著者名:武田 正著『天保元年やかんの年−早物語の民俗学−』
評 者:藤久 真菜
掲載誌:「口承文芸研究」29(2006.3)

本棚から、武田正氏の編んだ昔話集を手にとってひらいてみると、たとえば、川崎みさを氏の「てんぽ物語」が見つかる(『羽前の昔話』日本放送出版協会、一九七三年)。「小国町の川崎みさを媼から昔話語りをお聞きしたついでに、早物語の一つ「天保物語」を聞き」(一九四頁)とふり返る本書での回想と呼応する。「昔話調査の途次に出会った」(二〇〇頁)ところから始まった早物語への関心を、一書にまで育てあげ、上梓する。
 「はじめに」と「あとがき」との間に、早物語の時代/てんぽ物語考/昔話・わらべうたと早物語/奥浄瑠璃と早物語/狂言・昔話と早物語/ことば遊びの早物語/「はいはい物語」のわらべうた/『人倫訓蒙図彙』にみえる〈芸〉/義経伝説への道/昔話・わらべうたと早物語再論、と題する十本の論文を収める。
 目ざすところは、大きくふたつあるように思う。ひとつには、「早物語と昔話・わらべうたの関係を、少しでも明らかに」(二〇〇頁)することで、著者と早物語との出会いが「昔話調査」「わらべうた収集」(二〇〇頁)のなかであったからこその、思い立ちである。ふたつには、「早物語の成立から、その後の展開を明確に」(一九六−一九七頁)して「日本文学史の中に、さらに口承文芸史の中に位置付けること」(八頁)である。併読を薦める「天保元年やかんの年に−早物語の成立と展開−」(『山形短期大学紀要』第三十六集、二〇〇四年)は、後者の目論見に沿って、本書への飛び石のひとつとなる。
 座頭の語る浄瑠璃、祭文語りの語る祭文、瞽女の語る祭文松坂などと対になって、それらの合間や前座に、早物語が口にのぼる。口ならし、練習台であると同時に、笑いをふりまき、その場をまとめあげる役目も果たした。能と狂言になぞらえられる、その対のあり方から、やがて早物語は「独立して「ことば遊び」になって」(一二八頁)いく。その過程は、早物語が「芸人の芸(とは言ってもその初心の者たちのもの)となり、やがて芸人の手から離れて民間に」(七一頁)ひろがる道すじともかさなる。
 民間にひろがりながら、早物語は「形を変えて伝承に乗ってきた」(二〇〇頁)。その変容の「形」を、昔話やわらべうたに探る。「十五歳ごろの年齢層の若者に好まれた」(二〇六頁)早物語は、十二、三歳では「早口で語るのを聞き届けること」(六四頁)はできても面白さを十分に味わうまではいかず、「「笑話」として昔話で聞く方が、似合っている」(六五頁)。こういったくだりに、聴き手の年齢により、動物昔話から本格昔話、そして笑話へと興味がうつっていくという持論が、生きているのを感じる。早口でよどみなく語ることをすぐにはできないのと同じように、「聞き届ける」にも耳の慣れや語彙の蓄えが必要である。耳の成長に応じて、早物語の変遷をたどるところに、著者の論じる「早物語と昔話・わらべうたの関係」の要があると読む。
 題名の「天保元年やかんの年」は、「早物語の中でも最高に当たりをとった詞章」(五八頁)からくる。ほかにも、「頃は天保いたちの二月」(五六頁)といった似た出だしを、掲げる資料のうちに見いだせる。
 安間清氏の『早物語覚え書』(甲陽書房、一九六四年)が世に出て、四十年以上が経った今、山形の地から、早物語の来し方を見わたそうとする。その見晴らしを享受するばかりでなく、読者のひとりひとりが、自らの足場に立って見つめかえす際の道しるべとしたい一冊である。
 
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