書誌紹介:舟橋明宏著『近世の地主制と地域社会』
掲載誌:「歴史と経済(旧・土地制度史学)」188(2005.7)
評者:桜井 信哉

 評者が舟橋明宏氏の論文を最初に目にしたのは,2000年度の歴史学研究会大会の近世史部会における報告が雑誌に掲載されたときであった.この報告は他の既発表論文とひとまとめにして改稿され,本書の第五章となっている.この論文を初出時に読んで興味を引かれたのは,従来の近世地域社会論について,近世史的特質が刻み込まれた地主制の研究が遅れていること,近世の地主制のうち近代地主制に繋がる側面ばかり研究してきたことを指摘し,そのような限定について,「形成史」的限定と呼んでいたことであった。
 およそ,歴史学の研究とは,現在の状況の起源をたどる「形成史」的なものに終わることが多い.以前は,日本経済史の研究といえば,日本の半封建的経済構造の起源を遡ることが多かったが、最近では,日本の輝かしい高度経済成長の起源を探ることが増えてきている.この変化は一見劇的であり目覚しい進展に見えるが,一方で,どちらも「形成史」であるという点は共通である。
 評者自身はこのような歴史学の傾向について,『中世の秋』のホイジンガにならい,「待降節」的歴史観と呼んでいる.いかなる時代も次の時代のために存在しているわけではないが,「形成史」や「待降節」的歴史観ではそのようなありきたりの真実が見失われるように思われる.評者は近世貨幣史研究が専攻であり,近世地主制研究の動向には詳しくないにもかかわらずこの本に興味を持ったのはこのような観点からであった.
 この本の第一編は「肥後国天草郡の質地慣行と地域社会」と題され,天草の地役人の研究が行われている.地役人とは,全国の幕領に代官所手代・手付らの他に存在する地付の役人のことである.近年,岩城卓氏らによる,用達や郷宿という武士と農民の中間の層が行政に果たす役割の研究が注目されてきているが,ここでは,同様の観点から分析が試みられている.
 第一章の「天草郡地役人の存在形態と問屋・船宿」では,従来,天草の研究で地役人が過小評価されてきたことに注目している.天草郡の地役人は山方役と遠見番に分類できるが,明和期に減員されたにも関わらず,その後,経済的政治的影響力を行使し,郡会所に出される訴状を事前にチェックし調整するなどを行っていた.天草には,銀主と呼ばれる商業高利貸資本がグループを作り協力や競争をしていたが,村役人は大銀主を補佐していた.地役人はこれらの勢力と密接な親類関係を結んでいた.
 また,天草郡では質地をめぐる紛争があったため,寛政年間以降にいくつかの仕法が行われたが解決せず,弘化年間に新たに百姓相続方仕法が試みられ,その結果,島原の乱以来といわれる大一揆が起きた.第二章の「天草郡地役人江間家と地域社会−弘化の仕法と一揆をめぐって」は,この弘化の百姓相続方仕法をめぐる動きや郡中全体に影響力のある江間家という地役人の対処を扱っている.江間家は経営や御用金負担は大銀主的であったこと,弘化の仕法に対して銀主の立場で行動したこと,弘化の仕法が貫徹しなかったのは郡中の慣行が多様であったことが原因と見られることなどが述べられている.これにより郡全体の慣行に通じるのに地役人が必要であることが示された.
 第三章は「天草郡地役人江間家の「御館入」関係について」である.御館入とは貴族などの家に親しく出入りすることを指すが,ここでは幕領の地役人である江間家が近隣の藩に出入りすることをさしている.「御館入」関係が生じるのは,由緒がある場合と功績があった場合であり,江間家の場合は後者であった.藩側は,江間家に海防の世話,廻米船の人命確保などを期待し,江間家のほうは藩に格式の向上に加えて販路の確保など実利的側面も期待した.また,郡への影響としては在地社会よりも陣屋役人など上や横の関係に影響したと考えられるという.
 第二編は「越後国頸城郡の「地主制」と村落社会」である.ここでは,越後の佐藤家を事例に「地主制」の内部構造を分析することが試みられる.対象となる越後国頸城郡には割地制があることが特徴である.割地制とは,「不定期あるいは一定の期間ごとに,ある一定の範囲内で,くじ引きなどの方法により,耕地を割り替える土地慣行」(同書一七六頁)のことである.また,越後国では,一般の地主・小作関係の下に,小作相互の中小作(又小作)という「二重の小作関係」が広く展開していた.そして,従来の研究では,割地制と地主制の相互関連が不明であること,二重の小作関係と地主制の関連が不明であることが未解決であった.
 第四章の「村落構造とその変容−割地と小作地経営をめぐって−」に入ると,まず岩手村における慣行が説明されている.すなわち四種類の高区分があり,そのうち割地が行われるのは名割十六前だけであった.さらに,岩手村には,「反別基準」小作地と「名・高基準」小作地という二種類の小作地があり,地主の権限は「名・高基準」小作地のほうが弱かった.この二種類の小作地は従来の指摘と異なり,宝永年間以降も併存することが判明した.このような状況で佐藤家は延享期以降に手作分を減らして,無田支配人への耕地管理委託を進め,所有と経営の分離を行った.直支配時においては,地主経営の拡大と割地制は対立していたが,委託時は互いに矛盾するところがなくなったという.
 第五章の「近世の「地主制」と土地慣行−越後国頸城郡岩手村佐藤家を事例として」は,冒頭でも述べたように,先行研究の形成史的限定について指摘しており,それを乗り越えるために,地主・豪農を取り巻く諸関係について村を越えたレベルで分析する必要があるとして,越後米作単作地帯を分析対象に選んでいる.その結果見出されたものは,著者が「三位一体」と呼ぶ「村請制」「地主制」「割地制」が密接に連環した体制である.そして,佐藤家の地主制の展開過程を四段階に分類して,村内売買から質入中心に変わった状況や,所有と経営の分離が進展したことを位置づけた.そして,村落の結束が強いために地主的土地所持が進展するのは困難であったことを示した.
 第六章の「明治三年の村方騒動と「永小作」」では岩手村の「永小作」に@年季中の直小作が質流れ後も存続するという意味の「永小作」とA「普通小作」転化後に無年季的に永続する「永小作」の二種類があったことが示される.これら岩手村の「永小作」は用益権として物権化しておらず,支配人・小作人の権限が強いものであり,その点が新田地帯の永小作と異なっていた.また由緒のある村では地主制の進展が遅れる現象が見られた.明治初年にはある程度の地主制の進展が見られる一方で,三位一体を梃入れする動きも見られ,村落社会の規範の強さを伺わせる.
 第三編「関東の村落と村役人」には農村荒廃地帯の個別研究が2件収められている.従来の農村荒廃論は経済的視点に立っていたが,本編では他の編と同様に近年議論が進む共同体論の問題を組み込むことが試みられている.
 第七章「幕末・維新期の村方騒動と「百姓代三人体制」について−下総国葛飾郡上砂井村を事例として」では北関東で見られた農村荒廃に特有の中農平準化が取上げられている.村方地主が江戸後期に勢力を後退させるようになると,中農層が結束して運営体制を模索し,その結果,名主・年寄が存在しない中で三人の百姓代が御用・村用を仕切るようになる「百姓代三人体制」が生まれた.そして,経済力がなくても維持できる決算システムが工夫されたり,共有地の有効活用が試みられた.
 第八章「村再建に見る村人の知恵」では報徳仕法の特徴について幕領仕法と比較して分析されている.それによると,報徳仕法は,運営は商人らにも依拠するものの,資金は豪農商に限らない広い階層に依存しているのが特徴であるという.また報徳仕法は「破畑」と呼ばれる流浪する雇人足に依拠していたが,「破畑」は高度な技術を持っていたという.これにより報徳仕法は下層農民を切捨てたという従来の評価を覆している.
 このようにいずれの章においても近代的な理解の仕方では見失われるようなテーマが多くの史料に裏付けられ飛躍することなく展開しているのが特徴である.また,自分の問題意識を先行研究と巧みに結びつけて着実に発展させていく姿勢が印象的であった.
 そもそもかつては本書が対象とするような地主制の研究,すなわち土地制度の研究こそが,経済史研究の王者であった.今や土地制度の研究はかつての特権的地位を剥奪され,脱神話化された感がある.しかし,少なくとも近世史研究に限って言えば農村史の研究が高いレベルで活発に行われているために,依然として他分野に重要な刺激を与える可能性を秘めていることは,本書を通して伺えるのである.

 
 
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