著者名:関東取締出役研究会編『関東取締出役』
評 者:横山 陽子
掲載誌:「千葉史学」48(2006.5)

 本書は、関東取締出役研究会が二〇〇四年八月三〇日、江戸東京博物館において行ったシンポジウムの記録集である。
 関東取締出役研究会は、関東取締出役の全体像の解明を目的に、一九九一年に結成された研究会である。同会の研究活動の成果は『関東取締出役道案内人史料−下総国相馬郡守谷町飯塚家文書−』(岩田書院、一九九四年)として既に刊行されている。本書はそれに続くものであるが、前回が警察活動に従事した道案内人を取り上げたのに村し、今回は関東取締出役そのものを対象としている。
 シンポジウムでは、関東取締出役の活動や役割が必ずしも明らかではない研究状況を進展させるべく、関東取締出役の設置から廃止までの活動全体を把握することが目指された。そのため三つの基調報告は、関東取締出役の活動を創設期(文化)・確立期(文政・天保)・変質期(幕末)の三期に分けた上で、各時期の職務内容や行動形態等の特徴を明らかにする内容となっている。以下内容を紹介する。

 「関東取締出役設置の背景」(田渕正和)寛政期以降、評定所留役の公事吟味処理が停滞し、様々な方策が講じられるもうまく機能しないなか、文化元年(一八〇四)に牛久助郷一揆が発生する。そこで在方取締りを強化すべく設置されたのが、在方取締りを「専管」とする関東取締役であった。ただし、設置当初は評定所留役の公事吟味処理を円滑に進めるのが役目であり、関東取締出役自身が犯罪者を逮捕・処罰するといった任務はなかった。
 「文政・天保期の関東取締出役」(桜井昭男)文化末年から文政期にかけて悪党・無宿・浪人が増加したため、幕府は村と関東取締出役との関係を強化しようと、文政一〇年(一八二七)二月に改革組合村を設置した。文政一二年に改革組合村の再編が行われ、関東取締出役と改革組合村による取締り体制が成立する。天保期の関東取締出役は新たに情報収集等の活動を開始するが、その背景には在方取締りの諸負担を受け入れる改革組合村の安定化があった。
 「幕末期の関東取締出役」(牛米努)幕末の取締り体制は改革組合村を基盤としていた。嘉永期以降、改革組合村の非常人足体制は整えられ、浪士等の取締りにも対応していく。文久期になると改革組合村を基礎とする代官持場制が敷かれるが、天狗党の蜂起をうけ、取締り強化のため関東郡代制・関東在方掛制へと改められる。取締り体制が強化されていくなか、関東取締出役も自ら取締りに出動し、農兵や改革組合村の非常人足等を指揮していく。慶応四年(一八六八)二月、関東在方掛の廃止に伴い、関東取締出役も廃止となる。そして地域の取締りは改革組合村が担うことになる。

 以上の三報告から、関東取締出役の活動は、決して一貰したものではなく、社会情勢とそれに対応する幕府の治安対策、そして村々との関係の変化の中で、活動内容が拡大し、変質していったことが判明する。同会が積み重ねてきた研究成果の総括は、今後の関東取締出役・改革組合村研究の出発点になることに違いなく、本書は近世後期の関東地方を研究する者にとって外せない一冊になるだろう。
 ところで、シンポジウムは関東取締出役の実態解明を主眼としているため、必ずしも掘り下げられていない論点もある。そうした論点があることはあとがきに自覚的に記されているが、あとがきにも挙げられていない論点として、取締り体制における被差別民の動員がある。被差別民を動員した取締り体制は、関東以外の諸地域でも敷かれている。他地域との比較のためにも、是非とも論点に加えてほしい。
 本書はシンポジウム報告のほか、関東取締役の定員、任期、持場の変化、臨時出役の増員について考察を加えた「関東取締出役の定員・任期・臨時出役・持場」(牛米努)と、「県令集覧」等から作成した「天保期以降の関東取締出役一覧」(牛米努)が掲載されている。更に巻末には「関東取締出役・改革組合村関係文献目録」(一九五四〜二〇〇五年)が付されている。                 
                         (蕨市立歴史民俗資料館嘱託)
 
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