著者名:植木行宣・田井竜一編『都市の祭礼−山・鉾・屋台と囃子−』
評 者:山路 興造
掲載誌:「民俗芸能研究」40(2006.3)

発行元の岩田書院が出している通信によれば、この本はなかなか売れ行きがよいという。刊行が平成一七年六月であるが、暮には二版が出ている。といっても初刷り四〇〇部とあるから、総体としては多いわけではないのであるが、岩田書院が刊行した近年の学術書としては思ったより売れ行きがよいということなのであろう。
 学生が書籍を買わなくなったこと。コピーが手軽になったこと。値段が高いこと。いずれもが相乗的に悪い方向に進んでいるのであろうが、相対的には本を読まなくなった事が、学術書の売れないもっとも大きな原因であろう。そういう私は、本を買っても置く場所がないというのが買わない原因の第一である。しかしもっとも大きな理由は、書物を熟読しなくなったからかも知れない。
 そのような状況下で本書が売れている原因の一つは、都市の祭礼に興味を持つ研究者が多くなっているからかも知れない。現代にあっては、都市の祭礼で発揮されるエネルギーが、不思議に際だつ。地方の都市化によって、農山村の特色ある民俗生活が、すっかり姿を消し、従来型の民俗調査が不可能になりかけている現在、近代都市にさえ突如として出現する都市祭礼のエネルギーには、目を見張らされる。
 私も京都の祇園祭りには毎年関わりを持つのだが、突如交通を遮断して出現する祭礼の異空間は、そこに渦巻く熱気を含めて異様でさえある。従来の民俗研究に倦んでいる民俗学の徒にとっては、今日なお衰えることのない都市祭礼の熱気は、魅力あるものに見えるに違いない。

 さて本書は、京都市立芸術大学日本音楽研究センターで、外部からの研究者を交えて開催されていた共同研究「山車囃子の諸相」(平成一二年度)と、「ダシの祭りと囃子の諸相」(一三年度)の成果をまとめたものであるという。
 第一部が「はやすもの」と「はやされるもの」で、植木行宣氏の新見に満ちた論考「山・鉾・屋台の祭りとハヤシの展開」と、樋口昭氏の「拍子物とその音楽」が載る。
 第二部が「祇園囃子」と「江戸祭り囃子」で、田井竜一・増田雄氏による「「祇園囃子」の系譜序論」、増田雄氏「上野天神祭りの囃子」、入江宣子氏「江戸祭り囃子とその周辺」、坂本行広氏「佐原の山車祭りと囃子」、米田実氏「郷祭りとしての曳山祭礼」、田井竜一氏「水口曳山囃子の成立と展開」。第三部が地域的な多様性というテーマで、垣東敏博氏が「若狭小浜の祭礼と山車の変遷」、入江宣子氏「若狭の祭礼囃子の系譜(続)」、大本敬久氏「四国の祭礼山車」、岩井正浩氏「徳島県南部の練り風流」、福原敏男氏「福山の左義長ととんど音頭」、永原恵三氏「祭礼と観光のダイナミズム」と、内容は多様である。
 音楽大学の研究会であるから、祭礼囃子の音楽的研究が中心かと思ったが、そうでもなく、植木氏の近年の著作『山・鉾・屋台の祭り』(二〇〇一年 白水社刊)に導かれ、その成果をさらに深めようと集まった研究者が、それぞれの成果を持ち寄った書という趣である。その点で副題にあるように「山・鉾・屋台」と山車そのものの歴史的考察や調査報告が多い。
 もちろん樋口・田井・入江氏のように、祭礼囃子の音楽的考察をテーマとした論考もあり、その方面の研究者には大いに参考になるのだろうが、やはり私などには、近年植木氏や福原氏を牽引者として、成果を上げ始めた都市祭礼そのものの研究成果が有り難い。
 冒頭の植木氏の論考は、氏自身の著書を補完する論考で多くの示唆を与えてくれて興味深い。
 三重県上野市の天神祭り、福井県小浜市の祇園祭り、滋賀県甲賀市の水口祭り、千葉県佐原市の山車祭りなどは、それぞれに研究者によって、長年の研究成果がしっかりと論じられているが、新たに愛媛県を中心とした祭礼山車や、徳島県南部、海部郡宍喰の祇園祭りをはじめとするこれまであまり知られていなかった山車祭りの報告があるのが興味深い。
 また広島県福山市の「左義長祭り」も、私などは『備後国福山領風俗問状答』の挿図では知っていたが、その具体的姿を知らなかっただけに有り難い報告である。秋田県鹿角市の花輪囃子を観光のダイナミズムという観点からとらえた永原氏の報告は、本書では異色であるが、現代における都市の祭礼の実体を垣間見せてくれる。
 「拍子物」「囃子物」「ハヤシモノ」など、用語に不統一があり、その違いの解説がないことや、囃子とは何かという根本の共通理解が希薄であることなど、若干の不満はあるにせよ、しばらくぶりに熟読できる書物の出現に興奮している。
    (〒520-0231 滋賀県野洲市小篠原一九七一−二−九〇六)
 
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