書誌紹介:黒田基樹著『扇谷上杉氏と太田道灌』
掲載誌:「日本歴史」689(2005.10)
評者:小国 浩寿

 戦国大名後北条氏、特にその国衆の研究に関して、この十数年の間に膨大な成果を残してきた著者が、九十年代後半において東京都区部中世地域史に関する一大ムーブメントを起こした北・板橋・豊島区等の自治体史編纂や地域史シンポジウムに深く関わる中で、逐次執筆した通史編や報告書の中から扇谷上杉氏と太田道灌に関する九編を選出し、それに新稿一編を補して二部十章構成に編んだ地域書が本書である。
 一部は扇谷上杉氏の発展と展開と題し、その台頭から滅亡までを五章に分けて通述している。
 まず第一章「扇谷上杉氏の台頭」では、京都上杉氏庶流として山内上杉氏の影に隠れた存在であった扇谷上杉氏が永享の乱を契機に台頭し、享徳の乱の展開の中で相模国での地位を確立するとともに江戸・河越両城の取立てに象徴される武蔵への進出を果たして南関東の主要勢力になるまでの過程を上杉持朝の動向を中心に丁寧に跡付けた。
 次いで第二章「太田道灌と江戸地域」は、享徳の乱を境とした扇谷上杉氏の飛躍が、その家宰太田氏、特に道灌の力量によるところが大きかったことを地域領主と武将という二つの立場から実証的に論じた。前者については相模国内および江戸地域の支配を通して、そして後者は山内上杉氏の内訌たる長尾景春の乱における東奔西走の活躍をもってである。この際、前者においてはその職権行使が相模守護代職に基づく公的な部分より扇谷上杉氏の家宰職という私的な部分が優越していることを強調しており、そこには、享徳の乱が東国を室町から戦国へと導いた大きな契機となったことを前提に、戦国大名の成立過程における守護職などの伝統的な職権が果たした役割に慎重な立場をとる著者の基本的スタンスが表れている。また後者については、景春の乱の結果、扇谷上杉分国内における山内上杉領の多くが失われて両氏の勢力バランスに大きな変化が見え、特に江戸地域においては豊島・渋川・武蔵千葉各氏が一掃されたことにより同地域の一円的支配権を太田氏が獲得するなど、同乱が扇谷上杉氏、特に太田氏、ひいては道灌にとって画期的な意味をもっていたことを冷静かつ印象的に説明している。
 また第三章「道灌謀殺と上杉定正」では、扇谷上杉氏当主定正による道灌謀殺とそれを契機に勃発した長享の乱、そしてその過程における道灌遺子資康の動向等を詳述しながら、その過程で領域性と統一性を強め、守護大名から戦国大名への途に着く扇谷上杉氏の姿を浮かび上がらせている。
 続く第四章「江戸城主上杉朝良」は、両上杉の和議、古河公方家の分裂、山内上杉の分裂、伊勢宗瑞の跳梁という複雑で目まぐるしい長享の乱の展開から永正の乱の始末までの各勢力の合従連衡状況下における定正の後継朝良の動向を追い、当時の東国情勢におけるキーパーソンの一人として彼を位置づけている。
 そして第五章「上杉朝興・朝定と北条氏の抗争」においては、朝良の後継である朝興の動向を軸に、小弓公方の登場と世代交代による扇谷・伊勢改め北条両氏間の一時的な和睦とその破綻、反北条包囲網の形成と崩壊、そして扇谷上杉氏の滅亡までを通述したもので、朝興の嫡子であり最後の当主となった朝定死後における太田氏による扇谷上杉家再興の頓挫をもって第一部の締めとしている。
 一方、第二部は「太田道灌をめぐる領主たち」と銘打ち、豊島・江戸氏といった太田氏にとって克服の対象であった一族や幕府との関係の中で擁護した武蔵千葉氏、そして道灌暗殺殺後、北条勢力侵入以降も命脈を保った江戸・岩付両江戸氏ら各一族の動向をやはり五章立てで各個に追うことよって当時の太田一族の姿をより豊かで深いものにしている。
 具体的には、まず第六章「室町後期の豊島氏」は、平一揆の乱への与党により雌伏を強いられた豊島氏が応永初頭に復権し、禅秀の乱を契機に「国人」として鎌倉府体制内に地位を築き上げた経緯やその勢力範囲、そして、その体制が事実上崩壊する享徳の乱以降における山内・扇谷両上杉氏勢力下での動向、さらに、豊島氏が道灌を東国情勢の表舞台に押し上げた長尾景春の乱で滅亡を遂げ、太田氏の拠点たる江戸地域が成立するにいたる事情などを叙述する。
 次いで第七章「室町後期の江戸氏」では、室町期以降に多様な展開をみせた江戸氏の中でも、鎌倉府奉公衆の系統を中心に取り上げ、観応の擾乱前後の平一揆への参加からその没落と旧領の扇谷上杉領化までの同氏の基本的な動向を跡付ける。豊島氏領とともに道灌が属する江戸太田氏領の前提をなす江戸氏の所領とその推移を把握することは扇谷上杉氏の性格を知る上でも有効である。
 また第八章「享徳の乱と武蔵千葉氏」は、享徳の乱を契機とした千葉氏の内訌から上杉勢力と幕府勢力の後援、特に堀越公方勢力との関係から武蔵千葉氏が成立し、太田道灌との関係を深めていった長尾景春の乱を経て、下総守護家の家督としてではなく武蔵における一個の国衆として存続していく複雑な政治過程を丁寧に跡付けた。
 続く第九章「江戸太田氏の動向」では、太田道潅の直系の子孫とされ、後北条氏侵入後においても同地域最大の領主であり続けた江戸太田氏について、道港の子息資康とその嫡子といわれる資高の動向と所領から江戸太田氏が北条氏にとって他国衆的存在であり、その所領構成が北条氏の江戸地域形成そのものを大きく規定するものであったことを明示した。
 そして最後の第十章「岩付太田氏の動向」においては、太田資頼が江戸城攻略を果たした小田原北条氏に内応して岩付城を奪取して成立をみた岩付太田氏について、資頼、その子資顕・資正、資正嫡子氏資らの複雑な動向を永正の乱以降の関東政治史の中に詳細に跡付けている。
 以上の論稿群は、いずれも緻密な実証性に裏付けられ、説得性の高いものである。
 また扇谷上杉氏の存在を太田道灌という著名人物と絡ませてその重要さを一般に知らしめただけでなく、同勢力に視点を絞ったことによって諸勢力が入り乱れた複雑な政治過程に比較的明確な一つの道標を示し得たことは、中世東国史の研究を志す人々にとっては今後の大きな財産となろう。
 そしてこの編集方法自体が、これまでその公共性と非経済性から一般読者においては存在の認知と入手が困難であった自治体史編纂の成果をまとまったテーマで把握することができる上に、宿命的に担うこととなる自治体史通史編における専門性と啓蒙性との融合という困難な課題への一つの有効な処方箋を提示していよう。
 ただ、戦国大名としての後北条氏研究やその相対化を目した古河公方研究や北関東諸領主研究の批判的継承という著者のスタンスから、また紙幅の関係から、そして筋の煩雑さを避けて大きな対象である一般読者の通読を助けるためもあろうか、概して他勢力との関係の説明が微妙に不足しているために、それらの先行研究を十分に把握していない一般読者をして、皮肉なことにかえって消化不良感を負い、当時の政治情勢の中における扇谷上杉氏の客観的位置づけを即座に把握することを困難にする可能性を含有している。
 それでも、本書がこれまで戦国大名の北条氏の影に隠れていた扇谷上杉氏を正当に表舞台に引き上げ、比較的薄かったこの時代の政治史を飛躍的に豊かなものにしたことは間違いない。
 また今回は、道灌の存在が扇谷上杉氏研究のキーパーソンでありながら、構成上、広告塔的な役回りをも担う形となったが、近く、必ずや正面からの太田道灌論が展開されることを確信している。
 著者による近著群の入門編としてや東京都区部中世地域史の基本書としてだけではなく、室町・戦国期の東国史に興味を持つ方に広くご一読をお勧めしたい。
                  (おぐに・ひろひさ 東京都立一橋高校教諭)

 
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