著者名:杉浦邦子編著『土田賢媼の昔語り−口から耳へ耳から口ヘ』
評 者:石井 正己
掲載誌:「口承文芸研究」29(2006.3)

正確に調べたわけではないが、昔話集の刊行数は一九七〇年代をもって全盛期を迎えているにちがいない。ちょうど日本が高度経済成長の最中にあり、出版状況も悪くなかったことが挙げられる。その前提としては、昔話の調査技術の大きな変革があった。特に、カセット型の録音機が容易に入手できるようになったことは大きい。それによって、大量で正確な記録が可能になったからである。
 そうした動向と連動して作り直されたのは、関敬吾の話型索引であった。すでに『日本昔話集成』を完成していたにもかかわらず、さらに『日本昔話大成』へと増補を行っている。柳田国男が監修した『日本昔話名彙』は、柳田が亡くなったために、成長が停止したのとは対照的である。その結果、『日本昔話名彙』は研究史の中へ追いやられ、話型索引としては『日本昔話大成』が公認されるのである。
 しかし、それ以後、一九九〇年代に入ると、まとまったかたちの昔話の調査はきわめて困難になり、昔話集の刊行は激減し、研究者の関心も都市や現代へと移ってゆくことになる。総合的な話型索引を目論んで、県別に編集した『日本昔話通観』が出ていたが、それはむしろ、昔話調査の終息を促すかたちになった。さらに折からのバブル崩壊を迎え、出版状況が悪化し、昔話集の刊行は絶望的になってゆく。
 二〇〇〇年代に入ると、そうした状況はいっそう深刻になり、研究者が昔話を聞きに歩くことさえほとんどなくなった。かつてのように、珍しい話を一話でも多く集めようと躍起になった時代は、もう終わったのである。しかし、その一方で、岩手県遠野に代表されるような、昔話の継承と観光に力を入れている地域も現れた。また、図書館・児童館などにおける、昔話の語り聞かせや読み聞かせはますます盛んになっている。
 この三〇年あまりを回顧してみるならば、大方、以上のような認識になるだろう。かつてのように、調査と研究が幸福な関係を結んでいた時代は、遠く過ぎ去ったのである。今はもう、誰もが感じているように、出版社から昔話集を発刊することは不可能になった。しかしながら、それが第一級の価値を持つ資料であるならば、触手を動かさないはずはない。なぜなら、問題は昔話の貧しさにあるのではなく、それを扱いきれない研究者の力量にあるからである。

 そうした状況認識に立脚するならば、ここに発刊された、『土田賢(つちだ けん)媼の昔語り−口から耳へ耳から口ヘ』は、快挙だと言わなければならない。賢媼は山形県最上郡真室川町の語り手で、聞き書きは一九九三年一一月の出会いから二〇〇四年二月の逝去まで続いた。この一冊は、東京都および愛知県から山形県まで通いつづけ、語り手と聞き手が真剣に向き合った一〇年あまりの記録だったのである。
 全体は、「第一章 賢媼の生活誌−生活譚でつづる−」「第二章 賢媼の昔語り−口から耳へ、耳から口ヘ−」「第三章 語り手土田賢媼−語り手と聞き手と−」に分かれる。そのうち昔話を記録したのは第二章の「その一 通時伝承の昔語り」の一六話にすぎない。しかも、一三話はすでに『日本昔話大成』に見られる話型で、珍しい話は「1 世の中始まっとうからの昔」「10 遠野の国の遠三郎」「15 佐渡の狐」の三話だけである。
 かつてのように、昔話の標本を集めて、その多さや新しさを競うという価値観に照らすならば、昔話集としては失格だと言わねばならない。だが、ここに記録された話のいくつかは長編で、「昔語り」の醍醐味を示す珠玉の数編となっている。まさに、「媼の個性と語りと言葉の力」(三頁)が横溢している。例えば、「9 後家かか昔−糠福米福」は一八頁、「16 羽黒山の天狗」は一九頁に及ぶ。その長さからだけでも、もう話型という概念が揺らぎはじめることは容易に想像できるだろう。
 杉浦さんが初めて聞いて、「魂が揺さぶられるような、身内が震える思いであった。カミの宿る語りに出会った、と思った」(一頁)などと述べた「4 どや昔」は、『日本昔話大成』では「四〇一 婆いるか」に分類した笑話である。第三章の「語り手における昔話の変容−土田賢媼の「どや昔」の場合−」では、七回の記録をもとに、語りの時間が次第に長くなる現象を詳細に分析する。実際、四頁程度で短かかった話が、七頁まで膨れている(一〇一〜一〇五頁、三二六〜三三二頁)。
 第一章は、こうした「昔語り」を伝承した賢媼のライフヒストリーをまとめている。幼いときに身を寄せた、叔父の住職鮭延瑞鳳師が昔語りや説教・口演童話など広い話術の人であり、『昔話研究』に真室川村(当時)の昔話五話を報告していること(一五頁)など、賢媼の淵源を知る上で興味深い。だが、それ以上に重要なのは、賢媼のライフヒストリーの合間に文字を小さくして挿入している、杉浦さんの感想であろう。そこからは、「生活譚」を聞いてまとめてゆく姿勢がよく見えてくる。それは、「ふきのとう」を主宰し、「子供たちに昔話を語る活動」(二〜三頁)を実践してきた視線にほかならない。
 実際、第二章の「その二 共時伝承の昔語り」には、「私自身の生活語(たまたま共通語)に語り換えた賢媼の昔話三話」を載せる。そこには、「方言で聞いた昔語りを、私の生活語に言い換える」ときの方法が、「方言に限らず、子どもには分かりにくいと思われ、且つ、大切な用語は、必要最小限の説明を加える(例、梁)」などと、七項目にわたって記されている(二二一頁)。こうした話の掲載は、研究のために聞き書きの資料集を作るという規範からすれば、大きな逸脱である。
 しかし、こうした語りの実践へと発展してゆくところに、この本の最大の特徴がある。研究のためでありながら、実践にも役立つ資料集がここに拓かれたことになる。たぶん、われわれが今、必要な資料集は、図書館や研究室に死蔵されるものではなく、このようにして未来へつなごうとする試みとともにあるのではないか。研究と実践という二分法で互いを差別するようでは立ちゆかない閉塞的な状況にあるからこそ、この一冊は現代において大きな意義を持つと思うのである。
 だが、やはり、賢媼の「昔語り」の魅力を十分に知るには、文字資料だけでは物足りないので、ぜひ録音したCDを頒布してほしい。そうすれば、副題にもある、「口から耳へ耳から口ヘ」という考えが実現されるのではないか。この本の目的は、何と言っても、賢媼の「昔語り」が「現代の語り手の語り」(三頁)に活かされることにある。それがやがて、「「伝承の」とか「現代の」という限定する語を除いて、「昔話の語り手」という語に収斂していってほしい」(四六頁)という願いにつながるだろう。そうした時に初めて、真の意味での「交流」が実現できるにちがいない。
                       (いしい・まさみ/東京学芸大学)
 
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