著者名:丑木幸男著『戸長役場史料の研究』
評 者:中野目 徹 Toru NAKNNOME
掲載誌:「アーカイブズ学研究」4(2006.3)

 戸長役場史料とは、明治4年(1871)から同22年(1889)にかけて、末端の自治体である区・町・村における行政の責任者として置かれた戸長によって作成、収受された文書その他からなる史料群である。当該期はいわば我が国近代の離陸期にあたり、政治だけでなく経済、軍事、教育などあらゆる分野で改革が進められた時期と考えられているが、地方制度の面でも近代化を下支えする基礎的自治体のあり方をめぐって様々な模索が続けられた。その結果、幾たびもの制度変革が繰り返されることになったのである。戸長役場史料は、そうした制度の変遷と運営の実態を今日に伝えてくれる貴重な近代史料の一つであるといえよう。
 本書は、このような基本的性格を有する戸長役場史料を検討対象に据えた初めての本格的研究であり、歴史学の観点から見ても、またアーカイブズ学の観点から見ても、汲み取るべき多くの成果を包蔵していることが予測される。
 著者の丑木幸男氏は、群馬県内の公立高校、同県史編纂室勤務を経て、平成2年(1990)からは国文学研究資料館の史料館(現在のアーカイブズ研究系)に転任され、現在に至っている。著者は元来、群馬県域を中心とする近世〜近代の社会経済史・地域政治史を研究領域とされ、平成6年(1994)に筑波大学から博士号が授与された際の論文も「石高制成立と在地構造−上州沼田藩を事例として−」であり、ほかにも『蚕の村の洋行日記』(1995年、平凡社)、『地方名望家の成長』(2000年、柏書房)などの成果を学界に問うてこられた。したがって、丑木氏による本書の刊行は、地域史研究を積み重ねるなかで蓄積された戸長役場史料に関する知見を、国文学研究資料館史料館における研究課題として大成されたものと見ることができよう。この間に著者は、同館編の史料叢書4として『戸長役場の史料』(2000年、名著出版)も責任編集している。
 評者は以前、本書が取り扱っている戸長役場史料と同時期の中央政府=太政官の文書を中心に『近代史料学の射程』(2000年、弘文堂)を上梓した。その後、鈴江英一氏が北海道開拓使文書に関する研究を基礎として『近現代史料の管理と史料認識』(2002年、北海道大学図書刊行会)をまとめている。本書の冒頭で著者は、この二書によって「近代史料学研究の深化がみられた」(本書7頁)と位置づけ、それらを意識しながら以下の分析と考察を進めようとしている。前述したように、本書は歴史学の立場からもアーカイブズ学の立場からも論評することが可能であるが、本稿ではまず、二つの学問分野から相対的に独立した研究領域としての「近代史料学」の最新の成果として本書を取り上げることにしたい。

 本書は400頁に迫る大著であるから、全体を見渡すために、まず目次を掲げておくのが行論上順当であろう(括弧内は初出年)。
 序 章 戸長役場史料の伝存状況(書き下ろし)
 T 戸長役場の機能と史料管理
  はじめに
  第1章 戸長役場の機能(1993〜95年)
  第2章 戸長役場史料の構造と形態〈1997年)
  おわりに
 U 戸長役場史料の形成と保存・廃棄
  第3章 近代的史料管理秩序の形成(2000年)
  第4章 戸長役場史料の成立とその構造(1992〜2003年)
  第5章 戸長役場史料を焼き捨てる−秩父事件と戸長役場史料−(2001年)
 終 章 市町村合併と公文書(2002年)

 上記のように本書は大きく二部構成となっており、第T部では戸長制度の変遷と史料管理の全体的様相を主として法令や自治体史の史料編を用いて解明し、第U部では個別の史料群を事例として分析することにより地域社会との関連にまで論及している。なお、本書全体で採用している時期区分は、@明治4年(1871)の戸籍法制定、A翌5年の名主制度廃止、同年の大区・小区制導入、B明治11年(1878)の郡区町村編制法制定、C同17年(1884)の連合戸長制から21年(1888)の市制・町村制制定(翌年施行)までという4期である。以下、各章ごとに内容を紹介し、あわせて成果と注目点にも触れていきたい。

 序章では、近年における近代史料学研究の動向に触れたあと、それらが概して私文書への配慮に乏しいことを指摘し、戸長役場史料をアーカイブズ学の視点から検討することで、そのような研究状況を乗り越えていこうという本書の意図が述べられる(8〜9頁)。
 ところで、著者のいうアーカイブズ学は、「記録史料の作成・蓄積・保存の管理システムを解明することにより、史料保存をはかるとともに、記録史料を生み出した組織体の構造・機能を明らかにし、史料管理を切り口にしてその組織体を含む社会の特質に迫ること」(9頁)をめざすものであるが、評者が思うに、引用の後段は歴史学固有の研究領域であろう。したがって、この引用に続いて、「本書は日本近代初頭の地方行政の遂行過程で作成・蓄積・保存されたアーカイブズである戸長役場史料の保存管理形態の変化をとおして、近代社会の特質を、解明することを目的としている」(同上)と本書執筆の目的が語られることになる。本書全体の性格づけとも関わる部分として記憶に留めておきたい。
 序章ではそのほかにも、戸長の職務に関する統一的な規程は明治11年(1878)まで設けられなかったこと(ここは初出論文の記述を訂正)、戸長役場史料は現在の町村役場、大字又は区、戸長の子孫宅という3箇所に所在していることなど、第1章以下の内容とも関わる重要な指摘がなされている。

 第T部の「はじめに」では、まず、従前の近代地方自治制度に関する研究史が概観される。ここでは、亀卦川浩氏以来の成果を整理したうえで、全体としては、明治5年(1872)に発足した大区・小区制によっても、近世以来の町村の自治体としての固有性は失われなかったという見解を導き出している。そのうえで、「政府と地方とのせめぎあいにより試行錯誤を経て地方制度が成立した」(28頁)という著者の基本認識が示される。この「せめぎあい」という概念は、本書全体を貫くキーワードになっている。

 第1章では、法令と自治体史の史料編に収録されている各地の「実態」を示す規程類から、戸長の職務及び戸長役場の機能を通時的に明らかにしている。本章の成果を先の時期区分に即して挙げると、まず@からAへの変遷過程では、「戸籍区制から大区小区制への変更は、大蔵省(内務省設置以前は内政を所管−評者註)と地方官との対立によるものであり、大蔵省が方針を変更して実現した」(56頁)という指摘が注目される。Aの時期においては、表2(68〜69頁)でまとめられているとおり、全国に及ぶ統一的な制度化には程遠い状況のなかで、戸長の機能と戸長役場史料の構造が規程類や引継目録の分析から明らかにされている。Bの時期では、町村の合併・連合と分離・独立をめぐって、住民の自治意識は当時の自由民権運動と結びつくものではなかったが、政府−府県は彼らの連動を強く意識して対応していたことを指摘している(119〜120頁)。また、Cの時期への移行過程で、戸長層の官僚化が促進されたとしている(124頁)。

 第2章は、大きく二つの内容からなり、前半では戸長改役や町村の合併・連合と分離・独立などの際に作成された引継目録を分析することにより、戸長役場史料の構造を解明している。第1章では制度変革に即した通時的な方法が採られていたのに対して、本章では戸長の管轄区域という空間的な要素が重視される(159頁)。多くの引継目録を分析した結果、戸長役場史料は戸長のもつ行政の末端としての機能と共同体の代表者としての機能という二つの機能に応じた史料を内包していること(175貢)、引継ぎに際して一定の評価・選別がなされていたこと(185頁)などの指摘は重要である。こうした性格を有するがゆえ、「戸長役場史料は戸長役場期に完結するのでなく、その全体像は地域内の区有史料・個人史料・町村役場史料を含めて検討することの必要性を示している」(186頁)のである。
 後半では、戸長役場史料を古文書学でいう形態論と様式論の視点から、印章、罫紙と「恐れ乍ら」文言が検討されている。近代史料学において、これらの分野は著者が言うとおり「多くの課題が未開拓」(198頁)であり、本書でも二つの史料群からの類推に止まるが、「黒印から朱印への転換が完成するのは第一次世界大戦後であった」(209頁)という指摘は、在地社会の性格を考える場合の一つの指標になろう。

 第T部の「おわりに」では、以上のような内容が「せめぎあい」の実態という観点から整理され、戸長役場史料の「過渡的性格」(218頁)が強調される。

 さて次に、第U部に配置された第3章は、岐阜県高山市郷土館所蔵の「旧高山町史料」を素材にして、近世史料(町会所文書)→戸長役場史料→町役場史料という変遷のなかで作成された史料目録を手がかりに、「史料管理秩序」(223頁)を明らかにすることを目的としている。分析の結果、作成・保存組織の変遷にともない、史料管理も主題別分類→機能別分類→組織別分類と変容していくことが述べられる。近世から近代への「史料管理秩序」の変化を、@保存管理主体の変化、A史料群の分類基準、B史料群の原秩序の変化という三点にまとめているが、ここでは、「史料管理秩序」という概念がやや不明確であり、また、著者も言うように、近世から近代にわたる史料が体系的に残存している「稀有な事例」(257頁)に基づく成果であることを、承知しておく必要があろう。

 第4章は、国文学研究資料館史料館が所蔵する埼玉県大麻生村(現在は熊谷市)古沢家文書のうち戸長役場関係の史料を素材として、子孫宅に残存した戸長役場史料の成立過程を詳細に跡づけたものである。古沢家文書に包含されている戸長役場史料は、当時の当主古沢花三郎が戸長を辞職した際に後任者へ引き継ぎしなかった分であり、それゆえ写、控、下調帳又は断片的な史料などが中心になっている(278貢)。評者も自治体史編纂事業に関わるなかで、個人史料のなかに混在する戸長役場史料に出会う機会を経験したが、丑木氏による古沢家文書の分析方法は、史料群の整理と構造的理解にあたって導きの糸となり、とりわけ引継目録の重要性についての認識を革めさせられるものであった。
 なお、本章の結論部分にある次のような認識は、本書全体の結論にもなっている。

 史料管理からみた戸長役場期の特質は、戸長の職務、史料管理の主体、史料内容、保存空間については名主的性格が強いが、目録作成の目的・分類基準は町村役場期に類似し、近世から近代への移行期にあたり、画一的な史料管理システムは未確立であった。政府の推進する近代化に対抗して、自生的な改革を志向した時期に対応して、各地で独自な史料管理を模索した時期といえる。(中略)
 近代的な史料管理システムが成立するのは日清・日露戦争前後であり、政府と地方とのせめぎあいが落着し、地方行政が独自の形態で安定した「明治憲法体制」の確立に対応したものである。(295〜296頁)

 続く第5章はやや趣きを異にし、明治17年(1884)に発生した秩父事件において、多くの戸長役場史料が襲撃の対象とされたことに注目し、権力側と民衆側の史料認識の相違を浮き彫りにして、近代日本においてアーカイブズの制度が定着しなかった理由を考察した好編である。事件後の裁判史料が主たる検討素材となるが、蜂起した民衆は「自分ハ無学ニシテ姓名ヲ記載スル位」(313頁)と言いながら、債務証拠を記した簿冊を焼却していた事実から、地方行政の末端の戸長役場史料のもつ権力性について考えさせられた。同時に、戸長役場に保管されている「銃猟鑑札元帳」によって武器を調達していく(323頁)、蜂起民衆のしたたかさを見ることもできる。いずれにせよ、我が国で近代的文書館制度が導入されなかった謎に対する一つの解答が、ここで実証的に示されているのである。

 本書全体を締め括る終章は、昨今の市町村合併にともなう公文書廃棄の危険性に警鐘を鳴らすという、すぐれて実際的な課題を扱っている。事例として取り上げられている千葉県文書館所蔵の源村役場文書が、かつての地方改良運動において模範村に指定された村の史料だったというのは示唆的というよりも象徴的であり、要するに作成・保存主体である自治体の力量が歴史資料残存の決定的要因となっているのである。著者は、今回の合併促進を「市町村公文書の保存体制確立の好機」(388頁)と、前向きに捉えることで本書を結んでいる。

 以上のように本書は、戸長役場史料の多面的分析をとおして「近代史料学」の研究領域を部分的に深化・拡張した成果として高く評価されるべき内容をもっており、近代史料における戸長役場史料の特異な位置と歴史的な価値を余すところなく語り尽している。
 しかしながら、全体に単純な誤字や脱字がやや目立つことはともかくとしても、なお残された課題の多いことは、著者自身によっても自覚されているのである。たとえば、第T部の最後のところで「近代史料の確立を解明するために町村役場史料と在地の近代史料の関連性の検討が今後の課題として残されている」(220頁)と付言されているとおり、たしかに本書ではそのような観点からのアプローチは弱かったといえよう。このほかにも評者なりに気づいたことが二、三あるので、無いものねだりの蛇足であることは承知のうえで以下に記しておきたい。

 まず、これは本書全体の性格づけとも関わるのであるが、分析視角であるアーカイブズ学の方法論が整理されていないため、どのような先行研究との対話を望んでいるのか、必ずしも明確ではない点である。初出論文のかたちをほぼ活かしたまま構成されているために、第T部と第U部にわたって方法論的には重複している箇所があり、そのことも本書の全体構造を分かりにくくしている理由の一つかもしれない。アーカイブズ学の世界で本書は、史料認識論の領域に属する成果として永く研究史に残ることになろうが、そうした意味では先行研究の紹介にもう少し紙幅を費やしてもよかったのではないか。あるいは、先述のとおり終章に運動論的な一篇を当てているが、ここで本書がアーカイブズ学に対してもつ意義を確認しておくべきだったのではないか。
 これに対して、地方自治制度史研究や自治体史編纂事業に従事する者にとって、数多くの史料を渉猟した結果示される戸長制度という行政末端の「実態」は、今後の研究や事業で踏まえるべき成果として、説得力をもって迫ってくる。評者はかつて、山中永之佑氏の監修する『近代日本地方自治立法資料集成』全5巻(1991〜98年、弘文堂)の共編者に加えていただき、明治初期から現行地方自治法制定までの関係史料を通読する貴重な機会を得たが、このときは戸長役場史料までは視野に収めることができなかった。国の法令や府県の意向が末端の自治体ではどのような受け止められ方をするのか、丑木氏は自由民権運動との連動も含めた「せめぎあい」として、それを「実態」のレベルで明らかにしたのである。そうした点では、国−府県−郡−町村という垂直的な関係を戸長役場史料から見定め、近代日本における地方自治制度の総体を捉えることは、本書の出現によって可能となったのであり、今後に残された課題であるといえよう。
 その他個々の問題については、すでに指摘したものもあるが、一点だけ付け加えるならば、たとえば第3章で高山の戸長役場史料の変遷を説明するような場合、分かりやすい図を用いることはできなかっただろうか。鈴江氏が町村役場文書の構造を立体的に図示しているような手法(鈴江前掲書353、436頁など)は、本書でも有効だったように思われるのである。

 総じて見ると、本書はやはり歴史研究者による史料論として読むことが、最もしっくりくるような気がする。著者にとってそれは無理のないことであり、評者が「近代史料学」を模索するなかで共感をもって本書に接しえた理由でもある。本書の成果をアーカイブズ学の分野ではどのようなかたちで受け止めるのか、今後の展開に注目していきたい。
 丑木氏は今春、国文学研究資料館を退かれると聞いているので、本書はあたかも卒業論文のような位置づけになるのだろう。本書に結実した著者の描く戸長役場史料の世界は、歴史学の分野では若い世代の研究者たちに着実に受け継がれている。
 
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