書誌紹介:舟橋明宏著『近世の地主制と地域社会』
掲載誌:「歴史科学と教育」23.24合併号(2005.8)
評者:渡辺哲郎

 本書は著者舟橋明宏氏が一九九五年から二〇〇一年までに発表した論考の一部をまとめたものである。氏は、近世村落社会および地域社会に関する研究史上の見落としを明らかにし、見落とされた部分の解明を試みた。本書は、それを実証的に実現する方法を提示したと言う点だけとっても高く評価されるべきである。本書は序章の研究史整理と、三編の各論、三編を総括した終章から成る。まずは目次を紹介したい。各編には序と結がそれぞれ配置されているが、下記では省略した。また、括弧内は初出年である。

序章 近世の在地社会研究と「地主制」
    第一節 豪農論の地平(二〇〇一)
    第二節 地主・小作関係の多様性について(新稿)
第一編 肥後国天草郡の質地慣行と地域社会
  第一章 天草郡地役人の存在形態と問屋・船宿(一九九九)
  第二章 天草郡地役人江間家と地域社会
     −弘化の仕法と一揆をめぐつて−(一九九九)
  第三章 天草郡地役人江間家の「御館入」関係について(一九九九)
第二編 越後国頸城郡の「地主制」と村落社会
  第四章 村落構造とその変容
     −割地と小作地経営をめぐって−(一九九五)
  第五章 近世の「地主制」と土地慣行
     −越後国頸城郡岩手村佐藤家を事例として−(一九九九・二〇〇〇)
  第六章 明治三年の村方騒動と「永小作」(新稿)
第三編 関東の村落と村役人
  第七章 幕末・維新期の村方騒動と「百姓代三人体制」について
     −下総国葛飾郡上砂井村を事例として−(一九九九)
  第八章 村再建に見る村人の知恵(一九九六)
終章(新稿)

 第一編は長崎に近く諸国廻船の寄港地でもあった肥後国天草という商業・高利貸資本が発達した地域、第二編は越後国頸城郡岩手村という米作単作地帯、第三編は北関東の農村荒廃地帯が舞台である。
 本書各論文には大量の新事実が散りばめられており、短い言葉で語ることは困難なのだが、困難を承知で章ごとに内容を紹介したい。ただし研究史整理である序章と、各編の序と結、および終章については割愛した。

第一章 天草郡地役人の存在形態と問屋・船宿
 当該地域における地役人とは何か、船宿とは何かを追究し、彼らの果たした役割を検討している。本来、下情上申を取り次ぐのは大庄屋なのだが、地役人の江間家は、大庄屋ではない。それにもかかわらず願筋を取り次ぐ事例が見受けられ、さらに富岡陣屋の手代から相談される存在でもあった。代官の業務を代行する地役人は、実際には近世後期に政治・経済面でさまざまな影響を発揮する存在であり、政治的ヘゲモニーの実態解明には制度面では捉えきれない部分の分析が不可欠であると服藤弘司氏を批判する。

第二章 天草郡地役人江間家と地域社会
     −弘化の仕法と一揆をめぐって−
 用聞・用達研究の批判をしながら、第一章でとりあげた江間家をさらに経営面を組み込んで、江間家の果たした役割を明らかにし、それが地域の各階層の利害とどのように絡み合うのかを描いている。具体的には天保期に頻発する騒動と、弘化の百姓相続方仕法をめぐる動向、およびその後の一揆における各階層と江間家の意向をとりあげる。

第三章 天草郡地役人江間家の「御館入」関係について
 江間家と島原藩・肥後藩との「御館入」関係に迫っている。御館入関係は、領主と何らかの由緒があって発生することもあるし、領主の必要性から発生することもある。どちらにしろ江間家は経済的ヘゲモニー強化のために藩を積極的に利用しており、そうした事例が本章で紹介されている。

第四章 村落構造とその変容
     −割地と小作地経営をめぐって−
 地主・小作関係の展開と割地制との関連性を具体的に検討している。越後国頸城郡岩手村の大地主佐藤家が自村内の持高をどのように増減させたのか、持高の増減に際してどのような質的変化が起こつたのか、宝暦期の質的転換をどう考えたらよいのかなどの解明に挑んでいる。地主手作の減少、支配人の採用、支配人への山分与などをとりあげ、近世社会における土地所有のありかたを描く。

第五章 近世の「地主制」と土地慣行
     −越後国頸城郡岩手村佐藤家を事例として−
 二〇〇〇年度の歴史学研究会近世史部会の大会報告を組み込んだ論文であるため、舟橋氏が考える近世土地所有論の全体像を把握したいのなら、まずこの章から取り掛かるのも良いと思う。小作慣行、田畑山屋敷が有機的に結びつき株化された権利体系、株の流動化のあり方を時系列で把握することで出される展望などが示され、高度な理論化・一般化を試みている。

第六章 明治三年の村方騒動と「永小作」
 明治三年の村方騒動は、済口証文によると佐藤家の勝訴のように見える。しかし日記からは、永小作の補償と滞納分の帳消しという佐藤家の大幅な譲歩の上での勝訴であったことがわかる。他にも日記や済口証文から次々と新事実を発掘し、地租改正前後の佐藤家と岩手村の姿を探る。

第七章 幕末・維新期の村方騒動と「百姓代三人体制」について
 上総国葛飾郡上砂井村は、天保期以降に名主・組頭がおらず、百姓代三人が御用・村用を担当している。百姓代で、七石前後の土地を有する家をとりあげる。彼の文化的生活からは、百姓代就任以降、他村の「先生」への祝儀金や稽古にかかわる諸経費への支出が見られ、自分で五人組帳前書などを写して手本としていることがわかる。また、短期間に面割清算を行うことで、立替の村役人に負担が小さくなるようにしている姿を見出した。

第八章 村再建に見る村人の知恵
 下野国における報徳仕法を、その三〇年前のいわゆる名代官による復興仕法と比較をし、特に報徳仕法で労働力として期待した「破畑」という雇い人足の存在形態と役割から、報徳仕法に迫る。また破畑のありかたから、家産意識の変容にも着目した。

 舟橋氏は「それぞれの地域の農民にとって最大の関心事は何か、ということを常に念頭に置き、そこに徹底的にこだわり、そこから逆に近世の村落社会や地域社会の特質を浮かび上がらせたい」(七頁)と問題関心を表明する。
 その実現のため舟橋氏が重要視しているのが史料論である。といっても本論中では史料論自体にあまり言及していない。舟橋氏は自らの問題関心上、志村洋氏を高く評価する。その評価を紹介しよう。
 「最も評価できるのは、その多彩な分析手法にある。御用留、日記類、各レベルの議定、各レベルの入用帳、村方文書、書状、個々の経営帳簿などにまで目を配り、制度面から実態的内部構造まで分析し、地域社会の「公的な側面だけでは捉えきれないほどの多面性」(志村@論文)を具体的に検討している。一般的に、多面性や多様性を指摘することは容易いが、具体的な分析も備えている点を強調しておきたい」(四二頁、志村@論文は、渡辺尚志編『近世米作単作地帯の村落社会』岩田書院、一九九五年所収の、志村洋「越後地主地帯の大庄屋制支配」)

 志村氏のような分析手法は高度な史料整理論を要請する。舟橋氏は終章で三つの「今後の課題」を語るが、そのうちの一番最後、三つ目に史料整理の重要性を提起する。

 「本書が述べる「三位一体」の体制の分析は、史料調査・史料整理・目録編成などに関する方法論の進展に大きな恩恵を蒙っている。具体的には、「文書群の構造的認識」論や「現状記録」方式の調査法などである。本書分析の過程において、従来の整理ならば「訳の分からない書付類」「覚一括」などと処理されていた史料にこそ、複雑な連関を読み解く鍵が秘められていたという実感を得ている。個人的な感覚ではあるが、歴史研究の進展と史料整理法との間には、無視しえない密接な関係があると考えている。その重要性が指摘されて久しいが、村方文書・地主文書に対する史料論的な検討は、遅々として進んでいないのではないか。」(四三四頁)

 ここで言う「三位一体」は舟橋氏が近世の「地主制」を説明する時に提出した概念である。
 舟橋氏の関心は地主制にある。ただし、鍵括弧をつけて「地主制」と表現し、それを、近世社会独自の地主・小作関係であり、「明治初年の私的所有確立策によって矮小化あるいは化石化した『慣行』ではなく、前近代社会の民衆的諸慣行が生きて機能している世界」(七頁)と想定している。
 「三位一体」とは、村ごとに土地制度が異なることを前提にしつつ、それでも年貢収集体系として機能する「村請制」・小作慣行および作徳米収得体系を意味する「地主制」・村落共同体が実施する「割地制」という土地制度の三者の密接な連関を意味する。この「三位一体」体制は地租改正まで保たれる。
 研究史上、割地制は地主の経済的発展を阻害するものだという観点もあった。この観点は地主制の進展により村の崩壊を助長することも同時に意味する。確かに、地主経営のために作成された地主帳簿だけではそのような結論が出てしまうのも致し方ない。中山清氏は、岩手村の事例ではないのだが、支配人・小作人同士での貸借と言える「中小作」を、「地主家の史料に公然とは出てこない、地主の黙認の下での慣行であった」と結論づけている。しかし、舟橋氏はそれを厳しく批判する。

 「岩手村の場合には、年貢帳簿の「場帳」を使うことによって、容易に復元することができる。このことは、地主経営のために作成された地主帳簿だけでは中小作も含めた地主・小作関係全体を把握できないことを示している。地主経営や地主・小作関係を分析するには、地主帳簿ばかりではなく、年貢帳簿も併せて検討し、両者の連動や史料論的な検討も加味する必要があろう。」(二四八頁)

 史料論の重大性・必要性を説くとともに、舟橋氏の地主観の一端も伺える。
 舟橋氏の地主観について、第四章の註一四で興味深い記述がなされている。

 「ある百姓が持高の半分を質入れしたとしても、地主は理念的にその半分の土地の所有者になるのであって、実際に自分がどの土地を質に取ったのかは全く把握していないことになる(新田を除く)。地主は定量の入立米を年々取得するだけで、質流れになっても質置人の権限は長く存続するのである。しかし、岩手村内に限定すると、庄屋である佐藤家は岩手村の割地を中心になって実施する立場なので、割地を実施していない村の地主や村役人に比べて、村内の耕地の広さや耕作者、そして地味などを正確に把握していたことは強調しなければならない。質入した場所は不分明でも、岩手村の土地全体に精通しているのである。」(二三三頁)

 佐藤家が所有する土地の一部は、支配人によって差配される。佐藤家は支配人を通して自分の所有地を差配する、というだけでは言葉が足りず、特に岩手村以外の村にある所有地は、むしろ現地の支配人を通さないわけにはいかない。自村であっても、支配人・小作人の経営の方が反当りの収穫量や米の質が良いので、地主手作経営から支配人を通しての経営にシフトしていく。このことを舟橋氏は米の品質の問題にも踏み込んで分析しており、非常に説得力がある。支配人が差配する土地は、それをどう経営するかは地主が関与できず、所有と経営の分離といえる状況が一般的になっていく。
 なお岩手村の小作慣行を語る上で必要なタームである「反別基準」小作地や「名・高基準」小作地などについては、第五章に具体例を交えて比較的丁寧に説明してある。舟橋氏は短い単語で一般化を図ろうとしているからか、その短い単語に多くの概念を代表させているような気がする。「地主制」にしても「役支配」にしても、それらの言葉の背後には、舟橋氏が析出した新事実が数多く含意されている。多少くどくはなるが、もう少し長いフレーズで概念を表現しても良いのではないだろうか。
 また、それぞれの地域が多様な地主・小作関係のどのような特徴を備えた地域であるかという点に関しては序章で位置づけているが、序章第一節「豪農論の地平」で整理した論点と本書各論文がどのような関係性を持つかという点に関して、舟橋氏自身の言葉が欲しかった。
 それはともかく、本書は従来提出されてきた近世社会論に動揺を与えるものである。研究史批判だけでなく、受け継ぐべき視点、再評価すべき理論も、各章の冒頭や序章第一節「豪農論の地平」などで整理されている。特に、豪農論の系譜を確認した「豪農論の地平」は、近世社会論を振り返るときの導きの糸となりうる。佐々木潤之助氏の『幕末社会論』を中心に研究史を振り返るにしても、佐々木氏以前の再評価を含めて、研究史の系譜の上で佐々木氏を理解し、いまだ追究されていない課題を解かねばならないことを舟橋氏は教唆する。その課題を解くべく、近世独自の「地主制」の解明に着手したことは上述したとおりである。
 ここで、第一編や第三編で追究された問題にも触れておきたい。
 第一編では、近世社会に独特の「政治領域」を想定し、地役人や大庄屋、大銀主を社会的権力と一括せず、経済的ヘゲモニーと政治的ヘゲモニーの分裂状況を捉えた。また一見矛盾がありそうな大銀主と中小商人に矛盾がないと位置づけた。
 第三編は、村請制村についてのイメージをより豊かにする事例と言える。これら論考からは近世の村を考える上での単純な一般化を許さない、舟橋氏の厳しい学問的態度が感じられる。
 初学者でも、より正確な近世社会像を紡ぎだすためにも、本書が描く近世社会を読み取ることにチャレンジしてもらいたい。論理が難解と評されるそうだが、精読を心がけて、一つ一つの事実を読み取っていくことにも十分意味がある。時間のあるときにぜひ本書を手にとって、じっくりと近世社会に潜ってみるのも良いかと思い、本書を紹介した。
       (わたなべてつろう・千葉大学大学院教育研究科修了)

 
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