著者名:小林正信著『織田・徳川同盟と王権−明智光秀の乱をめぐって−』
評 者:三鬼 清一郎
掲載誌:「郷土文化」60-2(2005.12)名古屋郷土文化会

 本書は、小林正信氏が本務の余暇に積み上げられた研究成果の集大成である。副題が示すように、天正十年(一五八二)六月の本能寺の変(ただし、氏はこの語を使用していない)の本質解明を意図したもので、構成は以下の通りである。

 序 章 光秀の矮小化と信長の神格化
 第一章 室町幕府滅亡年時と織田政権
 第二章 明智光秀と制度(足利幕府体制)防衛
 第三章 織田・徳川同盟と天下布武の構造
 第四章 非象徴天皇正親町院と公家一統の夢
 第五章 織田・足利新旧武家政権の相殺と王権の浮上
 第六章 天下布武の挫折と元和偃武への道
 補 論 明智光秀の出自
 終 章 我国の国権のあり方をめぐつて−一元的価値体系と二元的価値体系の相克−

 序章および一〜三章は本能寺の変にいたる過程を構造的に述べたものである。明智光秀の出自は室町幕府の奉公衆で、幕府制度の防衛を第一義に考えていた。織田信長も室町幕府体制の維持を念頭に置いているので、将軍義昭を追放しても、解官までは踏み切れなかった。しかし信長が東国の支配者である徳川家康を征夷大将軍とする構想のもとで「天下布武」に邁進するようになると、光秀は自己の存立基盤を脅かされることに危機感をつのらせ、それが信長打倒の決起に走らせる要因になったと述べている。
 四・五章は正親町院(天皇)および豊臣秀吉の動向で、院を「朝家中興の祖」、秀吉を「公武合体政権の担い手」と位置づけている。光秀の乱は信長の政権構想に反発した室町幕府奉公衆を中心とする勢力の決起であるが、結果として織田政権および光秀の支持基盤を解体させた。いわば二つの武家政権を同時に滅亡させたのである。光秀の敗因は乱の勃発時に畿内にいた家康を捕捉できず、本国三河への帰還を許したことにあるが、その背後には、味方である筈の細川藤孝が秀吉に内通するという裏切りがあったと述べている。
 六章は、家康を中心に結成された武家同盟が、豊臣政権(実態は羽柴・毛利連合)に対抗して勝利する過程を描いている。また補論では、明智光秀の出自を幕臣の進士藤延とみなす所説を展開しているが、実はこれが最も強調したかった箇所なのである。終章は、一〜三章と四・五章とを対比的にとらえ、国家権力の推移の問題として総括している。

 以上のように、小林氏の論考は研究史の成果を踏まえつつも、その間隙を鋭く衝いて自説を論理的に展開したもので、研究水準を一段と高めたと評しても過言ではない。当該期の史料や文献はもとより、古代・中世の研究にも目配りがきいた手堅い論証である。
 周知のようにこの問題は、藤田達生・立花京子の両氏を中心に活発な議論が展開されている。藤田氏が事件の背後に将軍義昭の存在を認め(『日本中・近世移行期の地域構造』校倉書房、『本能寺の変の群像』雄山閣)、立花氏が誠仁親王と中心とする朝廷の関与と、さらにキリシタン勢力の影響を指摘している(『信長権力と朝廷』岩田書院、『信長と十字架』集英社新書)。これに対して小林氏は、室町幕府制度の防衛という光秀の主体性を強調する見解を提示したもので、今後の研究は、これら三氏の所説を中心に展開していくことになるであろう。
 小林説のポイントは、将軍義昭と室町幕府体制とを弁別し、信長は前者を否定するものの後者は擁護しているので、家康(江戸幕府体制)との共通項を認めるという点にある。これに対して秀吉は、正親町天皇と一体化した王政復古の担い手で、後醍醐天皇と並ぶ公家一統の「王権」とみなしている。ここが今後に残された論点となるであろう。
 秀吉は関白に任官し、征夷大将軍を志向しない形で政権を樹立したが、これを武家政治の本流と対立する存在と捉えることは疑問である。たとえば秀吉は公帖発給権(室町幕府官寺の住持職補任権)を関白任官後に義昭から奪ったが、それは江戸時代には徳川将軍に引き継がれている。秀吉の発給文書は「御内書」様式が多く、将軍のそれと違いはない。秀吉は「関白家御教書」といった様式の文書を発給していないのである。豊臣政権を武家政権の流れのなかで捉え、室町・江戸幕府との対比のもとで分析する方法が自然ではないか。正親町天皇の主体性に着目したのは卓見であるが、過大評価という感もぬぐえない。
 小林氏の所説が論争的で、それゆえ新たな問題提起を内包しているということは、氏の研究姿勢が誠実であることの証しでもある。それが多くの人の手で検証され、さらに大きな飛躍を呼ぶであろう。氏は東海地域で結成された「織豊期研究会」のメンバーとして研究を重ね、その成果は『郷土文化』誌上に三回にわたって論文として掲載された。本書はそれを核として構成されたものである。このような地道な研究の価値を認め、発表の場を提供された名古屋郷土文化会および岩田書院の関係各位に心からの敬意を表したい。
   (みき・せいいちろう 神奈川大学教授)

 
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