著者名:舟橋明宏著『近世の地主制と地域社会』
評 者:小松 賢司
掲載誌:「論集きんせい」27(2005.5)

はじめに

 舟橋明宏氏は、近年の地域社会論をまさに第一線で主導してこられた論者であり、本書は氏のこれまでの主な研究をまとめた初の論文集である。本書に収められた論考には非常に多くの論点が孕まれており、地域社会史研究のみならず、近世史研究全体にとって大きな意味のある書であることは間違いない。以下、本書の内容と成果を章立てに沿って整理・検討していきたい。はじめに本書の構成を掲げておく。

   序章 近世の在地社会研究と「地主制」
    第一節 豪農論の地平
    第二節 地主・小作関係の多様性について
  第一編 肥後国天草郡の質地慣行と地域社会
   第一章 天草郡地役人の存在形態と問屋・船宿
   第二章 天草郡地役人江間家と地域社会
        −弘化の仕法と一揆をめぐって−
   第三章 天草郡地役人江間家の「御館入」関係について
  第二編 越後国頸城郡の「地主制」と村落社会
   第四章 村落構造とその変容
        −割地と小作地畑経営をめぐって−
   第五章 近世の「地主制」と土地慣行
        −越後国頸城郡岩手村佐藤家を事例として−
   第六章 明治三年の村方騒動と「永小作」
  第三編 関東の村落と村役人
   第七章 幕末・維新期の村方騒動と「百姓代三人体制」について
        −下総国葛飾郡上砂井村を事例として−
   第八章 村再建に見る村人の知恵
   終章

 まず本書全体を貫く視点について、「分析手法自体は伝統的な村落史のものであるが、三地域で同じ事象を検証するという形は採用していない。それぞれの地域の農民にとって最大の関心事は何か、ということを常に念頭に置き、そこに徹底的にこだわり、そこから逆に近世の村落社会や地域社会の特質を浮かび上がらせたいと考えている」(七頁)と述べている点を確認しておく。著者のこのような姿勢を踏まえた上で、各編ごとにその考察内容を整理し、あわせて成果と疑問点を挙げていきたい。なお、序章については本書全体の整理と合わせて最後に触れることにする。

  一

 第一編では、肥後国天草郡を対象に「地役人を組み込んだ地域社会論」が展開される。
 第一章では地役人、中でも特に山方役の制度的位置と社会的位置、私的側面における活動の検討がなされる。そして、山方役はその本来の主役である山方運上銀取立業務を船宿に任せ、治安や内済取扱、願筋の取次ぎなど村役人と共同して果たす役割がより期待されるようになると述べる。
 第二章では、まず分析の主対象となる山方役江間家の経営形態について、大銀主(高利貸資本、中小の商人・地主を編成)でありかつ村方地主としての側面を有しないと確定した上で、「弘化の仕法」と一揆の検討から地域社会の各主体の動向が検討される。前提として、郡中には多様な土地慣行が強固に存続しており、郡中を一律に処理しようとする「仕法」は容易に貫徹しないこと、社会的権力のあり方は多様な慣行に規定され錯綜した様相を見せることが述べられる。そして、村役人(大庄屋・庄屋)は各慣行には精通していたが、郡中全体には予想外に通じておらず、一方で江間家は郡中全体の問題に精通していたことが明らかにされる。
 第三章では江間家の結んだ「御館入」関係が検討される。そして「御館入」関係の影響が直接に在地社会に浸透せず、陣屋役人や銀主・村役人との関係に対して大きな影響を与えたと述べる。

 第一編の結においては、後述するような「百姓的世界」に立脚する村役人と、山方役江間家との関係が整理される。
 第一編の成果として、地役人の機能や活動を組み込んだ地域運営のあり方の解明、地役人江間家の存在形態・政治的行動についての精緻な分析、それ自体も大きな意味があるだろう。しかしより重要な成果は、江間家との対比から見出された、大庄屋・庄屋を含めた村役人の存在形態であると考える。すなわち、彼ら村役人は「百姓的世界」に立脚し、個々の多様な慣行・慣習に規定されて存在していること、また彼らが政治的運営能力を高めていくとしても、右のような本質は最後まで喪失しないこと、村−組レベルから郡中レベルヘの政治的運営能力の飛躍は困難であることを明らかにした点である。そしてそこから、個々の慣行・慣習が生きる村−組レベルと、郡中レベルとの間に存在する「政治領域」が見出され、また「百姓的世界」から一定の距離をもって存在する地役人江間家の存在意義も明確になるのである。「百姓的世界」に立脚する村役人の規定性・限界性・多様性の指摘が重要であり、そのような村役人の存在形態を前提に、地役人という近世特有の存在を組み込むことで成り立つ、近世特有の地域運営のあり方が示された点が、重要な成果であったといえよう。その上で著者は、「従来の一村レベルの村政や村運営の分析を、単純に地域社会レベルに敷衍するだけでは、『近世後期の社会変動』や『国家と社会の分離』によって生じたと考えられる、地域社会レベル独自の『政治社会』のあり方を解明することはできないだろう」(一六七頁)と主張している。このような成果・主張は、近世社会の特質を軽視して、地域運営主体による政治的能力の高まりを評価する研究や、それら地域運営主体の近代への連続を重視する研究に対する批判として、研究史上重要な意義を有すると考える。

 次に第一編の疑問点を、まず細かい点から挙げよう。第一章で明らかにされた地役人の期待された役割は、江間家・高田家の分析から導かれているが、その前の部分では地役人の中で江間家と高田家だけが村役人や銀主と密接な親類関係を有していたと、両家の特質を述べている。とすれば、ここで明らかにされた役割は、地役人一般のものではなく、江間家と高田家だけの特質のように判断し得るのではないか。また第二章で、江間家が他の大銀主と異なり村方地主の側面は持たなかったと指摘しているが、これは町場である富岡町の銀主に共通の性格であるように思われ、とすれば多様な慣行・慣習に規定されないという特質自体は、富岡町の銀主に共通のもののようにも判断し得る。第一編全体としては、江間家自身の立脚基盤を明らかにする必要があるのではないかと考えた。例えば、第三節では江間家の主体的な活動が明らかにされるが、江間家が「内輪同様」への昇進を望むことや、米穀移入の背後に見える利害など、その活動の根拠を明らかにする必要があるのではないか。単に小前と切れた地域の調整役として江間家を位置づけてしまえば、地域の中で宙に浮いた存在になってしまう。一見すれば、関係に伴う利害に左右されない地域の公共性の担い手と見なされかねない。著者が江間家を公共性の担い手とは考えていないことは明らかであり、同家を近世社会に特有の存在として位置づけている。そうである以上、江間家の活動が何に規定されているのか、立脚基盤から明らかにする必要があるのではないかと考えた。
 
  二 

 第二編では、越後国頸城郡岩手村佐藤家という一地主を事例とし、「地主制」の内部構造(システム)の特質が分析される。この括弧付きの「地主制」には「近代以降に本格的に展開する地主制の単なる前史ということに止まらず、近世社会の特質を色濃く帯びた独特の『地主制』という含意がある」(七頁)という。
 第四章では考察対象を佐藤家の居村岩手村に限定し、割地制の特質を追及しつつ「地主制」との関連とその変容が検討される。二種類の小作地が併存していること、「地主制」・村請制がともに割地制を前提として成り立っていることを明らかにし、また宝暦・明和期に地主経営における手作の比重が低下し、代って支配人委任方式が重視され、それに伴って地主経営と割地制との対立点は様相を変えたと述べる。
 第五章では、第四章を前提としつつ考察対象を諸村支配地にまで拡大し、「地主制」の内部構造が検討される。そこでは前提として、田畑山屋敷が有機的に結び付いた権利体系の存在が指摘された上で、権利体系のまとまりが割地の基準であり、また年貢諸掛算用・質地取引・小作地貸借の基準にもなること、二種類の小作地の一つ「名・高基準」小作地とは、権利体系のまとまりの請負であることを明らかにし、「地主制」・村請制・割地制(=権利体系)の「三位一体」の体制がしかれていたと述べる。そして地主佐藤家は、居村においても、請村支配地中で最も強く権限が及ぶ芋嶋村においても、「三位一体」の体制の強い制約を受け続けたと述べ、一九世紀前半段階の佐藤家を「『質地地主』段階を脱しつつ、脱しきれない大地主の姿」と位置づける。
 第六章では明治初年段階を対象に、地主的土地所有の進展と永小作慣行、地租改正との関連が検討される。そして、地主的土地所有の進展は「三位一体」の体制の弛緩をもたらすが、そこから完全に脱することはないこと、地租改正によって多様な小作慣行が整理廃絶されたことで、これまでの地主的土地所有の進展を前提に「近代的土地所有権」が確立していくことが明らかにされる。

 第二編の結では「地主制」と村落との関係が整理される。権利体系とは株のことであり、株の帰属する団体である村落は、共同体規制の一環として土地所有に関与し続ける、そして越後の大地主は村落各々の株のあり方・株と村落との関係を前提とし、それを組み込む形で土地集積を進めたと述べ、社会変動により株が流動化しても、株が村落の規制を脱することはなく、株と村落の関係が再編され複雑多様化していくと述べる。
 第二編の成果として、権利体系を前提に展開する「地主制」のシステムを解明した点が挙げられよう。著者自身が渡辺尚志氏等の研究を踏まえた上で、「近世の『地主制』や村落史の研究の現段階としては、『村の関与』や村落共同体の存在を指摘するだけでは不充分であり、『村の関与』を前提にして『地主制』の内部構造を解明することが求められている」(二四一頁)と提起した課題が、本編を通じて見事に達成されている。具体的には、「地主制」が権利体系を前提としている限り、「地主制」がいくら進展しても、それが村落から乖離したり、村落を一方的に解体に導くことはできないことを指摘し、またそのような「地主制」が「普通小作」に転化することは非常に困難であると述べている。このように権利体系を前提に展開する「地主制」の規定性・限界性・多様性を解明した点が、重要な成果であったといえよう。地主制に関する従来の研究では、地主制の進展が村落の解体を必然的にもたらすとする見方が通説的であった。本編の成果は、このような見方に対する重要な批判になっていると考える。

 次に第二編で感じた疑問点をいくつか挙げておきたい。
 第四章では、無田支配人の設定について疑問に感じた。「無高になると支配人は耕地支配権を失うのが本来的なあり方」(二三〇頁)という従来の慣行に対し、「地主が明確な意図で彼ら無田支配人を村内に設定」(二二七頁)することがなぜ可能なのか。地主の経営上の意図によって、慣行は簡単に撤廃され得るものなのだろうか。またその点と関わって、明和五年に山割が行われる経緯が是非とも知りたいところである。
 第五章では、まず生産技術の向上という評価について、地主の手作地よりも小作地からの入立米の方が、質の低い「町米」を産出する比率が低いことについて、「技術的に小農経営が地主手作経営に並び、それを乗り越えた」と評価しているが、これは単に入立米が年貢米と一括処理されているからではないだろうか。また芋嶋村からの入立米について、「入立米から貢租諸掛と地主作徳を差し引いたものが、支配人得分」(二六一頁)とあるが、提示された史料五からはそのような支配人得分は見出すことができない。著者はこのような一八世紀段階における芋嶋村の支配形態について、「役支配」の典型とし、一九世紀段階との差を強調するが、「役支配」についてはよく理解できなかった。それと関わって、「役支配」から「小作支配」という流れを描いているが、「役支配」とは多様な慣行に規定された多様な支配形態の一つであるなら、多様な支配形態が「小作支配」に統一されていく流れとして見る方が妥当なのではないだろうか。
 第六章では、割地回避の問題に疑問を感じた。割地の回避を「地主主導」と評価しているが、第四章の結論部分では、宝暦・明和期以降に地主経営と割地とは直接には矛盾しなくなったと述べており、両者をどう整合的に考えたらよいのか疑問である。また、地主的土地所持の進展と、「三位一体体制」の動揺・弛緩との関係については、もう少し明らかにする必要があるのではないだろうか。

  三

 第三編では「地主制」の脆弱な地域として関東の荒廃農村が取り上げられ、荒廃状況へ対応すべく構築されたシステムが分析される。
 第七章では下総国葛飾郡上砂井村を事例に、同村で天保以降四〇年近く続いた百姓代三人体制が検討される。そして同村では、小農規模の百姓代を中心に集団的に荒廃状況に対処し、決算システムの再編強化・共同管理地の有効利用などの工夫によって体制を存続させたと述べる。
 第八章では報徳仕法の運営システム、特に荒地開発を行う破畑などの諸職人の存在形態が検討される。そして、入百姓は元々諸職人であり、天保以降には農業経営を縮小させられ破畑稼ぎに専念するようになること、このような経営転換は家産意識が希薄であるがゆえに可能であり、彼らを「小農範疇」では捉えきれないこと、報徳仕法はこのような「半プロ」としての本質を持つ農民にも基盤を求めながら復興を目指したことを述べる。
 第三編の結では、村請制の決算システムの類型と「地主制」との関係について、権利体系と農村荒廃・諸稼ぎとの関係について、各々整理される。

 第三編の成果は、共同体論を踏まえた、荒廃状況への対処のあり方をシステマティックに捉える新しい農村荒廃論の実践にあるといえる。またそこには、第二編で展開された権利体系の考え方も組み込まれている。第七章では潰れ株の処理の問題が注目されるし、第八章では「半プロ」としての本質を持つ破畑が、入百姓によって権利体系に組み込まれ、その上で復興が目指される点が注目される。本書全体の中で位置付ければ、権利体系と村落との関係解明という点も重要な成果であるといえるだろう。
 第三編の疑問点として、まず第七章では、弥左衛門家の分散という処置の位置付けが気になった。分散という処置はまさしく権利体系の問題であると思うが、この処置は権利体系や村落との関係の中でどう位置付けられるのだろうか。また第八章では、報徳仕法の構造的特質について、「半プロ」としての本質を持つ破畑を基盤とした点が指摘されているが、このような構造的特質ゆえに必然的に孕まれるであろう矛盾について、今後明らかにしていく必要があるのではないか。

  四

 以上各編の整理を踏まえ、最後に序章・終章における著者の主張を整理し、あわせて本書全体の成果を整理したい。
 序章では、佐々木潤之介氏の豪農論の成果と課題が整理される。同論の成果を、「幕藩制的市場構造の特質」を組み込むことにより多様な側面をもつ存在を豪農という一つの範疇で把握したことに求める。そして、幕末においてでも、いわゆる豪農が、佐々木の言うところの村方地主・豪農・問屋制的編成主体、あるいは富農などの多様な存在形態・性格を見せることを述べ、このような多様性が併存していることをどう統一的に理解するかについては、未だ課題として残っていると述べる。そしてこの課題に対して、豪農の立脚点を検討することから迫っていく必要を主張する。
 終章では本書を通じての著者の主張が整理される。近世村落社会の特質は権利体系・村請制・「地主制」の「三位一体」の体制にあるとし、近世村落の展開・変質は「三位一体」の体制を前提に緊張関係・矛盾を含みつつ進行すると述べる。具体的には、村落の展開・変質の要因を、@「地主制」、Aブルジョワ的要因、Bプロレタリア的要因の三つに分けて整理し、@「地主制」の進展は権利体系・村請制を前提としている、Aブルジョワ的要因のうち商品生産は生産に関わる限り「地主制」と同じ関係にあり、商品流通・金融についても、豪農のもう一方の側面である「地主制」が右のような構造である限り、「三位一体」の体制に規定される、Bプロレタリア的要因については、農間余業の展開が地主小作関係と結び付いており、農間余業自体も権利体系・村請制を前提に展開する場合があった、として「三位一体」の体制による規定性を指摘する。

 本書全体の成果として、近世社会の諸主体にとっての普遍的な基盤である権利体系を議論に組み込んだ点が挙げられるべきだろう。権利体系−村落の関係が、社会変動により再編を繰り返しながら、多様な形態をとって展開し、多様な慣行・慣習を生み出す。第一編はそのような多様な関係を踏まえて、近世特有の地域運営の構造を描いたことが成果であり、また第二編はそのような関係を前提に展開し、それゆえにその関係に規定される「地主制」の構造を解明したことが成果であり、第三編はそのような関係を前提とした荒廃状況への対処をシステマティックに解明したことが成果であるといえる。そして序章の問題提起に対しては、豪農は常に権利体系−村落に立脚して存在しており、それゆえに規定性・限界性を有しており、かつ右記のような再編による関係の多様化により、存在の多様性を帯びていくという理解を示している。もちろん権利体系自体については丹羽邦男氏などによって以前から指摘されていたわけだが、著者の成果は権利体系を地域社会論に組み込んだ上で実態的な分析を展開し、結果としてそこから近世社会の特質を浮き彫りにした点にあるといえる。本書のこのような成果は、近世社会の特質に規定付けられた、近世独自の地域社会構造の総合的把握を目指した近年の地域社会論における、一つの到達点を示しているといえよう。
 本書全体としては、「三位一体」の体制という概念について若干の疑問を感じた。終章における「三位一体」の体制に基づいた整理について、その記述だけからは、権利体系・村請制・「地主制」の三つが、あたかも近世村落社会における絶対的な三つであるかのような印象を受けた。しかし少なくとも「地主制」は、権利体系・村請制とは次元の異なる要素ではないだろうか。近世社会特有の権利体系・村請制を前提に、それと適合的な形で「地主制」が展開し、また諸稼ぎをはじめとする人々の諸活動が展開するという構図に、評者としては思えた。

 以上、成果と疑問点を挙げてきた。本来ならば最後に、本書を得た今目指すべき課題などを挙げるべきだろうが、評者の力量不足ゆえ、これは他日を期すほかない。ご海容願いたい。最後に著者の研究に対する姿勢について言及して稿を閉じたい。本書の各編では、地役人・割地制・農村荒廃といったその地域独特の、一見すれば特殊事例とも言われかねないような特質的要素に対して、徹底的な考察が行われている。そしてそこから近世社会全体の問題へと議論を発展させていく。考察対象の地域性を捨象しないこのような研究スタンスの実践はまさに圧巻であり、見習うべきものであろう。
 性急に普遍化することで地域の特質を捨象することなく、また性急に近代とのつながりを論じることで近世社会の特質を捨象することもなく、その地域、その時代に徹底的にこだわった本書のような研究が、今後益々盛んになることを切に希望したい。

付記…本稿は二〇〇四年十一月十八日に行われた歴史学研究会近世史部会の例会報告の内容を加筆・修正したものである。
 
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