書誌紹介:川村 優著『旗本領郷村の研究』
掲載誌:『日本歴史』687(2005.8)
評 者:横浜文孝

 私が卒業論文で旗本領を取り上げたのは、今から二七、八年前のことである。そのころ川村優氏の多くの論文を読みつつ、当時の旗本領研究の現状や、研究の視角について、多くのことを学ばせていただいた。
 この度、その川村優氏(以下、「著者」とする)が『旗本領郷村の研究』を上梓された。すでに著者は、これまでにも一九八八年に『旗本知行所の研究』(思文閣出版)、一九九一年に『旗本知行所の支配構造−旗本石河氏の知行所支配と家政改革−』(吉川弘文館)を刊行されており、今回が旗本(領)の研究として三冊目の大著ということになる。
 著者の旗本(領)の研究は、一九五六年頃からというから、およそ半世紀に渡る時を重ねてきたことになられる。その間、一貫して微視・微細的な研究視点から旗本(領)研究を常にリードされてきた訳で、本書はこれまでの成果の一端を色濃く示すものであるといってよい。
 本書の章立ては、次のとおりである。
  まえがき
 第一章 旗本領の性格と旗本知行権
  第一節 旗本知行村落の特質−若干の構造的側面− (一九六九年)
  第二節 支配形態よりみたる房総三国の性格の一端−主として旗本領の分布を指標として− (一九七二年)
  第三節 旗本知行権の評価をめぐる一、二の問題−鈴木壽博士の所説の一端との関連において− (一九七九年)
  第四節 旗本(領)研究のための覚書−今後の研究飛躍のためのいくつかの視点について− (一九九七年)
 第二章 旗本領郷村と組合村の動向
  第一節 相給村落の一特質−上総国長柄郡立鳥村の「往来筋溜井諸事改帳」の紹介をかねて− (一九八三年)
  第二節 近世後期東上総旗本相給村落の一動向−享和三年正月、上総国武射郡八田村の「取締拾給連印帳」のもつ意義− (二〇〇〇年)
  第三節 近世における組合村の存在とその性格−上総・下総両国の数例を中心として− (一九六四年)
  第四節 上総国における改革組合村の始原 (一九六八年)
  第五節 郷五人組考 (一九七八年)
 第三章 旗本知行所支配の実態
  第一節 酒井氏・仙石氏の知行所支配−その系譜と実証研究の一斑− (一九八六年)
  第二節 筒井氏の知行所支配(一)−筒井氏の系譜と知行の一端− (一九八七年)
  第三節 筒井氏の知行所支配(二)−幕末期を中心に− (一九八八年)
  第四節 杉田氏の知行所支配−幕末期嘉永年代を中心に− (一九八九年)
  第五節 阿部氏の知行所支配−幕末期地頭所臨時用人追放要求の経緯を中心に−  (一九九二年)
  第六節 小栗氏の知行所支配−幕末期の動向を中心に− (一九九五年)
  あとがき
 本書の構成は、著者がこれまでに書き上げてきた諸論文を「年次別に羅列することをさけ」、それをテーマごとに三章立てに配列し直したものである。節立てにある論文は、一九六四年から二〇〇〇年までの三六年の間に書き上げた一五の論文であり、著者の長年の研究成果が浮かび上がってくる。
 各内容をここで丁寧に紹介することはできないが、一章では旗本相給村落の具体的な事例にもとづき、一節が農民の領主支配と一村的な村落支配という二重支配の問題について言及する。二節では房総三国の所領構成について分析・言及され、関東の中の旗本領の占める意味合いについて述べる。三節では著者と研究の視点で相違する鈴木壽氏への批判的見解を述べ、四節は一九九七年当時の論文で旗本(領)研究の現状認識と、それに対する一、二の批判点を示す。
 二章は旗本領郷村と組合村を取り上げ、一節では文化五年(一八〇八)の上総国長柄郡立鳥村「往来筋溜井諸事改帳」を分析され、相給村落内部の村政運営が「一統専一」を指向したと説く。二節では享和三年(一八〇三)の上総国武射郡八田村の「取締拾給連印帳」をもとに、これが文化二年の関東取締出役の前駆的動向であったとする。三節は両総の組合村の存在が文政の改革組合村の先駆的なものであったと指摘する。さらに四節では、上総国市原郡の村々で文化一二年には関東取締出役の指示により組合村の編成がなされた事実を明らかにする。五節は相給村落内における、支配を越えた「郷五人組帳」の事例を紹介する。
 三章は旗本知行所支配の実態について、個別具体的な事例を掲げ、一節では各知行高二〇〇〇石の酒井氏の「名主勤方之覚帳」の内容分析と、仙石氏の文化一四年の「九ケ村江申渡控」による知行権行使について言及する。さらに二節〜六節までは五〇〇石〜一〇〇〇石クラスの旗本を取り上げ、幕末期の各旗本の村落支配の実態を広く例示する。
 以上、雑駁に内容について触れておいた。これらを読んでみると、著者の旺盛な研究心と、いまだに変わらぬ問題意識の高さに驚かされる。しかし、その変わらぬ問題意識から得られた貴重な事実が、とりわけ一章と三章のなかで、それぞれが点のような存在に感じられ、おのおのを結ぶ面への論理構成へと少しく踏み出しを弱めているように思われるのである。著者の業績は、周知のとおり膨大な数にのぼっている。それらから得られたデータをもとに、トータルな論旨を提示される時期に十分入ったといえる。微視・微細研究を踏まえた、次のステップを著者から是非描いていただきたいと考えているのは私だけであろうか。
 最後に川村氏は「まえがき」で、今後「第四次分として一本にまとめる努力をつづける所存」と、高らかに宣言しておられる。次の公刊を待ちたい。
               (よこはま・ふみたか 江東区芭蕉記念館次長)

 
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