著者名:京浜歴史科学研究会編『近代京浜社会の形成』
評 者:松崎 稔
掲載誌:「自由民権」19(町田市立自由民権資料館 2006.3)

「神奈川県の研究・学習・顕彰を読む」
 (前略)
 京浜歴科研編『近代京浜社会の形成』と同研究会の活動

 京浜歴科研は、前述のように神奈川実行委を名称変更し、横浜・川崎を主なフィールドに近代史の研究会として再出発し、@「『神奈川県史』を学ぶ会」、A集中研究会、B「歴史を歩く会」、C『京浜歴科研会報』の発行、D『京浜歴科研年報』の発行、を主な活動としてきた。そして、創立二〇周年を迎えた〇四年に、それを記念して刊行されたのが本書である。構成は、下記の通りである。

 発刊に際して(内田修道)
 第一編 海防と相武の村々
  弘化・嘉永期における幕府砲術稽古場と江戸湾防備の展開(神谷大介)
  梵鐘の海防供出(奥田晴樹)
  和親条約締結直後のアメリカ船への対処(鈴木由子)
  横浜開港をめぐる周辺住民の動向(伊東富昭)
  名主が記録した幕末の社会情勢(岩崎孝和)
 第二編 京浜社会の歴史的形成
  東海鎮守府の設置過程(惣田充)
  野村靖の地方制度論(大湖賢一)
  人口統計から見る橘樹郡の町村(内田修道)
  道府県町村長会と町村長(植山淳)
  陸軍登戸研究所の研究・開発・製造の体制と地域基盤(渡辺賢二)
 第三編 歴史学習活動と研究の方法
  ウォーターズの川崎研究(香川雄一)
  吉村昭の文学と「生麦事件」(青山永久)
  ロレンツ・シュタインの〈行政〉概念(青山文久)
  教科書問題のとりくみから見えてきた歴史学習運動の課題(石山久男)
  京浜歴史科学研究会二〇年のあゆみ(大湖賢一)
                     (章番号は紙幅の都合上、省略した。)

 本書は、このように幕末と明治以降で編を分け、第三編では歴史研究・学習の方法を考える構成となっている。
 第一編の幕末に力点が置かれているが、これは京浜歴科研が活動の中心の一つに据えた「『神奈川県史』を学ぶ会」の成果を反映している。『県史』では、「海防開国編」が一冊の史料集となっており、ペリー来航以降の激動に大きな影響を受けた旧神奈川県域の状況を詳しく知ることができる。その史料集を読みこなし、そこから更に研究を深化させた結果ということができよう。
 また、第二編は、『県史』の「明治編」「明治大正編」「大正昭和編」を読んだ成果である。本書が『近代京浜社会の形成』というタイトルにされている割には、この明治から昭和を分析した論文が少ないという印象を抱かざるを得ないが、それは会の今後の活動・会員の研究努力に期待することにしたい。また、自由民権百年をきっかけとして結成された研究会だが、自由民権運動そのものの研究は扱われていない。ただし、大湖賢一「野村靖の地方制度論」は、神奈川県令だった野村靖の地方制度観を考察したもので、県内の自由民権運動との関係を考える上では重要な指摘に溢れている。

 しかし、むしろ本書のもう一つの特徴は、「第三編 歴史学習活動と研究の方法」にあると考えるべきである。編としてのまとまりがあるかは疑わしいが、この一編を設けようとする意志に、京浜歴科研の目的と性格が現れているといえる。今回筆者が、この本を自由民権一二〇年を考える際に取り上げるべき、と考えた理由も、この第三編の内容とその背景にある京浜歴科研の活動方針・形態にある。
 京浜歴科研の創立にあたり、代表内田修道氏は次のような発言をしている。

 四年間にわたる自由民権百年記念の運動は私たちに様々な課題を投げかけています。この記念運動の過程で展開された地域の埋もれた民衆の歴史の発掘−掘り起こし運動は単に歴史的事実を解明するというのではなく、その掘り起こしに参加することで自分自身ひいては地域の住民の歴史認識を変革してゆく成果を上げてきました。この運動は、北海道、会津、秩父等で典型的に展開されてきました。これらの地域の特色は近代の出発点から現在まで人的・物的な特質がつながっているということです。私たちの京浜地域にこの運動をそのまま輸入できません。私たちの京浜地域は近代の初頭から人的・物的なつながりが何回も断絶され、その断層が連なっているのが特質です。こうした地域で掘り起こし運動が提起している課題を受けとめ、それを発展させる方法を創造することが現代の私たちの課題です。これは簡単なことではありませんが、地域の歴史を科学することの中にその鍵があると確信しています。(本書三九四頁、もとは『会報』一三号)

 民権百年時に盛んに謳われた「掘り起こし運動」には、二つの側面がある。一つは、文字通り史料の発掘・発見で、もう一つは、埋もれた歴史に光をあてることである。内田氏の発言では、主に後者の意味で使われていると思われるが、人的・物的なつながりを歴史的に持たない住民と地域の歴史を研究・学習する(掘り起こす)こと、を京浜歴科研が課題としている宣言となっている。
 また、京浜歴科研の会則第二条には、「勤労者・住民を主体」として地域学習・地域研究を進めることで、歴史教育や文化的諸活動の科学的・民主的発展をはかることが目的としてあげられている。この目的について、内田修道氏は「発刊に際して」の末尾に、

 本会の学習活動は、学ぶ権利は学んだ成果を社会に還元して初めて成立するという前提に立っている。還元の仕方は学校教育の場であり、社会教育の場(講演会・市民講座・歩く会など)であり、出版物などである。それらは一方通行的なものでなく、必ずリアクションがあり、教育されることによって循環する。(四頁)

と記し、歴史研究方法を多様な角度から検討してきたことを会の特徴としてあげている。創立に際して提示した課題と向きあう方法論がここに提示されているといえよう。そしてその成果が、この第三編であるとしている。
 ここで、注目すべきは、史実を掘り起こすことが顕彰に直結していないことである。もちろん、会則にあるように、「民主的」であることが重要視されるであろうことは、容易に想像がつくわけだが、「科学する」ことを基本姿勢にしている以上、「正」「負」の評価をした上で、「正」にのみ着目することを拒否することになるからである。人的・物的断層を構造的に抱えた地域であればこそ、掘り起こし運動の困難さが、かえって「正」を強調しがちな顕彰とは異質の地域住民を含んだ掘り起こし活動の道を選ぶことを容易にさせているのかもしれない。
 しかし、人的・物的断層が連なる京浜地域の住民が、自己と地域社会との関係を歴史的に考えること、を会の基本的立場とするのであれば、幕末はその発端に過ぎない。むしろ重視されるべきは、明治以降ではないだろうか。本書のタイトル 『近代京浜社会の形成』もその意味を考えれば、明治から大正・昭和と、どのように京浜地域が形成されてきたのか、を内田氏のいう断層の有り様と共に分析する必要が残されているように思う。
 また、この京浜歴科研の姿勢に立った時、自由民権運動について住民との学習・研究がどのように進められるのか、またどのように叙述されることとなるのか、という関心を持つのは、自由民権資料館で学芸員をしている筆者だけだろうか。
 (後略)
 
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