高橋卓志著『刺青 TATTOO』
評者・鈴木正崇 掲載誌・日本民俗学220(99.11)


日本人には「身体髪膚これを父母に受く」という考えが根強く浸透し、身体加工、特に皮膚を傷つける刺青に対する抵抗は強い。刺青は現在ではやくざやアウトローの行なうことされ、どこかに陰湿なイメージざえある。しかし、刺青は現在、若者、に密かなブームを引き起こしているという。鮮やかな魅惑の絵柄を身にまとう快楽は、途方もない苦痛に耐える長い試練の時と背中合わせなのだ。刺青は、時には女性の官能を刺激する性的メッセージともなり、谷崎潤一郎の『刺青』のような官能の美の世界へと導かれる。この不思議な行為になぜ人はとり憑かれるのか。本書はこうした前人未到の領域に対して、「墨を入れる彫師、そして彫師の針を受ける客、その刺青を見る世間」の三つの側面から聞き書きに基づいて肉薄する。全体は六章から構成され、刺青のみえる風景、意匠と技術、素顔の刺青師、刺青を背負う、刺青の呪力と心性、誰のために装うか、である。
これほどに著者が刺青にこだわる目的のひとつは「日本の近代が身体に関わる文化の何を否定してきたのかを探る手掛かり」を求めるためだという。現代の日本人にとっては大きな抵抗のある刺青だが、実は世界を見渡せば身体加工は広範に見出せるし、古代日本では刺青が普通の慣行であったことは史書や遺物から確認出来る。しかし、ある時期から日本の本土は、刺青と共に身に纏う装飾品、首飾りや腕輪なども切り捨てていく。意外にこういう装飾嫌悪の文化は少ない。これに対して、ごく最近までアイヌや琉球文化圏の女性にとっては、刺青は欠くべからざるもので、アイヌでは嫁入りの証であり、琉球の人々にとっては、あの世に到達する通行手形のような機能を果たしていた。刺青は呪力を持ち魔物から防御する呪符としても機能し、これを身につける痛みに伴う試練とも相俟って通過儀礼に組み込まれていた。しかし、著者は「身体をとおす通過儀礼」としてのいわゆる伝統の中の刺青よりも現代に関心を寄せる。特に、最近になって海外から輸入された小さなデザインを主体とするタトゥーの流行を視野に入れる。刺青は遠目に引き立つことを約束事のようにまとめているのに対して、タトゥーは近くで見た見栄えを重視する。また、刺青はぼかしの繊細で徴妙な墨の色合いを競うのに対して、タトゥーは陰の描写に力を入れる、という。この記述は比較文化の確かな一歩である。一見すると異端風で挑戦的に見える本書は、実はどこかで現代を照らし出す鏡となっている。この基底には民俗学の伝統的手法に基づいた織人研究の確かな手法があり、そこから出てきた現代の動きを冷静に見詰める優れた審美眼に圧倒される。

詳細へ 注文へ 戻る