書誌紹介:岸上興一郎著『海港場横浜の民俗文化』
掲載誌:『歴史研究』2005年8月号
評 者:小川 博

 横浜市歴史博物館にて民俗文化の研究をされてきた岸上興一郎氏の業績である。横浜は近代日本の開港の場として大きな発展をとげた地域であり、その地域は今もなお拡大されているが、そこには古い遺跡も多く、人々の民俗も変容しながら伝承はつづけられている。岸上氏は博物館の学芸員として三十年にわたりすぐれた報告をされてこられた。本書は第一部 海の向こうから来た民族文化、一・横浜の南京墓地−中華義荘 二・地蔵王廟と木主 三・土蔵と西洋瓦−徳江義治家史料をとおして、第二部 横浜の海の文化史、一・横浜の海−新編武蔵風土記稿の世界 二・留吉老人の唄−横浜柴の漁撈文化 三・開港によって生まれ変ったムラ−南区堀ノ内、附論・横浜の民俗誌、思いおこすままに、より成っている。
 岸上氏の記述によると鎖国政策がとられ開港した横浜村は百人たらずの村であり、その周辺の村々とともに多大な宿題が課されてきたし、生糸の輸出港として確立し、港の需用として茶の栽培、天然氷づくり、西洋野菜栽培がおこなわれ、地形も港をつくるための埋立てと運河がつくられ、漁師の生業も海から遠ざかり、享保年間の津軽采女正の『何羨録』に記された袖ヶ浦のネである古根・中根・今根なども姿を消し、漁師の姿も消えていったが、「横浜の海・新編武蔵風土記稿の世界」とならんで岸上氏の採訪した「留吉老人の唄・横浜柴の漁撈文化」の章はペリー艦隊の投錨の場のあたりのことにかかわる「ほめことば」として興味ぶかいし、このあたりの漁撈民俗の探訪記は本書のうちでの圧巻である。大都市化した横浜のうつりかわりを対象とした「開港により生まれ変わったムラ・南区堀ノ内」は報告であり、横浜の民俗誌には今も連続とつづく「海の祭り・丘の祭り」には、初乗り、ジャガマイカまつり、祇園舟流し、お馬流、汐祭りのなつかしい記述と「天然氷のはなし」「相撲のはなし」「人力車のはなし」は忘れられた民俗でもある。また横浜の開港以来の在留中国人の民俗である「横浜の南京墓地 中華義荘」も有益であり、在留欧米人による欧米風建物のための西洋瓦のことも二度の災害で失われたが「土蔵と西洋瓦」の章でふれられている。
 岸上氏は平成十四年度で横浜市歴史博物館は退りぞかれたが、その後も民俗の研究はつづけておられるとのことは、恩師である民具研究に貢献された故宮本馨太郎先生のお教えをまもられておられることはなつかしいかぎりである。

 
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