著者名:松永昌三編『近代日本文化の再発見』
評 者:筑後 則
掲載誌:「史潮」59(2006.5)

本書は中江兆民研究で知られる松永昌三氏(茨城大学・岡山大学名誉教授)の古希を記念した論文集で、執筆者は松永氏および同氏のゼミ出身者と、氏が編纂に参加した『山口県史』の現代部会関係者である。本文構成は以下の通りである。
 [第一部]「明治文化の諸相」 
 松永昌三「中江兆民にみられる「理義」と「利益」」
 矢島ふみか「明治前期東京府の遊芸人税」、
 浦井祥子「近代日本の時報−皇居の午報を中心として−」
 後藤彰信「石川三四郎の思想形成と伝統思想」
 [第二部]「占領期の文化」 
 栗田尚弥「目的と手段−占領下「民主主義」論に関する一考察−」
 大島香織「『中国新聞』とヒロシマの「平和運動」」
 古屋延子「失われた漢字文化−プランゲ文庫をテキストにして−」
 中司文男「占領下日本における検閲地域の変遷
 植山 淳「「プランゲ文庫」と占領期研究」
 [第三部]「地域社会への視座」 
 河野健男「日本における地域社会の展開過程−歴史と地域振興思想の登場−」
 来島 浩「門司港の石炭荷役労働−明治〜昭和二十年代を中心にして」
 以下、各論考の概略を適宜紹介させていただく。

 [第一部]の松永論文は、冒頭に中江兆民『一年有半』から「民権これ至理なり、自由平等これ大義なり」以下を引き、兆民の愛用語「理義」に、現実社会での個の利害「利益」を対置して兆民の言論活動を俯瞰し、兆民思想の核心を提示する。明治前期に西洋近代と遭遇して東洋思想を再発見した思想家は少なくないが、その探求の深さと有効射程の長さにおいて兆民が屹立していることを、読者はこの松永論文により再認識するものと思う。「理義」と「利益」の論点は近代合理主義に発する問題性を鮮明に照射するからである。
 後藤論文は、石川三四郎の思想的軌跡をキリスト教社会主義者としての時点(大逆事件前後)まで辿った論考で、まず石川の「社会主義」に「キリスト教の一神教的体系性と儒教的ポジティヴィズムの結合」を指摘し、次いで石川が「個の変革と社会の変革の同時遂行」への原理を希求するなかで、老荘−王陽明の伝統思想に出会い、主観と客観・個と社会の統合の原理に到達するまでを跡付けている。後藤論文の主題もまた、近代国家の問題性を根源から問おうとする意識を感じさせる。
 矢島論文は、明治前期の東京府における遊芸師匠税・遊芸稼人税について、府会審議と賦課方法・税額の推移を中心に検討しているが、ここから「正業」者の遊芸世界への離脱の抑制という意図を指摘するには、税制・税則の運用実態の検証とともに、課税=納税行為が芸人の社会的公認=正業化を意味する側面を整合的に説明する必要があろう。
 浦井論文は、近代移行期の時間意識や時刻制度のあり方を探るため、明治期以降の時報システムのひとつである午砲の設置・管理・運用について論じている。「時の鐘」から「午砲」への転換は興味深いテーマであり今後の展開が期待されるが、近代前期は政軍ともに制度・組織の創設改廃が激しいので、史料・文献の利用等には細心の注意が必要である。

 第二部「占領期の文化」は、米国メリーランド州立大学「プランゲ文庫」所蔵の山口県関係の雑誌および新聞を用いた論考が中心である。
 栗田論文は、敗戦後の市井における「民主主義」論の諸相を分析して、占領下での言論では民主主義を「手段の面」だけから論じたものが多く、肝心の、民主主義の目的(理念)や達成すべき新たな社会像について触れたものが少ない、という実態を明らかにし、これを「片翼民主主義」と名づける。この事態とは、松永論文も指摘する兆民晩年の叫び「わが日本古より今に至るまで哲学なし」以来の、近代日本の宿痾なのか。筆者はこれを、戦後日本の政治が容易に「逆コース」へ舵を切り替えることが出来た理由と指摘している。
 中司論文は、「プランゲ文庫」を生んだ占領下の検閲制度の変遷について述べている。筆者によれば、日本の降伏は連合国(の検閲担当部署か)にとって「予想よりも早かった」ため、占領軍の検閲組織は態勢不充分のまま始動し、当初は検閲地区も目まぐるしく変化し多くの問題を抱えたが、最終的には「中央集権的一元化」態勢が採られたという。
 植山論文は、「プランゲ文庫」の日本への紹介史と、今日までの研究史の整理を目的とし、もはや占領軍の検閲実態解明の史料としてだけではなく、戦後庶民の「言論」を考える上での基礎史料となった「プランゲ文庫」の価値について論じており、中司論文とともに同文庫利用のための基礎研究として重要なものであろう。
 古屋論文は、「プランゲ文庫」の山口県関係の雑誌を資料として、敗戦後の国字改革における新字体や漢字制限による「置き換え」の不合理性を検証している。「プランゲ文庫」利用の研究の広がりと可能性とを示唆する論考であろう。
 大島論文は、六〇年安保以後の原水爆禁止運動が政党間の主導権争いで分裂低迷したとき、原爆被害者の視点に立って新たな「原爆報道」を確立し、市民による運動の再生に資した『中国新聞』の報道企画の意義について考察している。「ヒロシマ問題」は現代史の最重要テーマであり、また報道は「集合的記憶」に大きくかかわっているだけに、ヒロシマ史、ヒロシマ問題、ヒロシマの心など言葉の定義には厳密さと細心さが望まれよう。

 第三部の河野論文は、前近代社会における地域社会の展開過程を素描分析したのち、一九七〇年代の松下圭一「シビル・ミニマム論」から八〇年代の「地域主義」、さらに九〇年代以降の「内発的発展論」へと至る地域振興思想を解説し、ここに「国の行う地域開発に依存しない独自のまちづくり運動と、思想の発展・成熟として戦後日本の地域社会史を語り得る」可能性を指摘している。前段の分析と後段の指摘との間に、近代成立期の地域分析が挿入されていれば、筆者の「歴史貫通的」な説明はより説得力をもったのではないか。
 来島論文は、港湾荷役労働の形成・変遷・特徴や港湾荷役労働者(仲仕)等について門司(港)の石炭荷役労働および労働者を例にとって考察し、日本資本主義の展開に伴う港湾荷役労働の変化を検証したものである。
                        (法政大学通信教育部兼任講師)
 
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