著者名:小田原近世史研究会編『交流の社会史−道・川と地域−』
評 者:神谷 大介
掲載誌:「地方史研究」319(2006.2)

本書は一〇年間にわたる小田原近世史研究会の精力的な研究成果をまとめた論文集である。その主旨は、小田原藩城付領としての共通性をもつ西湘地域における人・物の交流と情報伝播の様相を「道」や「川」という視角から分析しようとするところにある。
 小暮紀久子「箱根関所における人見女」は、従来不明確であった箱根関所の人見女の勤務形態、任用のあり方などを分析し、近世の関所政策における女性通行の実態解明を試みている。女性として特別の地位を認められたとする一方で、男女間の扶持給付額の差にも言及しており、近世女性史研究としても重要な論点を提示している。
 山本光正「旅日記よりみた小田原・箱根路について」は、特に伊勢参宮の旅日記(二〇点)を自在に駆使して旅人の行動を類型化している。江戸〜箱根路を東海道のひとつのブロックと捉え、旅人を受け入れる小田原・湯本での宿泊形態についても考察している。
 大和田公一「間の村と湯治場にとっての『一夜湯治』」は、文化二年(一八〇五)に旅人休泊問題をめぐつて箱根・小田原両宿と湯本・畑宿両村の間で起こつた「一夜湯治」事件の経過を詳細に考察して、箱根が幕末・明治期以降に温泉観光地として発展していく画期を見いだしている。
 宇佐美ミサ子「大磯宿の飯盛女と茶屋町救済仕法」は、飯盛女雇い入れをめぐる大磯宿南・北町と茶屋町との対立構造に着目して飯盛女の存在意義を再検討している。つまるところ、飯盛女は宿財政活性化の手段としてのみ認識され、明治六年(一八七三)貸座敷営業許可法令により「新たなシステム」に包摂されていったとする。
 下重清「『道の者』たちの一七世紀」は、道を徘徊する「道の者」を一七世紀以降の極めて幕藩制的な存在と捉え、来村宗教者や門付芸人、薦僧らの実態を生き生きと描写する。「士農工商」世界の形成は「帳外れ」世界の分離によって成り立つという視点に立ち、近年の「身分的周縁論」に疑義を呈する。
 木龍克己「尊徳の行動力と活動範囲」は、『二宮尊徳全集』所収の「日記」類から二宮尊徳の行動範囲や仕法地の人びとの動向を詳細に分析している。木龍氏の分析結果は、今後の報徳仕法や尊徳の研究にとって、もっとも基礎的かつ有益なデータとして共有されるべきであろう。
 坂本孝子「安政コロリの流行と人びと」は.現神奈川県下におけるコレラ流行の経路を概観し、そこでの情報や流言の伝播、領主的対応の分析を通じて、神仏の力でコレラの恐怖を忌避しようとする当時の人びとの心性を明らかにしている。
 中根賢「戊辰戦争下の小田原藩と遊撃隊」は、慶応四年(一八六八)五月、小田原藩と旧幕府遊撃隊との間で起こった「箱根戦争」を「上野戦争」の次の大規模な戦闘と位置付け、戊辰戦争史に新たな視点を提示している。
 関口康弘「田中休愚による酒匂川大口土手締め切り後の諸相」は、宝永の富士山噴火後の酒匂川氾濫に対する被災住民たちの復興への取り組みについて、田中休愚や蓑笠之助といった民政指導者の活動と関連づけながら論じ、安永二年(一七七三)の小田原藩による地押検地実施を復興開発の清算として位置付けている。
 荒木仁朗「水車経営と地域社会」は、相模国足柄下郡府川村名主稲子家の有り合わせ売買形式に基づく水車経営に注目し、これを小田原藩役人を含めた地域社会における商人・中間層同士の信頼関係によって成立した融通行為と理解して、従来の有り合わせ質地慣行とは異なる側面を検討している。
 松尾公就「堀と道普請にみる報徳仕法」は、小田原藩領における報徳仕法の影響の大きさ、特殊性について、西大井村での用悪水堀普請を中心に取り上げ、他の村々から自主的に助成人足が駆けつけることの意味を検討している。
 以上のような執筆者の年代は実に幅広く、それだけに斬新で多様な論点を提示する内容となっており、小田原近世史研究会の地道な活動成果がここに結実しているといえよう。近年、神奈川県西部では『小田原市史』や『南足柄市史』、『開成町史』などの自治体史が刊行されており、地域固有の歴史が次第に掘り起こされてきている。こうした中で「川」「道」を設定することで各自治体の枠を超え、西湘地域の歴史を総括する視点を提示している本書は、まさに研究者相互の「交流」の賜物であると感じた。
 
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