関東近世史研究会編 『近世の地域編成と国家-関東と畿内の比較から-
評者・佐々木潤之介 掲載紙(歴史評論587 99.3 )

ちかごろ地域史について書いているから、その視点から書評するようにとのことであった。なにか義務のように思えて承諾したのであったが、少し後悔めいた気分を床わっている。その理由はおいおい述べるとしよう。
この書は、一九九六年六月にこの書名と同じテーマで開かれたというシソポジウムの記録と、それにかかわるいくつかの論考とを集めてつくられている。シソポジウムを企画しこの書をまとめた関東近世史研究会は、北鳥正元さんによってつくられた研究会で、この書は、その北島さんを偲んでの企画でもあるらしい。そうであれば、長いあいだたいへん近い所にいて、ことあるごとに北島さんから教えをうけていた者として、この書は特別の意味をももっていることになる。もっとも私は、かつてこの研究会の会員であったこともないし誘われたこともない。いうまでもないことだが、北島さんは戦後近世史研究の民主的発展に努力された先学であった。みずからも『水野忠邦』をはじめとするすぐれた仕事をまとめるとともに、とくに若い研究者の育成に熱心にあたられた先生であった。戦後の江戸時代史研究に関わって、いつか北島さんについて語りあっておく必要があると思う。
さて本書は次のように構成されている。
(目次省略)
合計14 本の論考は、例外なくたいへん力作であることをまずもって申しあげておきたい。以下に述べることは、そのうえでのことである。
第一部のシソポジウムは、同じような関心をもった人びとが集まって話しあった記録である-いうまでもなく、そのこと自体はたいへん重要なことなのだが-。落合報告は、この研究会仲間での活動を中心にした経緯のまとめであり、大石報告も寛政改革後の鷹場や領についてその変遷を述べていて、いずれもそれなりに便利である。藪田報告はこれまでの研究経過を気軽に述べたあと、「第三の地域論」をたてようとしているもののようである。斉藤報告は秀吉の鷹狩にはじまり、江戸時代になってからの畿内での公儀鷹場の存在を明らかにするが、本格的検討は今後に委ねられている。シンポジウムでは、諸報告がもっている問題の基礎を抉るというよりは、鷹場や支配国などについての専門家同士の情報交換がなされている。
ところで、本稿を読むのはそのような専門家とは限らないし、この書もまたその種の専門家だけを相手にしているわけでもなかろう。そこで、問題の流れを説明しておく必要があろう。もちろん、私自身、この分野の専門家ではないから理解に誤りがありうることをあらかじめ謝っておく。
江戸時代の国家を幕藩制国家とすれば、その国家の領域-それは一義的に定かな境界をもっているわけではないが-が御領(幕府領)と私領(大名・旗本領ほか)とにわけられていること。江戸と大坂のふたつの都市がその国家体制の支柱になっており、したがって、それをどのように呼ぼうと読みかえようと、江戸と大坂の周辺地帯は、それぞれに幕藩制国家にとって特別の意味をもたされていたこと。それはそれぞれに特殊な支配制度のもとにあり、人びとの生業の面でも特殊な内容とひろがりとをもっていたのであって、関東と畿内とのふたつの地方はそのようなものとして理解されねばならないことなどは、一九六○年代のいわゆる幕藩制の構造的特質論のころから、指摘され研究されてきたという研究史的経緯がある。三○年余りの研究の展開は、この特殊性の実体がさまざまな場面で明らかにされ、かつひろがりをもっている問題として検討されてきたが、本書もまたそのひとつとしての研究史的位置をもつ。
他方、一般に幕藩制国家は兵農分離を基本にしているが、その兵農分離制という体制のうえに、どのようにして百姓支配ができるかという問題-それは問題としては江戸時代から議論されてきたことでもある-や、さらに幕藩制解体期にはそのような百姓支配の仕組みの関連でどのような社会組織が生まれてくるのかという問題も古くから検討されてきており、これらの問題は、ともに長い議論を経てきている重要問題である。それが、関東や畿内をも含めて検討されてきていることは、村共同体論・村請論や村役人論・中間層論・社会的権力論などの研究史に明らかであって、本書もそのひと齣にほかならない。
なお直接に本書とは関係がないが-その無関係であることが本書の問題点でもあるが-、最近議論されていることてもあるので、中間層論について一言ふれておくと、中間層とはもともと政治的に中間的な社会階層であるから、政治的中間層というのは同義反復的規定であって不適切であるばかりでなく、中間層論のほんらい的な展開を歪ませる可能性があって不適当であることを指摘しておこう。
このようなふたつの研究史の流れをふまえてこの論集を読むと、まず、近世以前の郷庄的惣的共同体がどのように近世村共同体に編成されていくかということが問題になる。いわゆる「領」の問題の本質はそこにあろう。「領」が江戸時代にどのように残っていて、どのように機能しているかということが、そのような前近世的な共同体の構成などの問題などを欠落させたままに、穿鑿されていた時期があった。本書では第二部の白井論文が武蔵御正領について、それを追究している。その限りではまとまった分析であるといえよう。しかし、一七世紀末に「領」と地域とが乖推するというが、編成される側の論理が明らかでない。平沢論文は江戸の公園的施設についての研究である。享保期の囲地を近代の公園までを視野にいれた公園的施設としてとらえ、それが「官」ではなく「地元」の要望と考えによって展開したのだとする。囲地にたいする興味ある切り口ではあって、意図はわかるが説明は十分とはいえず、まだ発想の域を出ていないように見える。太田論文は、享保年間の御鷹野御用組含の形成を、伊奈役所の役賦課との関連と触次役―大庄屋制廃止のあとで大庄屋にかわって数カ村の広域支配にあ たった―の設置という過程で位置づけようとしている。おそらく事柄の経緯はそのとおりであろうが、さてそれではこのような御用組合設置の歴史的意義はどこにあるのか、その機能は、触れ状の伝達、贋場人足の負担、鷹場役人の宿泊費用の負担、鷹野役所への取次、江戸城への諸上納物(えびつる・蝶・みみず・蛙・青虫などの草虫類)などにあるというが、そのことと課題の「国家」とはどのようにかかわるのか、定かではない。そもそもが、問題の鷹野は、さまざまに利用されたとはいえ、その将軍や大名たちの鷹狩の用地にほかならない本質は、幕末まで変わりはなかったのではないだろうか。桑原論文は徳丸原の大筒稽古場について、大筒稽古が将軍秘事から幕臣稽古場に転化していく過程を追い、夫役の増徴にたいする村びとたちの助郷軽減要求などを追う。外山論文は高尾山信仰のひろがりを、江戸田舎日護摩講中元帳の分析による護摩札配札で明らかにしようとした面白い分析であるが、本書はこの興味ある検討を場違いな感じのものにしている。牛米論文は武蔵日野宿組合村農兵についての研究であって、組合村の自衛組織として農兵を位置づけようとしているが、その所説は世直し状況論の さいに出されたものとほぼ同しであるように思える。
本書は、江戸と大坂のそれぞれの周辺地域=ヒンターラソドを、幕藩制国家における特殊地帯としての共通性においてとらえようとするが、江戸と大坂とは幕藩制国家におけるまったく違った位置にあり、異なった意味あいをもっているのだから、ほかの御領私領地とはちがうということ以上の共通性を求めることははなはだ難しい。第三部の岡崎論文では御鷹場の畿内での存在を、彦根藩の鷹場によって確かめていて、状況は共通しているかのようである。ただし、それは市都守護職鷹場であるという。土屋論文は享保の国分け以降、大坂町奉行所がその飢饉・訴訟・治安問題についての管轄を西国に展開することを述べている。山崎論文は、寛政の「取締役」設置とその意味を和泉国清水領で追おうとしたものである。そこでは、御百姓にたいする「御救い」が説かれ、それを実現するのがこの役だという。
本書は、各地の文書館などでの学芸員や調査員として地域で活躍している人たちや大学院生などの論考を主体としている。これらの若い論者の論考は、それぞれに何ほどかの問題点があるにせよ、それをこえて、それぞれに瑞々しさをもった好論文てある。それだけに、この論集の編成に添って読みすすむと、ある重要な共通した問題点を感ぜざるをえないことを言わねばならない。その二三についてあげておこう。
ひとつには享保期の位置づけのことである。これらの論考は、享保改革が、しかも幕府の政治改革が、近代へつながっていく幕藩制国家の画期であるという理解にからめとられてはいないだろうか。それは、宝暦天明期を維新変革の起点とする-地方と地域民衆の新たな発展と変動を基礎とした幕末維新期の変動の出発としての政治・文化・経済・社会状況の展聞-この三○年来の研究の積み重ねとどのような関係にあるのか?。
ふたつには、右のことともかかわって、幕藩制国家のなかの地域・民衆の位置づけについてのことである。これらの論考には、あまりにも地域や民衆の歴史的動きにたいする配慮がないように思われる。地域や民衆は、幕府の指示どおりに編成される対象としてしか描かれていないようだといえば、それは率直すぎる言い方であり、読み違いの謗りをうけることになろうか。
みっつには、共同体と近代化の問題である。地域を考えるさいに問題となるさまざまな組織、その母胎としての村、その内容的実体としての村共同体について、具体的・論理的な検討をすることなしに、なにか、それ自体が近代化の単位でもあるような、一部のとらえ方に与しているかのごとくである。私は思う。かつて醇風美俗の欺瞞性を暴露し、形式的表面的平等主義の反民主性を衝いて村研究に熱中した先輩たちは誤りを犯したのであろうか、共同体と近代ないし社会主義の成立との関係で問題にされたのは、人びとのたたかいによって共同体が近代や社会主義の母胎になりうるということの可能性についてのものであったのであり、そこでの主題は人びとのたたかいとそれへの指導にあったのではなかったかなどなど。
よっつには、歴史の論理についてのことである。飢饉で死んだ武士はいないというある経世書の一行や、どのように深い仁君であっても、年貢をとることをやめることにした領主はいないということなどの、幕藩制国家の基本的性格を想起させられる問題である。階級的な搾取と支配を前提としない「仁政」はないのであって、搾取体制の維持や増強を前提としない「御救い」などありえないことは、当たり前のことではなかろうか。この種の領主農民協調的理解はほかにも散見されるようであるが、多分それは領主の理屈ではあっても、歴史の論理ではあるまい。
私は、真摯な若い人たちの仕事をまとめてある歴史像を描くのが、編成の役割であろうと思う。とすると、以上述べたような問題は、個々の論考がもつ問題点というよりは、その編成の問題であるように思えてくる。
このようなことは何かの遠吠えのように聞こえるかもしれない。しかし、シンポジウムでの発言のなかで、馬場弘臣が、領主的土地所有権と領有との問題や、行政システムの観点からの鷹場の意味を問う発言をしており、それに応じて報告者がいろいろ問題を残してしまったと反省?している場面がある。この馬場発言は、右に述べた問題点と通底し、おそらくこの書全体を生きたものにしているのてはなかろうかと思う。そして、この発言がシンポジウムに集まった人びとの、一部ではあるにせよ、意見を代表するものと見るときに、今後の若い人たちの研究の展開に期待する。
これも最近議論されていることとの関連で、ひとことつけ加えておこう。数年前の歴史学研究大会の討論のさい、ここに地域史というときの地域とは歴史的実体なのか論理仮説なのかと問うたところ、報告者の回答はみごとに分かれたことを思い出す。私は、地域とはそのいずれでもない、それは所与のものではなく、歴史上の民衆が創っていくものであるという答えを期侍してたのだが。歴史的な実体としての地域とはまことに多様であり重層的である。したがって、論理装置としての地域もけっして一様ではない。具体的な対象をとりあつかう歴史学においては、地域史研究とは、人びとがどのように、そこで生活し生産をおこなうための場と関係とをつくりだそうとしてきたかを、人類史的課題への取り組みの歴史という観点から、明らかにすることなのであろう。
ともかく、本書は結果として、幕藩制国家における地域や地域編成とは何かという問題を、あらためて提起している。これは、問題としては、関東や畿内などの地方をこえた問題であり、本書が「地域編成」を題名にしていない限り、ないものねだりの最たる言い分であることは明かなのだが。
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