著者名:丹 和浩著『近世庶民教育と出版文化−「往来物」制作の背景−』(近世史研究叢書)
評 者:梅村 佳代
掲載誌:「日本歴史」697(2006.6)

 著者は本書の「あとがき」で「子どもたちが絵を見たり文字を読んだりして楽しんだ小冊子が多く出回っていたこと、またこれが出版機構の発展と相俟って成立したことは、文化史的に大変大きな意味を有していた」との仮説のもとに「『往来物』を従来の方法とは異なった扱い方ができないものか、あるいは近世文学、特に草双紙研究で培った方法を活かす道はないか」と考えた結果が本書の成立になったようである。本書を通読して評者も著者の思いは結実していると思われる。特に学位論文作成のために書き下ろしたという第二章第二節「曲亭馬琴著『雅俗要文』の成立と意義」は様々な興味を喚起された好論文と感じた。また丹氏の恩師である小池正胤氏が主宰する赤本・黒本・青本の翻刻・研究の会で蓄積された氏の力量が発揮された資料の翻刻は緻密に丁寧に復元され、「虚心に作品にあたることを目指した」と著者が述べている通り、江戸時代の子どもの学習文化の奥深さが再現されている。
 以下に本書の全体の内容構成を紹介する。

 序章
 第一章 「往来物」が採り入れた和歌、及び出版の問題
  第一節 「往来物」における七夕の歌−類題集の利用−
  第二節 「大坂進状」「同返状」をめぐる出版書肆の問題
 第二章 「往来物」の作者と書肆−一九・馬琴の方法と意識及び書肆とのかかわり−
  第一節 十返舎一九の文政期往来物の典拠と教訓意識
  第二節 曲亭馬琴著『雅俗要文』の成立と意義
   付論 明治初年の文章表現と馬琴−『こがね丸』を中心に−
 資料編
   女中用文玉手箱
   民間當用 女筆花鳥文素
   雅俗要文

 序章では「往来物」に関する教育史学および国語学、国文学・国語教育にわたる先行研究の批判的検討がなされ、問題の所在は第一に発達史観的な往来物の把捉の仕方、第二に当代の文化状況を考慮しないで割り切ることにあるとする。本論では江戸時代の出版文化の成果と往来物の研究成果を合わせて考察する方法を採ったとしている。

 第一章、第一節では寺子屋の年中行事で技芸上達を願うによく取り上げられた「七夕の歌」に注目して、この歌が古歌からではなく江戸時代の類題集から取り上げたものが多いとする。「往来物」の編者は『和漢朗詠集』、『明題和歌全集』、近世堂上派の和歌を編纂した類題集から取材したものが多いが、このことは「文化的ふくらみ」をもたらしたとする。第二節では江戸時代の出版事情と「往来物」の改変について「大坂進状」と「同返状」の「家康」の名の削除・改変を通して捉えている。この大坂状は『古状揃』に含まれることが多いが、幕府による寛政期の書物問屋への統制により大坂状は排除されていく。地本問屋にあっては文化期において書物・地本の区別がなくなり、規制のもとで大坂状が含まれ続けるのは規範意識が作用したのではないかとする。付論として「直江状」も検討されている。

 第二章、第一節では一九の作品が往来物の世界で秀逸で異彩を放つ位置にあるのは依拠した素材にあるとしている。山口屋藤兵衛板では『和漢三才図会』であることを『親族和合往来』を事例に実証している。一九の作品は生活・産業的な内容だけではなく伝記型も同様である。その素材『和漢三才図会』が体系的・百科事彙的性格であったこと、また事物の列挙型の形態をとって学習型を踏襲したこと、さらに絵抄系のように視覚的にも注目したという眼力にあるとする。また西宮新六版の道中記型の往来物では『続膝栗毛』は『筑紫紀行』(菱屋平七著)に、往来物の『金毘羅詣』もそれを利用しているが一九は意志的に典拠の取り込み方を変えている。しかし、こうした新機軸の往来物は学習教材としては一時的ではなかったかと推測している。また一九が創作の上で是とした「滑稽」と「教
訓」のうち「教訓」の意識が往来物執筆に向かわせたと推測している。
 第二節は曲亭馬琴著『雅俗要文』研究である。まず先行する諸研究の批判的検討から本書の意義を当代の評価、馬琴の創作意図などを通じて捉えようとしている。『雅俗要文』の自筆稿本、初版本、再刻本の比較検討から全体像を明らかにし、『馬琴日記』から刊行の経緯をみると馬琴が著者名と自序年次にこだわりをもっていたこと、校正にかなりの意を用いていたこと、著者名へのこだわりは大きかったとしている。雅の優位にある考証随筆、次いで読本、合巻は生活費を得るための手段として、それぞれの読者層を想定していた。馬琴において雅俗とは「雅」は和漢の伝統文学、俗は和漢の新興文学と考えていたとする。そのような雅俗の基準は文体において重要であり、馬琴は「伝統的な和漢の文化・文学に裏付けられた表現」かどうかが判断基準であったという。馬琴において通常の書簡文を通して俗な器に雅の世界を盛り込んだのが『雅俗要文』であった。つまり馬琴は考証的な雅の世界の人間でありたかったが、雅の文体では商品としては不向きであり、雅を俗世間で受け入れられるために雅俗折衷の用文章として世に送り出したのではないかと結論づけている。
 あとは付論として『こがね丸』が取り上げられ、資料編として三点の往来物類の翻刻がなされ、欧文要旨も添付されている。

 通読して、馬琴著『雅俗要文』の論ではあくまでも雅を描こうとして俗の器に折衷的に盛り込んだとする結論への論旨は納得できるものであった。往来物を読むとき、往来物の世界が博識で、百科全書的であり、実用性を伴っていて平易で簡明で興味を持てるよう創意工夫された内容といった印象をうけている。往来物の評価が実用性と俗的な面が強調されるなか、博識性や考証性という面が改めて意義づけられたのは心強い。評者は文化・文政期頃の知識人や考証随筆、学問を究める学者が、出版文化を通して雅の世界のいかなる内容を読者層・大衆層に伝えたかったのか、またなぜ折衷型にしてまでも彼らに語りたかったのかなど新たな関心を喚起された。著者の今後を期待したい。
                (うめむら・かよ 奈良教育大学教育学部教授)
 
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