著者名:長谷部将司著『日本古代の地方出身氏族』(古代史研究叢書)
評 者:中村 友一
掲載誌:「日本歴史」695(2006.4)

岩田書院より発刊された本書は著者長谷部将司の初めての単著である。著者の分析素材は日本古代の氏族であるが、その視角は書名にもあるように「地方出身」の氏族である。この存在形態や意義を明確にした上で、多様な研究領域へ照射する手段としているところが本書の大きな特徴となっている。どのような研究領域かは追って紹介させて頂くとして、まずは章名を掲示しておこう(序章・終章以外)。
 第一章 律令体制と氏族秩序
 第二章 地方出身氏族の台頭
 第三章 地方出身氏族と国造制
 第四章 地方出身氏族の貴族化
 このうち、第二・四章については、かなりの部分が既発表論文を基に再構成されており、紹介するまでもないと思われる。和気清麻呂の薨伝や真綱の上表文などを通して、和気氏や清麻呂の実像を探り出し、そこから天皇との関係と史料の編纂過程・伝承の形成過程を読み解いた内容となっている。著者のこの手法は、前述のように氏族やそのうちの個人を題材として、その考察結果をもとに、時の王権や天皇の政事志向といった動向に加え、『続紀』の編纂過程までも導き出すという非常に視野の広がりを感じさせるものである。
 祖先伝承・説話の生成と変容を事例にとり、編纂や国史に記載される過程をも抽出しえているわけだが、従来の氏族研究にはない射程を示すことに成功したと言えよう。

 さて、順を追って簡単に各章を紹介するが、第一章では祖先伝承と関わる政策と『書紀』『続紀』の編纂とを結びつけて概論する。著者が持統天皇五年(六九一)八月の「墓記」上進記事を『書紀』の原史料の一部と捉えることはすでに通説的でもあり、評者も首肯するところである。次いで述べられる本系や家伝について、さらに一歩踏み込んだ考察も求められるが、それはその後の「「請賜姓」上聞文書」と著者が称した表や奏状の検討への呼び水となっている。ここに「地方出身氏族」を取り上げる一つめの意義が内在している。
 第二章では、清麻呂薨伝などを通して古代の備前国藤野郡とその郷名を比定する。注目すべきは『倭名抄』二十巻本に見える益原・新田郷は八世紀以降に成立し、その前身は木簡などに見える嶋村郷であったと推察された点である。細かな考察過程は紹介する余裕がないが、氏族と広義での同族との考察を通して、歴史地理的な研究領域にも照射しうる視角を提示されていることは二つめの意義と見なせよう。
 また、光仁朝における賜姓を「地方出身氏族」の中央化の、桓武朝での変化を認めつつもその端緒であると評されている。
 次いで第三章においては、著者にとっては初めて国造についての大幅な言及を行っている。いわゆる「令制国造(新国造)」に関してであり、令制前についての考えはもう少し披瀝して欲しいところではある。それでも、律令体制成立と国造制の変質や祈年祭における諸国官社への班幣を通し、在地神と王権との結節点として(新)国造を位置づけ、後に神祇官を介した管掌体制へと移行した以降は出雲・紀伊国造という特殊例がその性格を保持し続けたとされる。この指摘は神祇制度、国造制度とも関わる重要な視点であり、国造の在地・在京の指摘も含め、三・四つめの意義となろう。
 最後に第四章では、前述のように著者の研究の中心となっている宇佐八幡信託事件を通して見た、和気清麻呂像とそれが氏族伝承と化して行く過程を明快に述べられる。それは、「忠臣」として王権との関係性を氏族側と天皇側の必要性から読み解かれている。
 ここでは『続紀』の事件記事や『後紀』の清麻呂薨伝などから、事件の物語化と原史料から潤色されてゆく過程をも明らかにしており、氏族研究とはだいぶ色合いの異なる、史料論の範疇にまでその射程を広げている。清麻呂関連の事績は比較的国史上に足跡が残されており、辿ることが可能ではあるが、一氏族を通じて史料論的な言及に至らせる研究手法は著者独自のものであり、「地方出身氏族」を取り上げた五つめの意義と評価できよう。
 さらに本章では、清麻呂の子広世・真綱・仲世の動向と王権との関わり方の変化までも解明された。つまり、桓武天皇と最澄との媒介者として清麻呂・広世が位置づけられるのに対し、空海を媒介者として嵯峨天皇と間接的にしか結びつかない真綱・仲世という図式を導き出した。本書全編に通底する問題意識である氏族と王権(とりわけ天皇)との関係を抽出されたことが六つめの意義である。
 なお、氏族が建立の中心となったり檀家の中心となる寺(一般に「氏寺」と呼称される)、和気氏の場合長岡京での神願寺、平安京での高雄山寺が、都の鎮護に加え、王権と氏族を結ぶ紐帯ともなっていたと関説された。仏教と国家・氏族との関係についても著者は一家言有していることは、上毛野氏を通して仏教の伝播的な側面を述べておられることからも明らかである(「律令制下における毛野氏の変遷−東北地方への仏教布教の一側面−」『奈良仏教の地方的展開』岩田書院、二〇〇二年)。
 そのうえ本書では、先の二つめの意義とも関わる指摘、すなわち神願寺は男山南西山麓の現西山廃寺の地に建立されたと推断されるなど、個々の問題点に関しても重要な指摘や提言が含まれている。

 ただ、最後に評者が瑕瑾と考える点を一つ挙げる。「地方出身氏族」という造語について、著者も述べるように「出身」は選叙令などに見える律令用語であり、著者の指すところとはニュアンスが異なっているので、最善の造語とは言えないことである。
 それでもなお、本書は、古代史上の多くの論題に関わり、分析の手法・結果を問わず有益であることは疑いなく、より多くの方々に参照していただきたい。むしろ参照しておく必要があるとまで言えるのではなかろうか。
 本評では氏・氏族といった用語との紛乱を避け、敬称は省略させていただいた。これに加えて評者の力不足により、十分な紹介と評を加えることができなかったことを著者・読者の方々にお詫び申し上げ蕪雑な本評を締めくくらせていただきたい。
               (なかむら・ともかず 明治大学古代学研究所RA)
 
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