書誌紹介:根本誠二・サムエルC・モース編『奈良仏教と在地社会』
掲載誌: 「仏教史学研究」48-1(2005.8)
評者:佐藤 文子

 本書は奈良仏教と在地社会という主題に対する歴史学的アプローチとして、とくに『日本霊異記』を中心的素材としつつ考古資料・美術資料などが駆使された学際的な取り組みである。二〇〇二年刊行の根本誠二・宮城洋一郎編『奈良仏教の地方的展開』(岩田書院)の続編に相当し、十人による十編の論文からなるが、海外で活躍する研究者をふくめたグループワークとしての意義も担っており、欧文の論文二編を含む。第T部奈良仏教と在地社会の相関、第U部『霊異記』の史的世界、第V部『霊異記』の心的世界の三部構成を成し、末尾に「奈良仏教研究文献目録2」を所載する。

第T部 奈良仏教と在地社会の相関
1 牧伸行「下野国薬師寺と如宝・道忠」
 天平宝字五年に下野薬師寺に戒壇が設置され、東国の受戒を担ったことの要因について、薬師寺が当時大寺相当の寺院としての位置づけがなされていたとする。またともに鑑真の弟子である如宝・道忠の薬師寺派遣について検討を加え、道忠については戒壇設置に際して派遣された可能性が高いとする。
2 三舟隆之「「山寺」の実態と機能−『日本霊異記』を中心として−」
 近年の発掘調査の成果をふまえ、「山寺」の立地が必ずしも「深山幽谷」にかぎらず、山麓である場合も多いことを指摘する。また『霊異記』などの文献史料にみえる「山寺」の様相から、「山寺」が、修行僧のための場たるのみにとどまらず、在地の人々によって建立され、在地の人々の信仰世界と密接な関わりをもって存在していたとする。
3 宮城洋一郎「利波臣志留志に関する一考察」
 国家による地方支配と在地社会における仏教受容というふたつの歴史的問題の接点として、天平一九年以降史料に登場する利波臣志留志という人物を取り上げ、地方豪族が財力を背景として大仏造営や国分寺造営事業への参画、東大寺領の開発といった活動を通じて国司へと出身していく過程を明らかにする。

第U部 『霊異記』の史的世界
4 秋吉正博「高僧の桓武天皇皇子転生−『日本霊異記』下巻第三十九縁の転生説話−」
 高僧が桓武天皇の皇子に転生するという『霊異記』の説話を、桓武朝に見られる怨霊思想の高揚に対抗すべく構築されたものととらえ、奈良時代末から平安時代初期にかけて発生した転生伝承の基盤として桓武・嵯峨に近侍する僧侶や、外戚の多治比氏・橘氏に連なる僧侶の存在があったとする。
5 阿部龍一「奈良期の密教の再検討−九世紀の展開をふまえて−」
 従来「雑部密教」と位置づけられる奈良期の密教について、近世近代に定着した「純密」「雑密」という二分法による定義にとらわれず、空海の著作を通じて再検討し特色を明らかにする。奈良時代の密教のありかたを顕密未分の時代と位置づけ、九世紀以降の顕密並立の時代とは区別されるとする。また雑部密教経典の国家に対する役割はすでに顕密未分の段階から形成されており、雑部密教経典による国家法会が両方の時代を通じて中世以降へ展開していったとする。
6 黒須利夫「古代における功徳としての「清掃」−『日本霊異記』上巻第十三縁の一考察−」
 『霊異記』所載の浄・不浄観念に関わる説話をもとに、奈良・平安初期において清浄の護持がどのように教化されていったかについて検討を加え、清浄の護持は功徳をもたらし、不浄な行為は罪報が課せられるという説話構成があることを指摘する。またそのような説話の世界が中央貴族層にも浸透していたとし、日常生活全般に渉って穢の忌避を定める『延喜式』の触穢規定成立の前提となったとする。
7 長谷部将司「私撰史書としての『霊異記』−官撰史書の論理との差異について−」
『霊異記』における政治事件の取りあげかたに着目し、皇位継承問題についての景戒の認識や地方豪族・下級官人層がもっていた天皇像の検討を通して、天皇の血統による「尊貴性」がかならずしも在地社会に浸透していなかったという実態を指摘する。

第V部 『霊異記』の心的世界
8 根本誠二「行基と善殊−行基像の変容をめぐつて−」
 為政者側からの行基の評価の転換を『霊異記』の記述内容をもとに掘りさげ、また桓武天皇と関わりの深い善殊の「本願薬師経鈔」の叙述から、異なる二つの行基像が並立していることの背景に「瑜伽師地論」に基づく戒律観から「薬師経」的な戒律観への変容があったとする。
9 サムエルC・モース「信仰造形と『日本霊異記』」
 八世紀における在地の仏像の作例を理解するにあたって『霊異記』所収の説話の有用性を指摘し、官大寺に属する僧侶が地方山岳霊場で山林修行をおこなうとともに造像活動にも積極的に関与していた実態を指摘する。
10 フローランス・ラウルナ「神の表現様式−その性質と機能−」
 日本において仏教輸入以前の神の表現が偶像的に乏しいという事象について、神信仰自体が内包する思想的要因を指摘する。偶像を否定する宗教背景において突出した存在である人形(ひとがた)に注目し、神事について祓え・鎮魂・服従の三つの意義を認める立場から、そのうちとくに服従の場面においてみられる人間の形をもちいた神事を芸能の発展とのかかわりのなかで論じる。

 奈良・平安時代の仏教史研究においては、従来いわゆる〈律令体制論〉という定められた枠組みのなかに、『律令』や正史からの史料をレイアウトする方法で構築された国家仏教論や仏教制度史が、重い枷となってきた。そのようななかで、本書が取り組んでいるような信仰や社会を対象とする研究が、古代史において市民権を得てきたのは近年になってのことである。その際素材とされるもっとも重要な史料が『霊異記』であることはいうをまたず、本書もまた多くの素材を『霊異記』に得ている。
 仏教の唱導説経のための説話として編まれた『霊異記』が歴史資料として用いられるについては、本書のようなグループワークがくりかえされるなかで、その手法じたいの議論が今後も深められていく必要があるように思う。また史料として『霊異記』の可能性と限界をみきわめる際、つとめてストイックな姿勢を保ちたいというのは、評者自身の自戒でもある。
             (仏教大学・大手前大学非常勤講師 さとう ふみこ)
 
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