書誌紹介:長谷川伸三編『明治維新期の民衆運動−地域社会と近代化−』
掲載誌:「関東近世史研究」58(2005.8)
評者:神谷 大介

 本書は栃木県歴史文化研究会近世・近代史セミナーが、茨城・栃木・群馬の三県を中心に近世・近現代の研究者に呼びかけて始めた「地域社会と近代化シンポジウム」の成果である。最初に目次を掲げる。( )内は執筆者である。

  刊行にあたって
  第一章 維新変革期における農民の動向(高橋実)
   はじめに
   一 世直し状況の深化と自衛強化
   二 上からの「御一新」精神と論理
   三 下からの「御一新」意識と行動
   四 「御国益」論理の展開
   おわりに
  第二章 常陸地方の世直しと明治維新(高橋裕文)
   はじめに
   一 幕末の水戸藩改革と村方騒動の激化
   二 天狗党の筑波挙兵と金策・暴行
   三 民衆の自衛と抵抗
   四 世直し一揆の広がり−抵抗から打ち壊しへの転化−
   五 寄合・徒党の日常化=村内支配秩序の逆転
   六 打ち壊しの主体、要求、行動
   七 慶応期の不穏状況と二万人民兵構想
   八 慶応二年の那珂湊打ち壊し
   九 戊辰戦争期の権力交代と打ち壊し
   一〇 打ち壊し参加者への処罰と詫び状強要
   まとめ
  第三章 下野世直しにおける民衆と地域秩序
      −世直し要求の正統化と地域寺院の動向−(齋藤悦正)
   はじめに
   一 世直しの推移と世直し勢の要求
   二 地域秩序と寺社
   おわりに
  第四章 上信世直し一揆の基礎的研究
      −世直し一揆の具体的様相と政策的昇華について−(中島明)
   はじめに
   一 上信世直し一揆の基礎構造
   二 上信世直し一揆の展開
   三 世直し一揆の政策的昇華
   おわりに
  第五章 慶応四年武州東北部における世直し騒動の一考察(長谷川伸三)
   はじめに
   一 近年の市町村史史料編の成果
   二 慶応四年二月、寄居寄場騒動
   三 慶応四年三月、羽生騒動
   四 羽生騒動の波紋、西大輪村の騒動
   五 羽生騒動の波紋、上州藤岡宿と周辺村々
   六 羽生騒動の波紋、笠原村の騒動
   七 吉見町周辺での世直し騒動
   結びにかえて
  第六章 変革期における地域社会編成の論理と世直し
      −地域指導者の活動と民衆運動からの乖離−(阿部昭)
   はじめに
   一 関根矢之助と日光筏荷主仲間の活動
   二 国産国益論の展開と通船事業
   三 豪農層の「公益事業」と「国益」論
   四 大室村の村方騒動と小前層の主張
   五 維新前後の民衆運動
   六 「農家用心集」に見る地域指導者の論理
   むすびに
  あとがき

 本書のもととなったシンポジウムは、広域的な地域研究の欠如、近世史研究と近代史研究の断絶という問題意識から企画され、地域や専門分野の枠組みを越えて、広く多角的視野に立った近世近代移行期の地域社会史の構築を目指したものである。そのため各論文の視点や評価を総合化するような基準を設けず、自由闊達な議論を展開されている。それゆえ、本書の価値は所収論文の内容を詳細に評さなければ明らかにできない。このため変則的ではあるが神谷・坂本と二人の評者を立てさせて頂くことにした。第一〜第三章は坂本、第四〜第六章は神谷によるものである。

 第一章 高橋実「維新変革期における農民の動向」は常陸西部地域を事例に、村々の農民が「御一新」期をどのように意識し、また行動したのか、を考察したものである。具体的には経済や治安の混乱を背景にした世直し状況の深化と村々における自衛強化、このような状況に対する維新政府の対応を検討している。さらに村役人や豪農が「御一新」を受容する過程を分析し、彼らが形成した「御国益」理論に注目している。この理論は近世以来の「仁政」の流れをくむもので、「人為」「村為」「村々為」「国為」という各段階の「御為筋」から構成されたものである。高橋氏はこれを、下からの地域統合の論理にもなりえたし、統治者に対する要求の論理にもなりえたと評価している。
 高橋氏の研究視角は、当時の人々の立場に立ちつつ、当時の人々の意識できなかった問題をも明らかにするものである。これは幕末維新期の地域社会の多様性を検討するうえで非常に重要な視点である。また、「御国益」理論を駆使して行動する地域のリーダーとしての村役人像は、三章の齋藤論文の内容と関連して重要な指摘である。しかし、利用している史料の性格に関する記述が不十分である。これは本書全体を通して感じる印象でもある。民衆の意識に関して複数の史料を提示することは事例の蓄積という意味で評価できるが、個々の史料の性格について丁寧な説明も必要であろう。
 第二章 高橋裕文「常陸地方の世直しと明治維新」は、幕末維新期における水戸藩の政治と地域の動向を総合的に分析し、@元治元年水戸藩内乱と常州世直し一揆の展開、A慶応期における諸生派政権と農民闘争、B戊辰戦争期の藩権力交代と農民闘争を検討したものである。
 高橋氏は元治元年の打ち壊しを内乱によって激発された世直し一揆と位置づけている。元治の内乱終息後、諸生派は対天狗党戦力として利用した農民の内、豪農には身分的特権を与え、小前層には武装解除・徒党の禁止など封建的秩序を強要したため、豪農・小前両者の結束は崩れていく。また、慶応二・四年の世直し一揆の未発は諸生派・尊攘派政権の圧殺によるものであったと評価している。
 本章は政治史と地域の動向を総合的に捉えており、評価すべき点の多い論考である。しかし、次のような疑問を覚えた。六において元治期の打ち壊しについて言及されている。ここで、氏は小前層の主体性によって形成された打ち壊しが藩の命令によって収束する、と説明しているが、この問の説明が不十分である。すなわち、打ち壊し発生当初に村役人層を無理やり頭取に担ぎ出した小前層の主体性はどうなってしまったのか、藩はどのようにして彼等の行動を制御できたのか、蜂起から収束にかけて小前層の意識がどのように変化したのか、などについて詳細な説明が必要であろう。
 また、慶応期に関しては、常陸国においても世直し一揆が発生する要素は存在した、という点のみを評価するのではなく、世直し一揆が発生しなかったことを積極的に評価する必要もあるのではないか。世直し一揆の未発を領主層の弾圧の結果と説明するのみではなく、地域の動向もあきらかにする必要があると思われる。
 第三章 齋藤悦正「下野世直しにおける民衆と地域秩序−世直し要求の正統化と地域寺院の動向−」は、慶応四年に下野各地で発生した世直し一揆を分析し、戊辰戦争による権力空白状況下における民衆の動向や地域の対応、秩序回復のあり方を明らかにしている。
 齋藤氏は世直し勢の作成した質地・質物返還に関する証文の変化に注目し、民衆は村や地域を立脚点として行動しており、村社会や地域社会を否定するものではなかった、と評価している。さらに、維新の混乱期に地域寺院連合は触の伝達など地域秩序回復へ積極的な働きかけを行い、混乱状況の中で寺院の社会的機能が一層強調された、と評価している。
 本章も非常に興味深い論点を含んでいるが、評者には次に掲げるような疑問が浮かんだ。本章の論題と二においては「寺院」とあるにもかかわらず、本文中では「地域社寺」・「諸寺院」・「宗教者」という語も利用されている点である。各語句の定義が必要であろう。また、上述したような社会的機能を有する寺院が廃仏毀釈に直面したさい、地域住民たちはどのように対応したのかという点にも言及していただきたかった。これは近世と近代の連続面・断絶面を考える上で重要な問題であろう。
 第四章 中島明「上信世直し一揆の基礎的研究−世直し一揆の具体的様相と政策的昇華について−」は、明治二年の佐久米他国移出禁止令撤回という政策転換の基本的動因を慶応二・四年の世直し一揆によって獲得された成果の中に見出したものである。すなわち、明治二年における政策転換を「世直し一揆における農民の論理と行動が、岩鼻県と伊那県の両者によって確認された」ものと捉え、「かつては暴徒の論理として一方的に切り捨てられていた世直し勢の言い分が、公然と政策決定の表舞台に躍り出た」ものと位置づけるのである。ここでの問題関心は、なぜ為政者が暴徒の論理を受け入れざるを得なかったのか、その理由の解明にある。中島氏は、その淵源を慶応二年六月の武州一揆に求め、これを起点として「世直し勢の経済的・社会的・歴史的な論理と行動を、農民の視点から時系列的に解きほぐしていく作業」を進めていく。とりわけ、西上州と信州佐久地方との「緊密な経済的紐帯」に着目し、国境ないし県域をこえた世直し一揆の追求を試みている点は、ともすれば現在の都府県の枠組みに縛られがちな研究動向に対して一石を投じたものとして特筆できよう。こうした研究姿勢は、世直し一揆が佐久農民の論理と行動に従って遂行されたとして、「上信世直し一揆」という新しい概念の提示を試みていることからも窺い知ることができる。とはいえ、若干の疑問点も存在する。例えば、中島氏は、明治二年の佐久米他国移出禁止令撤回について、上州から送られる塩、佐久からの米を時の相場によって相互に安定供給するという両国の「経済的紐帯」は、為政者の側も認めるところであったと述べている。そして、天候不順による凶作の中にあっても、この関係を維持することが「平和的諸関係の確立」に有効な対策であると為政者は感得していたとして、「慶応四年三月の世直し一揆の成果が、政治の舞台に主役として躍り出た」と結論付けている。とするならば、なぜ伊那県御影局は当初から西上州への米の移出を認めなかったのか。つまり、為政者は慶応期の世直し一揆をどのように認識し、それが御影局内での政策決定過程をどのように規定したのか。農民の視点を重視するのは理解できるが、問題の解明に深く関わる部分なので具体的な史料を示してほしかったように思われる。
 第五章 長谷川伸三「慶応四年武州東北部における世直し騒動の一考察」は、@元治元年前後から明治二年までを「内乱状況期」と把握し、世直し一揆と政治過程との関連性を明らかにする、A近年刊行の市町村史史料編の成果から武州北部の世直し一揆の広域性に注目する、B世直しの深化ともみられる村方騒動の分析、という視点に立つものである。まず、慶応四年二月の寄居寄場騒動や翌月の羽生騒動の経過を緻密に分析し、次いで、羽生騒動後の波紋として、葛飾郡西大輪村、上州藤岡宿と周辺村々、埼玉郡笠原村などで発生した騒動に着目するというかたちで論が展開される。そして、@豪農・村役人層が主体的に権力へ接近していくこと、A下野国都賀郡南部における世直し一揆の波及性、広域性、B村落内の世直しの深化、反動を含む終息過程の特徴の一端が明らかになったと結論付けられる。こうした論考は、筆者の一連の研究をさらに補完するものである。新たな事例の追加やそれぞれの騒動の関連性などを含め、今後さらなる進展が期待される。
 第六章 阿部昭「変革期における地域社会編成の論理と世直し−地域指導者の活動と民衆運動からの乖離−」は、徳川幕府の「聖地」である下野国日光山領地域を事例として、独自の地域社会秩序編成の論理を持つ豪農層と、それに対峙するかたちで発展した民衆運動の動向といった両面から世直しの意味を再検討しょうとするものである。特に、日光筏荷主仲間を勤めた下野国河内郡大室村名主関根矢之助に焦点が当てられ、その行動や論理が実態的に分析されている。なかでも、矢之助が農民に備荒を勧めるために執筆した「農家用心集」という教訓書の考察を通じて、豪農層と民衆運動との対立点を浮き彫りにしている点は興味深い。矢之助は、日光山御殿役所と連携して「日光国産品江戸廻し仕法」を推進するなど地域振興=「国益」の伸張を図り、「公益事業」を展開して地域社会秩序の形成に主体的に関わっていく。ところが、天保飢饉を契機に村方騒動が頻発し始めると、安政期には大室村の小前層によって不正を日光奉行所へ訴えられ、次第にその指導力は衰えを見せていく。そして、幕府による日光山領から代官所への支配替え通告や日光県による「検見取り正米納」布告や「麻会所の設立」といった諸政策に対する民衆の反対運動を通じて、その主導権は百姓代や小前百姓へ移行していったと説く。すなわち、筆者は、「下からの地域社会秩序形成の運動」において中下層の運動を統制しきれていない点に幕末維新期の地域指導者の不安定性を見出しているのである。村役人・豪農層と小前・貧農層の運動や論理を総合的に把握する必要性は研究者の共通認識であり、そうした作業が丹念に実践されている。
 最後に本書全体に対する評者の所感を述べたい。本書が近世史と近代史の断絶と広域的な地域研究の欠如という研究史上の問題点の克服に挑んでいる点は大変評価できる。しかも、所収論文は多様な視点から明治維新期を検討しており、多くの示唆を与えてくれる。例えば一揆・打ちこわしの頭取を取ってみても、第二章と第三章で提示されている頭取像は大きく異なっており非常に興味深い。しかし、このような差異が本書では十分に位置づけられていないのである。近年、本書と類似した視点から編集された論集として『民衆運動史』一〜五がある。『民衆運動史』においては、各巻冒頭にある「刊行にあたって」や深谷克己氏による「民衆運動史研究の今後」(『同』五)などにおいて同シリーズの目的と民衆運動史の研究史、同シリーズで使用する用語の概念について詳細に説明している。しかし、本書ではこの点の説明が不十分である。確かに自由な議論から新たな地平を切り開くという姿勢は評価できるが、ある程度の共通理解も必要であろう。また、所収論文の意義付け、展望にもっと多くの紙幅をさいて欲しかった。本シリーズは今後も刊行を予定されているようなので、今後の展開に期待したい。
 紙幅の都合から疑問・批判の羅列に終始してしまった。しかし、先述のように本書は明治維新期の多様な地域社会像を提供しており、注目すべき論集であることは強調しておきたい。評者の能力不足により本書の内容・意義を十分に理解できず、的外れな評をしたのではないかと思われる。また、無い物ねだりをしている点も多々あると思われる。ご海容いただければ幸いである。

 
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