書誌紹介:伊村吉秀著『近世東三河の水産物流通』(愛知大学綜合郷土研究所研究叢書)
掲載誌:「日本歴史」690(2005.11)
評者:村瀬 典章

本書は、著者の三州吉田宿の魚市に関する論稿に、吉田宿の魚荷を通じて三州馬と信州中馬との争論に関する論稿を併せ、東三河の水産物流通としてまとめた本である。中心となるのは、吉田宿の魚市における魚荷の流通問題である。
 本書は著者が発表してきた論文を六章にわけてまとめている。まずは、著者の魚市と三州馬に関する研究を著書としてまとめられたことに敬意を表したい。

 本書の構成は次の六章からなる。
 第一章 魚市の開設と伊那忠次証文写
 第二章 宝飯郡前芝村『魚出入記録』をめぐって
 第三章 片浜十三里の魚荷の流通と吉田の魚市
 第四章 渥美郡吉田宿魚市の肴荷物と馬稼ぎ
 第五章 伊那街道の中馬・三州馬と文政三年裁許
 第六章 田口町村外五ヵ村の天保二年三州馬復帰訴訟と商品流通
 本書は、大きく二つの問題についてまとめられている。まず一つは、第一章から第四章までの吉田宿の魚市に関する論稿、もう一つは、第五章から第六章にかけての三州馬の出入りに関する論稿である。

 第一章については、吉田宿に開設された魚市について、伊奈忠次の判物を中心に検討を加えている。伊奈忠次の判物の原本が正保三年(一六四六)十月の大火で焼失してしまい、そのため熊野権現社の神官、あるいはその関係者は記憶を辿りながら証文を復元したために、四種残るとされる写は文言が混入または誤って書き込まれていると推測している。そのうえで、吉田の魚市の開設は今川義元の吉田支配が始まる天文十五年(一五四六)よりもかなり遡ることができるとしている。
 第二章については、嘉永四年(一八五一)から生じた吉田宿の魚問屋と、渥美郡牟呂村・宝飯郡前芝村の村人との魚直売りの出入り一件について論述している。吉田宿のいくつかの町に魚問屋が存在し、そのため吉田宿とその周辺で扱う魚荷の、魚町魚問屋と仲買による卸売独占は、あくまでも魚問屋・仲買の主張であり、願望であったとしている。
 第三章については、吉田宿の魚市と田原藩領分の片浜との魚荷の流通について検討しているほか、捌くり浜と請負浜との運上の違い、田原藩の浜手代の役割などにも言及している。そのうえで、吉田宿の魚町が繁栄したのは、城下以外にも大きな魚荷の販路をもっていたからで、信州中馬と三州の馬稼ぎによって、三河の内陸部や山間部、そして信州伊那地方まで魚荷が運ばれたとしている。
 第四章では、信州中馬についての検討に大半を要し、吉田宿の魚問屋の開設が天文十五年よりかなり遡ることができることから、吉田が魚の出荷地として早くから繁盛し、その肴荷物は馬稼ぎなどによって、信州へも多く送られたとしている。

 第五章では、信州中馬と三州馬稼ぎとの何度も生じた争論出入の経過をたどることによって、文政三年(一八二〇)裁許前後の伊那街道吉田道筋における駄送による流通の推移について検討をしている。
 第六章では、田口町村外五ヵ村が勝訴のためにどのように活動したのか、中馬村方・三州馬村方・荷問屋・荷主たちが訴訟にどのように関わったのか、そしてそれが信三間の流通にどのような影響を与えたのか検討している。
 これまで信州・三州間の商品流通は、信州中馬を中心に信州側からの研究は数多く発表されてきた。三州からの商品流通については、奥三河との流通についての研究があったが、吉田方面からの運送についての研究は少なかったように思える。著者が吉田の魚荷に着眼点をもち、魚荷により信州中馬および三州の馬稼ぎについてまとめられたことは三河の商品流通の一過程が解明でき喜ばしいことである。
 三州から信州への商品流通を考えるうえで、豊川や矢作川水運を利用して、三州馬・中馬と結んで遡る経路もある。文化十四年(一八一七)にそれまで豊川水運を使って新城まで魚荷を送り、同所から三州馬稼によって信州へ駄送されていたのに対し、信州中馬の反対があったとされるが、魚荷という商品の場合は、鮮度を保ち迅速に運送することが必要で、それにはどちらの方が利便がよかったのだろうか。また、荷物による運送の違いなどはあったのだろうか。現在愛知県史の刊行に基づく史料調査にょって、三河地方の新発見の史料も数多く見つかっているようであるので、これらのことが解明されることと思う。
 ひとつ注文をつけるとするならば、著者は註をみてもわかるように、多くの文献・史料を調査したうえで、本書をまとめている。それだけに史料を追って中馬などとの争いなどの紹介に追われている感がする。また、本書の全体の論点、そして結論といったまとめが書かれた部分がないため、論点がぼけている感がする。本全体の論点の中心、そして全体のまとめを記述してほしかった。
 本書の出版を機に著者のさらなる三州馬の側からみた流通の問題の研究の進展と、各方面からみた商品流通の研究が進むことを期待したい。
                 (むらせ・のりあき 刈谷市教育委員会学芸員)

 
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