著者名:小田原近世史研究会編『交流の社会史−道・川と地域−』
評 者:渡辺 和敏
掲載誌:「交通史研究」58(2005.12)

   一

 何とも魅力的な書名の論文集である。交通史研究で明らかにすべき問題点は多種多様で、その中のいくつかについては近年多くの成果が著されているが、残された大きな課題の一つが「交流」や「情報」であることは大方が認めるところであった。その意味で、交通史研究者には大きな期待感を抱かせる書名である。
 本書が目指す内容とそこに至るまでの戦後の日本近世史の動向については、本書巻頭の村上直氏による「発刊にあたって」において要領よくまとめてある。本書執筆の母体となった小田原近世史研究会は、巻末の「あとがき」によれば、取り敢えず『小田原市史』通史編近世の充実をはかることを目的にして平成七年に十数人によって結成され、さらに同市史発刊後も継続的に発展するために様々なことが模索され、今日まで四〇余回の研究発表の例会を開催してきたという。
 同研究会ではその発展過程の中で、平成十三年に「道と川」を主テーマとする論文集の発刊を目指すこととなり、それが本書の刊行に結実したという。何故に「道と川」かと言えば、近世の小田原・足柄地方(広義には神奈川県内)にとって、街道・関所・宿と言った「道」と酒匂川をはじめとする「河川」は欠くことができない問題であるという認識であったらしい。この認識については、当該地で何が最重要課題かについてその順位を巡れば多少の異論もあろうが、一つの主テーマとなり得ることに異論を唱える者はいないであろう。
 こうした認識の基に、本書は一一本の論文を収録し、それぞれを内容的に、T道に生きる・U越える人びと・V川と暮らす、の三部構成とし、総体として書名を『交流の社会史−道・川と地域−』としたという。ただし何故に総体として『交流の社会史』としたことについては、その経過について触れておらず、単に「発刊にあたって」において近世社会のもつ独自の仕組みやシステムを明らかにする新しい試みであり、各自治体史で充分な考察が行われていない分野であったと記すのみである。

   二

 次に、本書収録論文とその執筆者名を収録順に記し、併せて極めて簡単に論文内容を紹介しておく(巻頭「発刊にあたって」でも論文内容を紹介している)。
 小暮紀久子「箱根関所における人見女」は、主要な関所において上級身分通行女性を検閲する女性について、特に箱根関所の事例を中心にその格式・職務・系譜等を明らかにし、関所役人の中での女性の位置付けを試みている。
 山本光正「旅日記よりみた小田原・箱根路について」は、東海道全体の地域区分論を展開しつつ、その中で箱根路より東方を一つの枠で括り、その枠の中での旅の多様性について紹介したもので、従来の官製的な宿組合とは別の旅人による地域区分論を展開し、同時に旅日記の史料論にまで言及する。
 大和田公一「間の村と湯治場にとっての『一夜湯治』」は、文化二年(一八〇五)に幕府が街道筋へ出した間の村での休泊禁止令に小田原・箱根宿が呼応し、前者は特に湯元で慣例的に行っていた江戸方面からの「一夜湯治」の取締りを、後者は特に畑宿村での旅人に対する休泊の禁止を出願したことの意味について、それぞれの立場の相違を指摘しながら論じている。
 宇佐美ミサ子「大磯宿の飯盛女と茶屋町救済仕法」は、大磯宿を構成する六か町のうちの北本町・南本町と茶屋町(石船町)間での飯盛女の抱え権を巡る天保十三年(一八四二)の権利主張論争の意味を説いたもので、従来の飯盛女=宿駅財政補填策とは別に、飯盛女=性労働の強制という意味を全面的に展開し、それは宿場内での歪んだ地域発展策であったとする。
 下重清「『道の者』たちの一七世紀」は、街道・村々を徘徊して生きる「道の者」や都市に寄生する「通り者」について幕藩制的身分制との関りでその位置付けを試み、十七世紀の小田原藩日記である「稲葉日記」によって具体的に村に来た宗教者や門付け芸人、あるいは虚無僧の作法等について紹介し、いわゆる「身分的周縁論」に一定の疑義を呈している。
 木龍克己「尊徳の行動力と活動範囲」は、二宮尊徳がその仕法実践のために関東各地を「出張」した文政五(一八二二)〜安政三年(一八五六)の間の経過について分り易く表示し、天保飢饉救済を目的とした天保十(一八三九)〜十一年の「小田原出張」についてはさらに克明に紹介して、その行動力と当該地の人々との交流のあり方を推測しようとした。
 坂本孝子「安政コロリの流行と人びと」は、安政五年(一八五八)夏のコレラ流行について、現神奈川県下における被害の実相やそれに対する情報・流言の伝播、領主側の対応等を検証し、それでも庶民は迷信深くコレラの予防や治療には加持祈祷に頼っていたことを明らかにしている。
 中根賢「戊辰戦争下の小田原藩と遊撃隊」は、上野戦争直後の慶応四年(一八六八)五月におきた箱根戦争について、幕府遊撃隊の動向とそれへの小田原藩の対応を時系列的に詳述し、この戦争の結果がその後の戦地を東海地方へ拡大させることなく奥羽越方面に限定したとする。
 関口康弘「田中休愚による酒匂川大口土手締め切り後の諸相」は、宝永四年(一七〇七)十一月の富士山噴火が原因で翌年以降に再度にわたり決壊した酒匂川の大口土手が享保十一年(一七二六)に地方巧者田中休愚によって締切り工事が行われ、その結果を受けてここでは下流域六か村が徐々に復興していく過程について、村民と支配層との連携を軸に時系列的に詳述している。
 荒木仁朗「水車経営と地域社会」は、府川村名主家を中心に広く足柄上・下郡内の村役人家の水車経営をも分析してそれを地域社会での経済的仕組みの中に位置付け、従来の「有り合わせ質地慣行」論の再検討を迫っている。
 松尾公就「堀と道普請にみる報徳仕法」は、小田原藩領内報徳仕法での水利普請に関する先行研究を再検討した上で、尊徳から直接指導を受けなかった西大井村の用水悪水堀普請の経過とその成果を分析し、その普請に他村からも多くの助成人足が駆け付けた社会的意味を問う。
 以上、執筆者の意図とは別の読み方をしたかも知れないが、本書所収の一一論文の要約である。このうち、小暮・山本・大和田・宇佐美論文が「T道に生きる」で、下重・木龍・坂本・中根論文が「U超える人々」、そして関口・荒木・松尾論文が「V川に暮らす」に括られている。

   三

 正直な感想を述べれば、第一にいずれの論文も実に手堅い手法であり、力作がそろっていると言える。しかし第二に、地域史料の中でこれだけのことを明らかにしたのであるから、さらなる展望とか、他地域の同種の問題と比較してもよかったのではないかという論文が少なからずあった点である。ただし第二の点については、それぞれに紙数制限の問題があったのかも知れないので、無理な要望であろうか。
 以下、各論文について、敢えて評者なりの注文や指摘をしておきたいと思う。ただしこの書評が『交通史研究』という雑誌への収録であるから、特に交通史の立場からの注文・指摘が中心になる。
 小暮論文については、関所の中での人見女の実態について、少ない史料にも関らず抽出することに成功している。しかしそれを、他の男性の関所役人との性差別問題に発展させようとするのは、少なくともここでは論理の飛躍であるように思う。
 山本論文については、関東・東北方面からの伊勢参宮の旅日記二〇点により、江戸〜箱根間の旅の諸相を紹介し、その旅が東海道から外れて鎌倉・江ノ島方面を迂回することもあったことを指摘している。その旅日記は、安永六年(一七七七)から文久三年(一八六三)に及ぶものであるから、それぞれの時代的変化に言及すべきであったし、この地域の問題として箱根関所の通過の記事についても触れて欲しかった。
 大和田論文については、厳しい箱根路と湯治場を有する当該地の問題として、極めて興味深い事例の紹介である。ただし間の村での休泊禁止についは十八世紀以来の幕府の一貫した政策であり、それが化政期には箱根・小田原宿間だけでなく各所で問題化しているという事実を踏まえる必要があったように思う。
 宇佐美論文については、すでに長期にわたってこの問題に関する第一人者の論稿であり、評者としては殆ど納得する以外にない。敢えて論外の注文を出すとすれば、宿場を構成する各町の役負担者と店借・地借層などの存在形態を明示し、「町救済」の論に展開すべきであったように思う。
 下重論文については、交通史研究でも過去に実態としての「道の者」について言及した論稿がないではなかったが、改めてこうした「道の者」に限定した論文によって、大きな問題提起をされた気がする。この「道の者」が、十八世紀以降にどのような変遷をみせるのか、今後続けて発表してもらいたいものである。
 木龍論文については、二宮尊徳の行動を克明に表示化したことに敬意を表したい。ただしここでは殆どその表示化に止まり、「出張」という旅の手段とかその一行人数、あるいは「出張」先での地元住民との交流のあり方に言及していない問題が残っている。
 坂本論文については、現神奈川県内でのコレラ関係の史料を広く集め、庶民の流行病に対する本音を探し出している。ただし領主側の対応については殆ど浦賀奉行所の史料に限定して論じている点が問題で、交通史の立場で言えばその浦賀奉行所の意味やそこでの史料的特徴についても言及してもらいたかった。
 中根論文については、戊辰戦争の中での箱根戦争に関し詳述した最初の論文として、大きな学問的財産となったと言えよう。史料的な制約であろうが、ここでは旧幕府遊撃隊と小田原藩との関係に終始しており、戦地の地元民や草莽諸隊の動向を明らかにする問題が残っている。
 関口論文については、領主側と住民の協力体制という従来の歴史研究者には少ない発想で、その顛末を長期的視野で捉えた新しい視点と言える。評者は、班目村という一か村だけがその全面的帰住が明治まで果たせなかったという事実に興味をもったが、その理由や同村の動向を具体的に知りたかった。
 荒木論文については、相模国の地主経営に関する先行論文が少ないので、その点でも大きな成果であった。水車所有者の存在形態や小田原藩の水車に関する政策を知ることができたが、一般村民と水車との関係が殆ど見えてこないのが残念である。
 松尾論文については、悪水堀普請に際して利害を超えた他村からの助成があったことに興味を抱いた。ただし道路の橋の普請について、それを利用する機会のある村々が助成しあうことなどは全国各地にあり、村を越えた共同体の有り方を広く再確認しておく必要があろう。

   四

 以上、評者の専門外の論文もあり、的外れの注文や指摘をしている可能性がある。ただしすでに述べたように、いずれも力作で高い水準の論文集であり、今後の研究上に資すること疑いないという確信はある。
 問題は、書名『交流の社会史』と実際の各論文の中身である。サブタイトルの「道・川と地域」については、各論文ともに意識して執筆しているようであるが、評者には『交流の社会史』を意識して執筆したと思える論文が少なかったと感じる。同様のことは三部構成のそれぞれの表題にも言えることであり、特にT・Uについてはその表題にそぐわない内容のものがあったと言わざるを得ない。書名に期待感が大きかっただけに、その点だけが残念であるが、評者の思い過ごしであろうか。
 本書が、評者からみれば『交流の社会史』とは言い切れないとしても、各論文の有する学問的価値を低下させているわけでないことは当然である。特に本書所収の大半が交通史、あるいはそれに隣接する論文であり、言わば近世交通史の神奈川県特集である。本研究会会員には特に一読を薦めたい。
 もちろん本書は交通史だけに特化しているわけではなく、近世社会の有様を広く読み取ることもできる。神奈川県下における近世史研究の水準が、県西の小田原方面から発信された意義は大きく、小田原近世史研究会の方々に改めて敬意を表したい。

 
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