著者名:河西英通/浪川健治/M・ウィリアム・スティール編『ローカルヒストリーからクローバルヒストリーヘ−多文化の歴史学と地域史』
評 者:無署名
掲載誌:「図書新聞」2779(2006.6.24)

地域史すなわちローカルヒストリーの視点から、日本史像を再構成する。本書は、それによって新しい日本史像を浮び上がらせる試みといえよう。
 地域歴史学を提起する本書の課題は、従来の日本史像を相対化するとともに、「いくつもの日本」の先にどういう世界を見るか、ということである。
 本書収録の「地域と国民国家」でブライアン・プラット氏は、明治政府の国民化計画において、不可欠な改革であった中央集権的な義務教育制度の創出と教育政策の変化、そしてそれらと地域との関係を論じる。そこから見えてくるのは、国家の政策に対する地域の抵抗とともに、地域からの積極的な交渉と対話という事実である。プラット氏はいう。
 「国家形成のプロセスにおける地域の抵抗、地域の主導性、地域のアイデンティティが果たした役割を認識し、国民国家が地域の要求や期待の痕跡をどのように留めているかを指摘することで、地域史は国民の物語に挑戦することができる」。
 また、「あらゆる歴史は地域史である」でM・ウィリアム・ステイール氏は、一八八○、九〇年代に三多摩を舞台に活躍した政治家、吉野泰三を論じる。彼は八〇年代には自治の擁護看であり、九〇年代には国家利益の擁護者となった。しかし、吉野は地域への忠誠を捨てたのではなく、国政に挑戦し続けても、地元利益の促進にこだわり続けたと著者は述べる。
 地域の利益と国益の相互作用は、対立的なものではない。それを包括的に見ようとするならば、「中心−周辺」パラダイムでは単純すぎるとスティール氏は述べる。周辺は一つではない。つまり、あらゆる歴史は地域史にほかならないのである。
 こうした地域史の特殊性からこそ、歴史家は一般的な結論を導き出すことができる。スティール氏は、新しい物語を探究することは、「上から下へ」の筋書きを「下から上へ」置き換えて済むものではないと述べる。歴史のリアリティとはもっと無秩序なもので、国家の主導性と地域の政治活動についてだけでなく、その逆、つまり地域の主導性と国家の政治活動についても語るべきだとする。
 ニール・ウォーターズ氏は「地域史・国家史・世界史の架け橋としての青年会」において、複数の明治があることは疑いえない、と述べる。それゆえに、地域史研究者が「支配的なパラダイム」を脱構築し、一人ひとりに異なった明治があったと躊躇せずに言うことができるような、明治日本の新たな理解を打ち立てるために、帰納的な地域史研究を積み重ねていかねばならないとする。
 河西英通氏は「東北は日本のスコットランドか」において、近代日本に東北地方を〈日本のスコットランド〉、すなわち劣位のものと見る認識があったことを跡付ける。しかも、東北=スコットランド論は日本人に限られるものではなかった。その際、「日本のスコットランド」のラインとなるのは、アイヌ民族の歴史的評価であった。
 ローカルヒストリーの個別研究をもとに、日本というアイデンティティと帰属意識の形成過程を一つひとつ検証することが、「共通の歴史学」への道となる。本書はその課題を追究した一書である。

 
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