書誌紹介:奥田晴樹著『立憲政体成立史の研究』
掲載誌:『日本歴史』685(2005.5)
評 者:木野主計

 本書は岩田書院の近代史研究叢書六として刊行された。本叢書は日本近代史研究において各特徴ある史書としてすでに斯界で評価が与えられている。ついでに紹介すると、一は、松本四郎著『町場の近代史』、二は横山篤夫著『戦時下の社会』、三は北原かな子著『洋学受容と地方の近代』、四は斎藤康彦著『転換期の在来産業と地方財閥』、五は工藤威著『奥羽列藩同盟の基礎的研究』、六は本書、七は鈴木勇一郎著『近代日本の大都市形成』である。いずれも日本の地方における近代化を問題にした秀作である。本叢書の選書の良謀が窺える。この事実は、最近の自治体史編纂によって、地域史の発掘が進化し、日本近代地域史が総合史の領域へと研究が進んだ証左であろう。
 さて前置はこの位にして本書の内容をまず主要目次に従って紹介すると左のごとくである。
 序章 近代日本立憲政体成立史研究の課題と方法
 第一編 立憲政体の提議
  第一章 近代日本における立憲政体導入の歴史的前提
  第二章 加藤弘之の立憲政体提議
  第三章 幕末政治と福沢諭吉
 第二編 立憲政体導入の政治的経緯
  第一章 明治六年政変直前の立憲政体構想
  第二章 大久保利通の憲法構想
  第三章 明治六年政変後の政体取調
 第三編 立憲政体導入の思想的条件
  第一章 明治初期における国制論
  第二章 教導職と教導関連書籍
  第三章 教導職の国制論
 終章 立権政体導入の水脈
 本研究の課題と方法は序章によると、近代日本における立憲政体の導入が、@どのような政治的要請の下に提議され、Aどのような内容のものとして政治的に構想され、Bどのような思想的条件の下でそれが実現されるにいたったかを追跡したことにあると領会できる。
 本書の研究の主軸は、近代日本における立憲政体導入過程に関する論点にあり、そして本書によって史実上で燃犀の明を得た点は次の五項にあると著者は整理している。
 (一)歴史的前提として幕末政治の外圧対策が石高制軍役では困難を来たし、洋式軍備導入の軍事改革を招き、ために民衆負担増となり、阿部正弘幕閣は「四民共力」政策を打出すが民衆の協力は得られず、さらに朝廷や雄藩、「志士」らの反幕活動を誘発し、伝統的幕府政治(将軍=譜代門閥政治)の閉鎖的構造の崩壊を招く結果となった。
 (二)文久期に入ると「公武合体」や「尊王攘夷」の雄藩連合の政権志向の政治的内実の表層を尻目に、幕府周辺の洋学者間では「四民共力」とりわけ民衆の協力を調達するための方策が研究されるようになり、課税の重点を農から商工へと移す民政改革が神田孝平によって、また民衆の課税同意を調達するための立憲政体の導入が加藤弘之によって同時に提議される。さらに慶応期には福沢諭吉によって雄藩連合政権を乗り越えた立憲政体の統一国家構想が提示されるに至った。
 (三)立憲政体の社会経済的基盤の創出は、所有権を基軸とする私権の確立を前提とした市場経済の導入の成否に懸っていた。加藤は国体論の土台をなす王土論に徹底的な批判を加えたが、文久期と同様に加藤の立憲政体論に社会経済的土台を与えたのは神田であり、具体的には彼による地租改正の提議であった。加藤や神田の諸提案はこの旧幕臣系の開明官僚によって、新政府における近代化諸改革として順次、実施されていったのである。
 (四)維新期には加藤らの立憲政体論が新政府内部においても国体論を凌駕し、それは国体論による国民統合の担い手であった教導職の国制論にさえも影響を与えた。政府首脳部自体も、留守政府と岩倉遣外使節団の双方とも、その緊要性の認識に差異はあったが、立憲政体の導入へと向かい、明治六年一〇月政変後にそれは政体取調への着手という形で本格的に始動した。
 (五)ところが、その政変後の下野参議らが民選議院設立建白書を提出し、その政治的前途は屈曲を経て、加藤らも立憲政体導入の国家意思決定を獲得するためには、政治的柔軟性を一段と権力側から求められた。とまれ、立憲政体導入への国家意思は、近代化改革推進のために政局安定を図る政府首脳部の政治的志向を背景に、台湾事件の日清交渉妥結後、八年の立憲政体樹立の大阪会議を経て、政体取調局の設置によって暫次立憲政体樹立の詔書を発布してから一応の確定を見ることができた。
 と著者はこの五項に絞って開示し、近代日本における立憲政体導入過程の実相を飛耳長目に亙って試みたと述べている。本書の終章の「まとめにかえて」で著者は井上毅が立憲政体導入の水脈に登場しているとしても、それを帝国憲法制定の主体的条件の形成などと速断してはならないと言い、この人脈が帝国憲法の制定主体となったのは立憲政体導入問題をめぐるその後の政治的−思想的展開を経た末の結果であると断案をくだしている。そして、これは歴史認識が陥る遡及的錯覚であると言っている。
 はたして、そうと言えるであろうか。評者は『藝林』二四九(平成一五年)に「井上毅の詔勅文案起草の条理」で明治八年の立憲政体基礎確立の詔書が政体取調局書記官の井上毅の起草に係る詔であることを明らかにしたが、それは遡及的錯覚とは思わない。これはいかがであろうか。        (きの・かずえ 国学院大学栃木短期大学講師)

 
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