邊氏や小野氏の指摘するように「人間の心の問題」に関わって、「悪党」と「言表すること」の文化の解明ではないか。実態があって、それに「悪党」の言葉を当てるのではなく、大きな声で訴えること、文字の言表、その“文化”が何か知りたく思う。「無為」という中世人の治安・安穏感覚のなかにあって“悪党”とアピールすることの制度ではない社会性が知りたいところである。また、それと密接に関連するが、悪党は「群衆」なのか、「群衆」に対することなのか、古い問題であるが気になる。勿論、本研究会のメンバーが斧●(金+戊)を振るい、研究史を彫琢されてきたことは十分承知の上で、一知半解な感想である。様々な研究テーマを醸しだしてくれる啓発的な論文集である。
                  (くらもち・しげひろ 立教大学文学部教授)
 
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