鈴木久子・野村敬子編『ミナ工婆の「村むがす」―山形県口承文芸資料 ―
評者・高木史人 掲載誌・口承文芸研究23号(2000.3)

むかしをよそおういまの「かたり」。本書を読んでまず思い浮かべたのは、柳田國男の『遠野物語』の、当時の〈いま・ここ〉を描写した「物語」たちだ。近代以前と近代とのきしみがギリギリと摩擦しあっているのに、あの「文体」は、軋轢を「物語」世界のなかにぐいっと閉じ込めてしまう。そんな技法で、佐藤ミナエさんも「かたる」。ここでも〈いま・ここ〉はギリギリときしんでいるが、だからこそミナエさんの生きざまも見えるし、編者の生きざままでもが透けて見える。編者の鈴木久子さんは地元での細々とした作業で、野村敬子さんはこの本を纏める思想の柱を立てる部分で、大きく働いたのであろう。二人の共同作業が実を結んだ。私は以前ある文章で「昔話集の思想」という一節を立てたことがあるが、野村さんは、昔話集によって〈いま・ここ〉に働きかけることのできる数少ない「昔話集の思想家」の一人である。

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